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生きづらいわたしへ、あなたへ

「死にたい」と思って、この記事にたどり着いたあなたへ。10分だけ時間をください。「命は大切」「生きたくても生きられなかった人のことを考えて」「死ぬ気になればなんでもできる!」などと言われたことはありませんか。そんな言葉はここでは言いません。

何を隠そう、私自身が「死ぬしかないのではないか」と何度も思ってきたからです。その都度、自分自身に言い聞かせ、自分自身を生かしてきた考え方を、せっかくなのでここでシェアしてみたいと思います。

うつ状態や妄想など、精神疾患でこういった気持ちになっている方も多いと思います。一方、実際に形に残る形で失敗体験を積み重ねてしまって、現在進行形で更新中の筆者が、いま現在どうにか死なないために自分で自分に言い聞かせ続けていることをシェアします。効果は人それぞれかと思いますが、一つでも誰かに響くことがあったとしたら、自分は救われます。

生きづらさや、そこから引き起こしてしまった数々の失敗体験などが蓄積していたり、あまりにも悪いことが重なり八方塞がりに思えたり。あぁ、これではまるで、社会から生きるなと言われているようだな…と思うことがあったりしますよね。でも、本心では、生きたいのです。本当は生きたいのに、うまく生きられない、そんな思いを抱えていませんか?

また、周囲に生きづらく命を絶ってしまいそうな人がいる場合は、この投稿が何かのヒントになれば幸いです。

「自殺しよう」と思った時に考えたいこと

「命の大切さ」とか綺麗ごとを言われても、それどころじゃない!という感じですよね。では、以下のような考え方はいかがでしょうか。どれも、私がとんでもなく生きづらい嵐のような人生を送ってしまっている中で、どうにか生き続けるためのライフハックのようなアイデアです。

①社会は、生きやすい人たちが作っている

いろんな場はありますが、一般的な学校や職場、社会システムなどは、そもそも生きやすい人たちが作っていることが多いと思いませんか?

生きづらさをあまり感じずにやれる人ほど、要領よくエリートになり、大企業の上層部や官僚になっているとしたら、あなたも私も、こんなに社会が生きづらく感じるのも、別におかしなことではないかもしれません。また、あなたが心療内科や精神科に通っているとしても、福祉に頼っているとしても、医師は少なくとも今のあなたよりは生きづらくないから今そこで診療ができてるのです。福祉関係の人に関してもそうです。挫折があったり、さまざまな背景はあるかもしれませんが、いま、窓口であなたの対応をしているその瞬間は、公務員として働けている人です。誰も過去や未来はわかりませんが、少なくとも今日のそのスタッフは「無職」ではないですよね。そのスタッフの生活や家族があります。そういう人が、今のあなたの八方塞がりの状況に共感できたとしても、その度合いは、あなたが期待するよりは低いのは当然です。

検索エンジンで「死にたい」などと検索すると出てくるサイトをいろいろ見ても、「なにもわかってない!」と思いますよね、私もそうでした。だから少なくとも、自分ほどひどい状況の人はいないじゃないか!とか、みんなちゃんとして見える!とか、誰もわかってくれない!とか、社会に適応できない自分はよっぽどおかしいのではないか!と思う必要はないのかもしれません。

また、「生きやすい」人が作ったシステムに、無理に適応しようとしない方が良いのではないかと思っています。「生きにくい」自分のままで生きていける仕組みを作るのが一番だと思います。とはいえ今すぐにそんなことは難しいですし、まずは自分のいるこの空間、座っている椅子の周辺だけでも、快適にしていければ良いと思っています。そのスペースが徐々に広がっていけば、良いですよね。

②理解されないとか、他の人が自分よりみんながマシに見えるのはあたりまえ

あなたは今どん底にいるかもしれませんが、他の人にも当然どん底の時期や場面もあったかもしれません。でも、たまたま、あなたが相談した友達は、「今現在は」どん底でないのかもしれません。でもその人が明日どうなるかは誰にも分からないことです。逆にあなたが明日どうなるかもわかりません。もちろん、一発逆転して明日から最高にキラキラした人生!になる可能性はそんなに高くないとしても、10個ある悩みの1個が、もしかして解決しているかもしれません。また、どれだけキラキラして見えて、悩みのなさそうな素晴らしい人でも、過去にどんなことがあったかはわかりません。人生80年なら80年の中の、「どん底」の時期は人によってまちまちだと思います。

③生まれてきた時点で、競争に勝って、生きることに適性がある

生きづらくて生きづらくて、どうしてみんなあんなにまともにしっかりと生きられるんだろう。私はあれもこれも苦手なことが多いし、もしかして生まれてこない方がよかったのではないか。人間として欠陥があって、落第なのではないか。そんなふうに思えることはありませんか。私も頭によぎることがしょっちゅうありますし、実際にテストの点やIQ、偏差値、年収、◯歳なのにこんなこともできない、◯歳なのに未婚、この仕事について◯年目なのにこんなこともできない…など数字で表されるものごとで、人より圧倒的に劣っていると思ってしまう機会って多いですよね。

実際はそんなことは単なる項目に過ぎないとあなたも頭では分かっていると思いますが、数字という分かりやすい指標があることで、なんだか説得力があるように思えてしまうこともあります。こんなにできそこないで、生まれてこなければ良かったと思うことに関してお話したいです。

自分という命が誕生するときに、かなりしれつな競争があって、あなた以外何億匹かはみんな途中で脱落して、死滅しているんですよね。それってすごいことだと思いませんか。私はこの辺の専門家ではないですし、数学も苦手ですが、それでも聞きかじったことによると、ものすごい確率らしいです。つまり、例えばどんなに障がいや病気を持っていたとしても、問題があるように思われても、あなたは生まれる前の競争の時には一位になっている、かなり選ばれし者だということです。

私は宗教やなんらかの思想を持っているわけではないですが、単に天文学的な数をどこかで聞いたのが驚きだったからです。だめな自分でも、言い方はあれですが、まだマシだったから生まれてきたんだな、それならまあせっかく競争に勝ってこの世に生まれてきたんだから、まあ命をたつこともないじゃない、と思っているということです。

正直、普段の生活では、「生」に適性が皆無だろ、と思うことばかりです。太宰治の「人間失格」の冒頭に「恥の多い人生を送ってきました」とありますが、「恥が多いくらいなら良いよな、ほとんど全てが恥なくらい。」と思うくらいひどい状況の自分ですが、それでもまだ生きています。それでもまだ、生きて良いのです。

④一番好きなものは味わいましたか

あなたはこれだけは譲れないという大好きな食べ物や音楽などはありますか?例えばケーキが大好きだとして、世界一おいしいケーキを味わいましたか。まだであれば、とりあえず命をたつのはそれを味わってからでも遅くはないと思いませんか。一切れ1万円する世界一のケーキを食べるために、1万円だけで良いので、ゆっくりでも良いので、何とかして稼ぎませんか?いや、今それすらも難しくても、もし仕送りや年金をほんの少しずつ貯金するでも良いと思います。そして、用意できたらケーキを買いに行って、食べてみて、それからまた、本当に命をたつかどうかは、そのときに考えても遅くないのではないか?と思います。

もちろん、経済的な状況のシビアさは、かなり人によってまちまちかと思います。筆者も決して経済的にゆとりがあるとは言いがたいですが。

ようは、「自殺しない」と決めるのではなく、「自殺するかどうかはまたいついつに考えよう」と先送りにするのを、おすすめしたいということです。◯歳になってから考えよう、でも良いですし、何か月後のあのライブを見てから考えよう、でも、せめて桜をもう一度見てからにしよう、でも良いと思います。こんな言い方をすると不謹慎だと思われるかもしれませんが、今すぐ死んでしまうよりは、よっぽど良いと思うのです。(賛否あるとは思いますが)

⑤「生きてることが辛いなら、いっそ小さく死ねばいい」という森山直太朗さんの歌詞


森山直太朗さんの「生きてることが辛いなら」という曲があります。2010年リリースのアルバム「あらゆるものの真ん中で」に収録されており、一時期話題になりました。

この曲の解釈はいろいろですし、本当の意図はご本人にしかわかりませんが、個人的には、生きてることが辛い時に、本当の意味で死を選ぶのではなく、小さく死を選ぶという発想だととらえています。

例えば、学生や会社員といった社会的な自分を消してしまって、退学・退職して無職やニートになっても、死ぬよりは遥かに良いじゃないかと思うのです。彼女・彼氏や妻・夫という立場を消してしまって(=死んでしまって)、別れてフリーになっても、まあいいじゃないですか。本当の意味で生物的に死んでしまうより断然。妊婦や産後の女性は精神疾患になりやすく、昨今も芸能界でそういった悲しいニュースもありました。きっと子どものことを愛する真面目な人ほど、そうなってしまうのだろうけど、この場合にも「母」という役割からだけ、降りることが認められても良いのにと思います。「小さく死ぬ」本当に死んでしまうよりは、全然問題ないと思うのです。もちろん、その助けを求める余裕もない精神状態になってしまうというのも、事実かとは思います。真面目な人ほど、そうなると思います。

「いっそ小さく死ぬ」ことに対して、そんなことを言わずに、ちゃんと前向きに生きようよ!!などと言う人もいるかもしれません。それはもちろん、理想はそうかもしれません。でも、それができなくて困っているんです。そこまで追い詰められていないから、言えるのです。できることなら、死にたいなどと思うことなく、とっくの昔にうまくやれていると思いませんか。そして、誰も好んで追い詰められていません。私だってあなただって、器用に生きて、致命的な黒歴史を残さずに、明るく楽しくいられるものなら、それはしたいです。
「死ぬ気でやればなんでもできる!」「死ぬくらいの勇気があるなら頑張れよ!」などは、良かれと思って言ってくる人がいると思いますが、聞き流すが吉です。

自分の中で今日までの自分はいったん死んだことにして、明日、目が覚めたら何事もなかったように、別の場所で別の人と別の人生を送る、というアイディアもありますね。別の人の人生の1日目から、生き直すというイメージです(これもあくまで、実際に今日自殺してしまうよりは全然良いよね!という感じです)自分としては、ひどいことがあればあるほど、そのあとの人生は「本来なくても当然」だったボーナスステージだと思って過ごしていたりします。

つらつらと長文を書いてしまいましたが、このように考えることで、自分はどうしようもない自分の人生を今日もなんとか生きています。少しでも、あなたの人生に参考になれば、幸いです。



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