見出し画像

妹の涙~母から私への虐待①

あれは、私が大学生の時だったろうか。

何の話からか、親子間で何かがあったのか、詳しいことは覚えていない。

覚えているのは、妹が、

「私はあの時、本当にお姉ちゃんが殺されるかと思った。」

と私に向かって、涙を流しながら話したこと。

私が中学3年生か、高校1年生の時の出来事だ。
妹は、怯えながらヒーターの隙間から見ていたのだ。

母親が狂ったように、私に馬乗りになり首を絞めながら、包丁を突きつけたことを。

私も、本当に刺されて死んでしまうかと思った。

何故、殺されずに済んだのか、はっきりとしない。
妹が、母にやめてくれ、と言ったのか、私が母に対して「警察に電話するぞ。」と言ったのか。
自己防衛で、暴力を振るったのかもしれない。

母は、完全に狂っていた。

心に深く傷がついたのは私だけではなかった。というより、私以上に妹が傷ついていたのだ。

体を震わせながら、机に向かっていたのは私は知っていた。

妹は、勉強をするふりをして、涙を流していたのだろう。

母の私への虐待は、祖母が生きている時も、祖母が泣きながら注意するくらいだった。
私は、全て覚えている。

今なら、すぐに逮捕事案。そして私たち姉妹は、児童相談所行きだったろう。

私の家庭環境について、虐待について、両親のこと、妹のこと、私のことは、ひとつのnoteに収まらないので、分けて書いていこうと思う。

このことだけを書いていくと、結構キツいので、他のことを書きながら、合間合間に書くことにする。

どれだけ凄かったかは、初めのほうに書いた、妹の涙と言葉に全て集約されている。

私が子供を産まなかった理由は、母からの虐待によるものだ。

私が、大学で心理学を専攻したこと、正義感の強い前職に就いたこと、何故ひとりで頑張らないといけないのかも、母からの虐待が原点のような気がする。

家に寄り付かなかったこと、自立が早かったこと、独り暮らしをしたこと、家族以外の、外の人間と接することが多く、そしてその人たちに育てられたこと。

私の中で、『点』と『点』が【線】になる。

何故、『虐待の早期発見や通報が必要なのか』、に繋がればいいと思う。
絶望で終わらせたくはない。希望に向けて書くことにした。

綺麗事は書かない。自分の心をえぐって真実を書く。

この話は今だからこそ書けること。
母が、どういう人間であるかが理解できたから。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?