昨日、フレアバーテンダーの大会の手伝いに行ってきた。 大会のフレアを見たのは何年振りだろう。選手のレベルは高く、白熱した大会だった。 でも、大会独特の雰囲気の中、緊張して上手く実力を発揮できなかった選手もいた。 そういう選手を見て、私が昔出たある大会を思い出した。あれはそう、確か3回目の世界大会だったと思う。 1回目の世界大会はルーキー部門ながら決勝に残り、多くの人に名前を覚えてもらえた。2回目の世界大会は招待選手としてプロの大会に出場したが周りの有名選手に飲まれて
私は急須が好きだ。 なぜなら、急須は調節できる部分が多いからだ。 お茶の葉の量、お湯の量、お湯の温度、浸出時間、それぞれ自由に組み合わせられる。 車でいえばマニュアル車であり、毎回同じものが出来ないのがまた楽しい。 微妙な違いがお茶の味に現れる。なので、ほんのちょっと変えてみてより自分の好みの味を目指すことができる。 お茶の理想の抽出って人それぞれだ。 人によって好みが違うので目指すべき方向は各自で異なる。 味をもっと濃くしたいのか、それとも薄くしたいのか。さっ
桜が散り始め、八十八夜が近づいてくるとお茶の新芽が伸びてくる。 それまで濃い色をした茶園が明るい緑色に変わる。そういう時期に茶園に覆いをすることでうま味を新芽に閉じ込めて作るお茶が碾茶と玉露だ。碾茶はあまり聞かないお茶だが抹茶の原料であり、碾茶を石臼で挽くと抹茶になる。 抹茶と玉露はどちらも太陽の光をさえぎるので、新芽を収穫した時点ではどちらのお茶も作ることができる。実際に私は玉露を作っている途中で機械が壊れてしまったことがあり、その後はそのまま碾茶工場へ新芽を持って
もうすぐフレアバーテンダーの大会が大阪で行われる。 私が選手として各地のフレアバーテンダーの大会に出ていたのは20年前の事だ。当然20年も経てば技術レベルは全く違うものになり、違う競技になったといっても過言ではない。 ただ、時代が変わっても参考になることもあるかもしれないので私の競技への向き合い方を書き残すことにする。 その昔、結構真剣に練習をしていた私は自分なりのトレーニング方法を確立していた。 「大会は結果を出すために出場する」というモットーでルールを読み込
バーテンダーで良かった。 お茶の生産を真剣にやると聳え立つ高い山にチャレンジするようになる。 一口飲むと口の中に広がる衝撃が、やがて快楽に変わり全身が奮い立つ。 飲んだ人の人生を変える、そんなお茶を目指してしまう。 何もいらない。そのお茶で全てが完結する。そういうお茶。 実際にそういうお茶は存在する。品評会で大臣賞をとるお茶はそうだ。 熱湯を注いでも全く渋くならずに「なんじゃこれ!?」と思わず唸ってしまうお茶。 キロ数十万円のお茶を作ってみたいと生産者目線の私は
お茶の新芽が出てきた。 桜が散り始めるこの時期に 濃い緑の表面に鮮やかな緑がぽつ、ぽつと現れる。 新芽は明るい色なのでよく目立つ。 寒いと変化は見られないが、良く晴れた次の日には「あっ、大きくなった!」って分かる。 でも茶園で働いていないと知らないであろう、この新芽、場所によって大きさが全然違うのだ。 茶園の列によって異なるのはもちろん、同じ列でも一部分だけぐっと伸びているところがあれば全然出てこないところもある。 病気や虫に食べられているのならそれが理由だ
2020年の一番茶が始まる前に茶農家の大将に「任せるで」と言われ、「はい、わかりました」と答えた。 それまでの10数年、茶畑での作業は一通りやっている。 機械で揉んだり、覆いをかけたり、茶園を刈り取ったり、肥料をやったり、挿し木をした時もあった。 作業内容はわかる。作業も一人でやっていた。 いつ、どんな作業をしているかはノートにもつけている。 まぁ、出来るだろう。 大将に言われたことをこなす作業はずっとやってきた。 「上の畑、周りの覆いしといて」と電話で言わ
お茶作りにはちゃんとしたマニュアルはない。同じ町内にある畑でも品種はもちろん、管理の仕方、収穫時期、霜に当たりやすいかそうでないかすべて異なる。いいお茶を作るためにはマニュアルを自分で作るしかない。 新茶の茶摘みは1年に1度だけなので今年失敗したら次のチャンスは1年後になる。 ただ、1年経つと去年のことはほぼ忘れている。今まで、何の仕事をしたかはノートに書いている。だがそれはいつ、どんな作業をしたのかはわかるだけでその時の茶園の様子はわからない。 なので動画に残すと
今日は急ぎでやる仕事はなかったのでここ3年の茶園の映像を見直してみた。 2019年と2021年は酷く霜にやられていた。被害を受けた茶園は違う茶園で、その後の成長の様子も同じではなかった。同じ霜と言っても影響の受け方は全然違う。 「茶作りは毎年勉強だ」と言われる。同じような失敗を起こさないように気を付けていても、自然の驚異は思わぬ角度からやってくる。宇治ではずっと昔から霜との戦いをしているけれど、それでもしっかりと対処出来ているところはいくつあるんだろう。 霜対策に限
朝6時に起きる。今朝の最低気温は3℃。 不安になりながら茶園へと向かう。 途中の茶園で霜がきつい地域をチェックすると上が白い。 ということは、霜が降りているということだ。 油断していたわけじゃないけれど、霜対策は1か所しかやってなかった。 ここ数年の霜の被害を思い返すと気が気でない。 茶園に着いて、寒冷紗を広げていたところは大丈夫なのを確認し、他の場所を見る。 濡れている。日陰のところで葉を触ると「シャリッ」っという感触が。 ちょっと凍っているかも。 霜
朝から部屋の片づけをして、昨日貰ってきた茶道具を置く場所を考える。昔友人が言っていた、「部屋を片付けるには2つのことをすればいい。一つは使ったら元の場所に戻すこと。もう一つは、ものを置いておく、その元の場所を決めること」そう、一つのものがあっちへ置いたり、こっちへ置いたり、本来戻す場所が決まってないと部屋はすごい勢いで散らかっていく。 なかなか理想通りにはいかないが、置き場所を決めるのもまた楽しい。
「使ってもらえるものがあれば取りに来ていいよ」 と廃業されたお茶屋さんに声をかけていただくことがあり、今日も京都市内へと足を運んだ。 私は茶碗などの茶道具は出来るだけ貰うようにしている。今探しても同じものはないし、しっかりとした作りだし、何よりストーリーがあるからだ。お茶屋さんの名前が書いてあるのを見つけたり、実際に話を聞きながら、これは昔おじいさんが大切に使っていた、何年前かわからないけれどここにこんなことが書いてあるなど、重さの単位が「貫」と書いてあるだけでテンショ
サムライ茶人が映るテレビ放送があるその日、と言っても今日の話だ。後30分で番組が始まるという時に私はまだ茶畑にいた。日が傾いてきたその時も昨日広げた寒冷紗を束ね直していた。 寒冷紗と言うのは黒いネット(布)だ。この寒冷紗を茶園にたてた囲いの上にかけて太陽の光を遮る。そうすることで、渋みの成分であるカテキンの発生を抑えて旨味、甘みをより強く葉に残す。ある一定の期間、日光を遮って育てた葉を蒸した後、揉みながら乾かすと玉露になり、そのまま乾かして石臼で挽くと抹茶になる。
昨日1日中降っていた雨が上がると今日は朝から春の嵐。 スマホの天気のアプリを見ると、明日の朝は冷え込むそうだ。 今日は茶園の上の寒冷紗を広げる作業を一日中やっていた。 その昔、お茶の新芽を霜から守るために覆いをすると偶然美味しいお茶ができたらしい。そこから抹茶は覆いをして作るようになったという話がある。400年以上も前の話だ。 今でも玉露や抹茶を作るときには必ず日光をさえぎって育てるが、覆いに使う寒冷紗は今の時期の霜よけにも使われる。 日が暮れた真っ暗な茶園の
サムライ茶人、テレビに出ます! 4月2日(土曜日)午後6時30分から7時まで、関西テレビ放送「フットマップ」宇治編ということで、FUJIWARAさんとフットボールアワーさんが宇治の街を巡ります。サムライ茶人とどこで出会うのか注目です!関西ローカルの番組ですが、TVerで見れるので関西在住の方以外でもご覧いただけます。 最近、徐々にサムライ茶人がテレビに出る機会が出てきました。嬉しいです。今はどちらかと言うと自分を前に押し出していくことばかりですが、これからはおすすめ
結婚式の披露宴は不思議な空間だ。招待された人は新郎か新婦はよく知っているが、後は会場にいるゲストが70人いたとしても知っている人は数人、多くても10人程度ではないだろうか。きれいな服を着て、きれいな会場で、美味しい料理を食べ、お祝いの言葉を主役の二人に伝えて帰る。非日常的な、こんなふわっとした空間を強い記憶に変えるのが私の役目だ。 依頼する新郎新婦の二人の希望はただ一つ、「ゲストに楽しんでもらいたい」。 そこでの私は限られた時間の中でそれまでの重い空気を一変させたり