Sami Flores

北スペインの田舎でどんぶり勘定で生活している主婦です。普段は自然の中に身を置いて、時々…

Sami Flores

北スペインの田舎でどんぶり勘定で生活している主婦です。普段は自然の中に身を置いて、時々都会へ出ていく生活をしています。ノマド的生活に憧れている夫婦です。観光とは違うリアルなスペインの楽しみ方をご紹介します。

最近の記事

可能性を否定しない夫の器に惚れる

7月に入るとすぐにマドリードに住んでいる義理の両親と甥っ子が、私達が住む北スペインの港町へとやってくる。 暑いマドリードの夏から、避暑地のここへ来るのが毎年恒例なのだ。 義理姉夫婦は仕事があるので、ずっとここにいることは出来ないし、義理の両親も高齢のため、甥っ子を面倒みるには限界がある。必然的に、私達と過ごす時間が多くなる。 午前中は私達も仕事があるので、甥っ子にはサーフィンのクラスを受けてもらい、午後から私達と合流し、週末は我が家へ泊まる事になっている。 甥っ子との

    • 夏の到来を祝うサン・フアン祭り

      スペインでは夏を知らせるお祭りの1つとして、サン・フアン祭りがある。 サン・フアンの日は6月23日で、この日スペイン全土でかがり火を焚いて祝うのだが、祝い方はそれぞれ各地で異なり、更に各自治体でも異なってくる。 私が住んでいる北スペインの小さな港町の場合は、海辺の2ヶ所でかがり火が焚かれる。丁度、両方の場所がお互いに見える場所に設置され、2ヶ所でどれだけ盛り上がったかを競うようになっている。 日も高いうちから音楽が爆音で流れ、時々、マイクパフォーマンスで、 「そっちは、全

      • 釣りは人生のバイブルだった

        目に見えるものが全てではない。そう知ったのは、釣りを始めてからだ。 釣りには不思議な魅力があった。 どこまでも広がる青い海。波の音と時々聞こえるカモメの鳴き声。 遠くで誰かが話す声が聞こえるが会話までは聞きとることは出来ない。 堤防のヘリに座って、竿を振りかぶる。釣り糸の先がある海の中の様子は外からは見えないので、竿を持つ手の感触だけが頼りである。 トトン トトンと糸を引く感触があった、一瞬ためて、すぐに釣り竿を大きく引く。これを釣り用語で合わせるという。 うまく合う

        • テントはないが、キャンプに行く事にした

          苦手な事や遠ざけていた事を突然やってみたくなる衝動が、40歳を過ぎたらやってきた。 子供の頃に1度食べて苦手だと思っていた食べ物が、何かのきっかけで大人になってから食べてみたら美味しいと感じて好きになったり、やっぱり苦手だなと感じる事と似ている気がする。 大人になった自分が、改めて好きかどうかの再確認といったところだろうか。 もちろんこれまでにも、こんな感情が無かった訳では無いが、以前よりも、心に余裕が出てきたのと、色んな経験をしてきて、一旦立ち止まってみたら、何となく

        可能性を否定しない夫の器に惚れる

          麹の世界に足を突っ込んだら、ぬけなくなった

          発酵の世界は人生の余白を楽しむ世界だった。 以前、実家に遊びに来た画家の友人が、「縁側」がとても気に入り、絵を描きながら話していた事を思い出した。 昔はどの家にもあった縁側が、現代の家にはない。何故ならあっても無くても暮らしに困らない場所だったから、真っ先に排除されてしまった。 いわば、家の余白の部分だったのだ。 昔はこの余白と思える縁側で何をしていたのか。サザエさんを思い出してみて欲しい。縁側は庭に面していて、庭で遊ぶ子供をみたり、ご近所さんとお茶をしたり、将棋をさした

          麹の世界に足を突っ込んだら、ぬけなくなった

          北スペインの港町の紫陽花が「季節感」を思い出させてくれた

          なぜ季節を感じる事が大切なのか。 それは、「季節を感じている時間=心の休息時間」ではないだろうか。 スペイン移住前、鎌倉で暮らしていた私の手帳は予定でパンパンだった。次から次へと予定をこなし、予定をこなす事が生活になっていた。むしろ、予定がないことが「悪」に感じられ、不安に感じることさえあった。 時代の変化と共にどんどん機械化され便利になっても、空白ができるとすぐに予定を入れてしまっていた。 こんな私でも、唯一ちゃんと季節を感じる時間があった。それは横浜に住んでいる伯母と

          北スペインの港町の紫陽花が「季節感」を思い出させてくれた

          「スペインの最も美しい村 #2」クディジェロ

          高速を下りて、田舎道を走り、やがて車は崖の下へとくだっていく。本当にこんなところに村なんてあるのだろうか‥‥ 私達は北スペインのアストリアス州にあるクディジェロという村へ向かっているのだ。 駐車場に着いても村は見えなかった。 まず初めに車を降りて、両手を空高くぐーんと挙げて、伸びをしながら辺りを見渡す。駐車場の端っこに、気になるものが目に飛び込んできた。 近づいて行くと、そこで働いているおじさんが色々親切に教えてくれた。 これはクラディージョと呼ばれる鮫の1種で、そ

          「スペインの最も美しい村 #2」クディジェロ

          見習い魔女の家庭菜園

          スペインの港町に引っ越して来て、まず初めに魔女修行に選んだ1つが「家庭菜園」だった。私にとって家庭菜園は、祖父母との思い出そのものである。 東北の「ど」が付くほどの田舎で育った私はいつも新鮮な野菜とお米を食べる事ができた。母方の実家が農家だったので、常に旬の野菜とお米が供給されていたからである。 祖父母は、徒歩10分の距離に住んでいた。 私には、「おじいちゃん」と呼べる人は母方の祖父1人だけで、父方の方は私が生まれた頃には既に他界していた。 このおじいちゃんは、余計な

          見習い魔女の家庭菜園

          [スペインの最も美しい村 #1] ラ・アルベルカ

          永遠とも思えるような広大な緑の大地の中、車を走らせる。 5月に入ると、スペインの内陸部はどんどん暑くなり、太陽が眩しすぎてサングラス無しではいられない。車の窓を開けると生暖かい風が勢い良く入ってきて、髪の毛を舞い上げる。風に混ざって緑の香りが顔に当たる。 大地の中を駆け抜けていく時、スピードがとても遅く感じて、果たして目的地に着けるのかふと不安になる。その反面、このまま着かなくても良いかなという不思議な気持ちにもなる。 村めぐりが趣味の我が夫婦。 向かうは、カスティーリャ・

          [スペインの最も美しい村 #1] ラ・アルベルカ

          「いつか、きっと」のいつかは、一生来ない。だから私は旅にでる。

          「旅は老後のネタ作り」といつも母がいつも言っている。 将来、体が動かなくなって旅行に行けなくなった時に、お父さんと一緒にご飯食べながら、ストレスばっかりの日常生活の記憶なんて思い出したくないのよ。旅にはハプニングは付きものでしょ。それを思い出して笑いながらご飯が食べたいの。これが母から聞いた両親が旅行にいく理由だ。 両親は、金婚式を迎えるまでに日本全国制覇を目指して、津々浦々旅をしている。金婚式まであと5年。そしてあと5年を残して今年の6月に沖縄旅行が決まり、ついに全国制

          「いつか、きっと」のいつかは、一生来ない。だから私は旅にでる。

          北スペインの港町で、現代版魔女の修行中

          私が小学生だった頃、魅了された映画があった。 「魔女の宅急便」ジブリ作品の中でも代表されるアニメ映画の1つである。 主人公の少女キキが、13歳の誕生日に黒猫のジジと共に魔女の修行のために旅立ち、修行先で様々な人に出会い、苦難を乗り越え成長していく映画。 映画を見終わった後、母がキキみたいにあなたも将来は修行の旅にでるのよと言ってきた。高校を卒業したら1度実家を離れて1人で頑張ってみなさい。「井の中の蛙大海を知らず」になってはいけない、外で修行してきなさい。そこで自分の居場

          北スペインの港町で、現代版魔女の修行中

          宮城県塩竈市に今が旬の牡蠣を食べに行こう!

          私が実家に帰ると必ず家族で行く場所がある。 宮城県塩竈市にある、塩釜水産物仲卸市場だ。通称:塩釜海鮮市場。 実家は、360°見渡す限り山また山の盆地である。 「美味しい海鮮が食べたい!」 この思いは家族全員共通の認識で、今までぶれたことがない。 何か口実を見つけては、1番近い塩竈の海鮮市場へと出掛け、新鮮な魚介を買い出しに行くのが我が家の恒例行事となっている。 市場では、売っている牡蠣やウニなどの海鮮をその場で食べる事ができる。 他の魚介はさておき、私のお目当ては「生牡蠣

          宮城県塩竈市に今が旬の牡蠣を食べに行こう!

          私はわたしのここがすき 

          考え事をする私が好きだ。 空想というよりも、脳みその大部分は「ビジネス」について考えている。こんな事をしたら面白いんじゃないかとか、これとこれをかけ合わせたら、こんな事ができるかもしれないなど、仕事に繋がる妄想をしているのである。 お金を愛する私が好きだ。 在宅ワーカーの私達夫婦は、義理両親の家で仕事をする事もある。私の仕事中に暇を持て余した義理父が、親指と人差し指をすり合わせながら、モニモニと言ってくる。初めは、ん?モニモニ?と思ったが、スペイン語訛の英語、マネー!(

          私はわたしのここがすき 

          終わりのない終着地点

          何度も訪れているサンティアゴ大聖堂を夜見るのは初めてだった。 毎年、初詣にここを訪れるのだが、夜に見た記憶がなかった。何故なら、いつも日帰りで帰るか、1泊しても雨だったり、美味しい食事がメインになってしまい、この夜の美しさを今まで見ることなく過ごしてきた。 ライトアップされた大聖堂を眺め、息を飲んだ。日中には感じなかった、細部まで丁寧に作られた彫刻がより鮮明に見え、月の明かりが上から照らすその様を呆然と眺めていた。何かに取り憑かれてるかのように、不思議とずっと見ていられた

          終わりのない終着地点

          火事は大きければ大きい方がいい

          日本の春は、卒業式、入学式、新学期、情緒を揺さぶる行事に彩りを添えるように、一斉に草花が芽吹き、花を咲かせる季節。 皆、浮足立ってソワソワする春に、私は都心の真ん中でずっと心がゾワゾワしていた。何か物足りなさを感じ初めていたのだ。 10年前のこと。スペインの首都であるマドリードへ引っ越してきて、何もかもが初めてで楽しかった頃。都会の暮らしこそ正解だとも思っていたし、物足りなさなんて微塵も感じなかった。 一歩外に出れば、色んなお店が立ち並び、エンターテイメントにあふれ、レ

          火事は大きければ大きい方がいい