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火事は大きければ大きい方がいい

日本の春は、卒業式、入学式、新学期、情緒を揺さぶる行事に彩りを添えるように、一斉に草花が芽吹き、花を咲かせる季節。

皆、浮足立ってソワソワする春に、私は都心の真ん中でずっと心がゾワゾワしていた。何か物足りなさを感じ初めていたのだ。

10年前のこと。スペインの首都であるマドリードへ引っ越してきて、何もかもが初めてで楽しかった頃。都会の暮らしこそ正解だとも思っていたし、物足りなさなんて微塵も感じなかった。

一歩外に出れば、色んなお店が立ち並び、エンターテイメントにあふれ、レストランは選べないほど沢山あった。海外で手に入りにくい日本食材も割りと簡単に手に入った。気軽にお茶を共に出来る日本人の友達もいた。
海外生活とはいえ、恵まれた環境の中での暮らし。

時が経つ毎に「何か足りない」心がゾワゾワし始めた。

マドリードに住み始めて3年目の春、マドリード郊外に日本の桜が植樹されていると聞き、花見がてら弁当を持って見に行った。下から眺める桜も、敷地いっぱいに咲く桜も、とても綺麗だった。

ただ機械的に植えられた桜を見ながら思った。
「都会には何でもあるけど、何にもない」

マドリード郊外に植樹されていた日本の桜

そんな時に、主人から田舎へ引越さないか?という提案を受けた。
1ヶ月前に決まった仕事の研修が中盤にさしかかっていた頃だったので、一旦その話は保留にさせてもらった。まだスペイン語も拙い私が田舎で生活できる自信もなかった。だからといって、何ができるわけでもなく、仕事を始めたら何か解決されるのか?

足りない物を探して、心はゾワゾワは続いていたので、主人と話をした。
主人と話をしている時に、「火事は大きければ大きい方がいい」ふとこの言葉がよぎった。

なんてことを言い出すんだと思われただろう。
これは当時、地元の消防団の団長をしていた父が、高卒で東京へ上京していく私に向けた父なりのはなむけの言葉だった。
「火事はないに越したことはないが、火事が起きた時、半焼の場合は、保険が殆ど下りない。しかも残り半分を取り壊すのにも、焼けた部分を建て増しするのにも自己負担の割合が多くなる。しかし全焼の場合は保険が満額もらえるから、この保険で新しい家が建てられるから、どうせなら全焼の方がいい」と説明された。

父の言葉はいつも分かりづらい。ちゃんと考えないと理解に苦しむ。しかし言いたい事は分かった。

つまりは、火事のない現状維持の状態であっても、自分の心に火をつけて、現状を変えようとするとき、全てが上手くいくとは限らない。しかし何事も中途半端は良くない。やるなら全て燃え尽きるまでやれ。その方が諦めがつくし、そこにまた別の新たな道ができる。しかし中途半端で終えると、過去への未練と将来への希望が同居して、上手く前に進めない。という火事に例えた言葉だった。

ちょっと挑戦してみたいけど、躊躇している時にいつもこの言葉が頭をよぎる。この辺りから急に都心から離れたくなった。同じタイミングで、主人からまた田舎への引っ越しの話がでた。主人ももう限界だったのかもしれない。仕事でのストレスを抱えて、気づけば休みの日にはハイキングに行こうと、人混みを避けるように郊外へ出たがっていた。

田舎というのは、主人が毎年夏に過ごしている北スペインの小さな港町への引っ越しだった。今度は2つ返事で「いいよ。行って暮らしてみよう。実際に暮らせるか、暮らせないかは、やってみてから考えよう。」そんな事を言ったと思う。燃えるなら全て燃えてしまえ!と父の言葉通り、やるだけやってみようと思った。父の言葉が背中を押してくれた。

港町の安全祈願祭の時の写真

何でもある生活から、何にもない生活へ

田舎での生活は忙しかった。いつも間にか、心のゾワゾワがワクワクに変わっていた。都会の生活は楽しかったが、自分から作り出していく楽しみが足りなかったとようやく気づいた。

何もない事が楽しいと思えるほどに、自分でどんどん生み出していく楽しみを味わった。もしかしたらこれも最初だけ、すぐに嫌になるかもしれない。でも、楽しさは続いた。元々何かを作ったりするのが好きだったので、すでに完成された環境の中で楽しむのには限界があったのかもしれない。

ハイキングコース

海と山が近いこの場所は、私達が好きなハイキングコースが沢山ある。歩きながら主人との会話も増えた。普段は物静かでたくさん喋る方ではない主人も、歩くと喋る。足と口が連動している人なのかもしれない‥‥

環境を変える事は良いばかりではないけど、どうせ変えるなら極端な方がいいのかもしれない。似たような環境では気づきにくいものも、大きく変える事で今までぶら下がっていた色んな物が削ぎ落とされ、より明確に自分にとって必要なものが分かるのかもしれない。

とはいえ、私達も都会に戻る選択肢は残したまま、引っ越してきた。いつでも戻れる環境のまま引っ越してきた。保険はかけてもいいと思う。選ぶのは自分達だ。

コロナ以降、田舎へ引っ越してくる人が増えたが、都会へ戻っていく人ももちろんいる。地方都市で落ちつく人もいる。きっと何かを得て、戻っていったり、他の場所へ移動していったのだろう。それでいいのだ。

環境をガラッと変える事で、思いがけない人生の道が開く事がある。

どこか固定観念で、田舎に引っ越したら田舎暮らしをしなくてはいけないと思っていたし、周りの人からもそう言われていた。

ところが主人が田舎へ引っ越して来れたのは、元々在宅ワーカーだったからだ。それを横で見ていた私も興味が出た。そんな時に舞い込んできた在宅ワークの仕事。夫婦で国をまたいでも仕事ができる体験した。この事から、田舎に引っ越したからといって、ずっと田舎にいなくてはいけない訳ではないと気づいた。要はベースをどこに置くかだと思った。知らず知らずのうちに、こういうものだ。こうであるべきだ!と人は思って過ごしている事が多くあると思った。経験が気を楽にしてくれた。

放し飼いの馬たち

平日は、PCとにらめっこして仕事をし、夕方から海沿いを散歩、土日は山にハイキングに出かけたり、海へ釣りに出かけたりする生活。時々都会に出てみたり、別の場所へPCを持って旅にいくのが私達のスタイル。

どっぷり田舎の生活を楽しむ事もいいと思うが、私達のような生活もありだと思う。

「人生を生きるのに選択肢は無数にある。それを選ぶのは個人の自由だ」

もう私達の生活に植樹された日本の桜はない。でもハイキングをしながら、山桜を愛でたり、ワラビを採取して旬の物を頂いたり、上を向けば木々が芽吹く生命力を感じ、下を見れば、海の青さと波の音、緑の中にある小川の流れ‥‥五感が満足している。

どこまでも続く道

「都会にはないものが、ここにはある」

寒かった冬が過ぎて、ワクワクする春がやってきた。
スペインの春は一瞬で過ぎていく。ぼやぼやしている時間はない。
春は色んな事を始めるにはいい季節。

迷ってる事があるなら、思い切って全焼してみよう!

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