見出し画像

釣りは人生のバイブルだった

目に見えるものが全てではない。そう知ったのは、釣りを始めてからだ。

釣りには不思議な魅力があった。

どこまでも広がる青い海。波の音と時々聞こえるカモメの鳴き声。
遠くで誰かが話す声が聞こえるが会話までは聞きとることは出来ない。

堤防のヘリに座って、竿を振りかぶる。釣り糸の先がある海の中の様子は外からは見えないので、竿を持つ手の感触だけが頼りである。

トトン トトンと糸を引く感触があった、一瞬ためて、すぐに釣り竿を大きく引く。これを釣り用語で合わせるという。
うまく合うと魚がかかる。でも慌ててはいけない。釣り上げるまではまだ分からないのだ。合わせがあまいと、釣り上げる前に逃げられてしまう。魚が掛かってからも気を抜いてはいけないのだ。
頭の中で魚の動きを想像する。どんな魚で、どれくらいの大きさで、岩の下に潜り込む賢い魚もいる。自分がいるところから、魚が釣れた場所までどのくらいの距離があるのか、波がどの方向へ流れているのか、海の中の様子を教えてくれるのは、たった1本の竿のみである。

釣りを始めた頃、近所に住む叔父さんから釣りのいろはを教わった。とにかく投げろ。まずは、真っ直ぐに釣り糸を投げれるようになる事。それが出来たら、ひたすら条件を変えながら投げ続けて、沢山体験を重ねていけ。以上。

今の時代、インターネットを使えば、色んな情報が手に入る。日の入り、日の出の前後2時間が釣れやすいとか、潮目の当たりに魚が溜まりやすいとか、干潮と満潮で釣れる魚が違うとか、目に見える情報だけを頼りにしても釣れるとは限らない。情報がどの場所にも当てはまるとは限らないからだ。
とは言え、その情報も含めて何度も経験を重ねて行くことで、どの辺りにどんな魚が生息し、どの時期にどの魚が堤防に入ってくるのか見える(想像できる)ようになってくる。

不思議だが、魚が食いついた瞬間に、魚の種別や大きさまで分かるようになってくる。見えない海の中が薄っすらと見えるようになってくるのだ。

おじさんが堤防でぼーっと現実逃避をしているものだと思っていたが、そうではなかった。結構、頭を使うのだ。

釣りは奥が深かった。やってみないと分からないものである。

この感じが何かに似ているなと思ったら、SNSという大海を相手に生きる現代社会と重なるような気がした。
目には見えない誰かに向かって、色んな情報を投げかける事で反応を探す。
1つの情報が人を喜ばせる事もあれば、怒りに変わることもある。
人を感動へ動かす事もあれば、悪へと誘う事も出来る。

目に見えないからこそ、大切にしたい感情や想像力を養う経験。
目に見えるものが多いからこそ、見極める力とその使い方を知ること。

現代の荒波は、簡単便利なようでなかなか難しものである。
そんな時こそ、釣りをしてみてほしい。
すぐに結果を求めず、じっと待つ時間も必要であるし、チャンスがきたら飛び乗る事も必要である。

釣りは色んな事を教えてくれる。

さて、今日はどこで釣りをしようかな。

釣り場


この記事が参加している募集

釣りを語ろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?