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麹の世界に足を突っ込んだら、ぬけなくなった

発酵の世界は人生の余白を楽しむ世界だった。

以前、実家に遊びに来た画家の友人が、「縁側」がとても気に入り、絵を描きながら話していた事を思い出した。

昔はどの家にもあった縁側が、現代の家にはない。何故ならあっても無くても暮らしに困らない場所だったから、真っ先に排除されてしまった。
いわば、家の余白の部分だったのだ。
昔はこの余白と思える縁側で何をしていたのか。サザエさんを思い出してみて欲しい。縁側は庭に面していて、庭で遊ぶ子供をみたり、ご近所さんとお茶をしたり、将棋をさしたり、新聞や本を読んだりする。余暇を楽しむ場所だった。家族が集う場所はお茶の間だけではなかった。

友人は、この縁側のように人生にも余白が必要だと言った。やってもやらなくても良いことを大切にする時間が必要だと。意味が分からず、遊んだらいいのか?と思っていたけど、今なら分かる。

水瓶とアヒル

私はせっかちで、口癖は、「効率」と「断捨離」だった。そんな私が、出来上がるまで時間がかかる発酵の世界に足を突っ込んだ。

理由は2つ。
1つ目は、海外生活というのに加え、田舎への引っ越しで日本の調味料が手に入りにくい事。そして日本の品物はすべて異常に値段が高かった事。
2つ目は、発酵ブームがやってきた事。ブームには一応乗っかるタイプである。

この2つが重なって、始めてみることにした。

正直、発酵は手間も時間もかかる。アジア食材店やネットで調味料を買ってしまえばそれまでである。お金はかかるが、別に作らなくてもいいのだ。むしろ買ったほうが時間もかからず、毎度同じ味に作ることができる。お手軽で失敗しない、裏切らないのが市販品の良い所だ。

逆に、手作り調味料は作り手によって、味が変わるし、分量や季節、使った食材でも微妙に異なってくる。特に発酵調味料の大元である、米麹に使うお米1つとっても、種類や水分含有量、産地、季節などで味や甘さも全然違うのだ。そして出来上がりもパラパラしたもの、ベタッとくっついてしまうものと違いがでる。

だから、各家庭のお味噌も驚くほど違う味になる。この違いが面白くてハマってしまった。
皆と同じより、個性がバラバラな方が好きな私のツボに入ったのである。

バラバラな石の像

麹を始めとする発酵調味料は美味しいと思う。でも使い始めたら体が良くなったなど、今のところ実感するような事はない。何かしら良いのだろうとは思って使っている。健康志向というよりも、自分で調味料が作れる喜びや、面白さが勝っているのが正直なところだ。

余白の時間を大切にしたら、余白以外の時間が充実しだした。

発酵は奥が深く、容易にいかない事が、せっかちな私をのめりこませた。
普段から「効率重視」「すぐに断捨離」とせかせかしている私もこの時だけは、「待つ」のである。たまに、生き急いでるのかと聞かれるほどせっかちだった私だが、待つ時間の楽しみを知った事で、生活の中に静と動を保つ事が出来た。

静の時間が有ることで、動の時間に気づかなかった事に気がついたり、発見できたりする。
例えば、発酵食品が身近なところに沢山あった事に気がついた。手作り出来る事で、我が家の家計にも優しなる事も分かった。

なにより楽しみを分かちあえるスペイン在住の発酵仲間も出来た。これが一番大きな事だった。海外生活をする中で、悩みも楽しみも共感できる仲間たち。

発酵の世界を知ることで得たものは1つだけではなかったのだ。

自分の人生に何か物足りなさを感じたら、もしかしたら余白が足りてないのかもしれない。ぜひ余白の時間を設けてみてほしい。そして、その時間を思いっきり楽しんでみてほしい。そこから新しい人とのつながりや今まで知らなかった世界を知るチャンスになるかもしれないから。

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