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北スペインの港町の紫陽花が「季節感」を思い出させてくれた

なぜ季節を感じる事が大切なのか。
それは、「季節を感じている時間=心の休息時間」ではないだろうか。

スペイン移住前、鎌倉で暮らしていた私の手帳は予定でパンパンだった。次から次へと予定をこなし、予定をこなす事が生活になっていた。むしろ、予定がないことが「悪」に感じられ、不安に感じることさえあった。
時代の変化と共にどんどん機械化され便利になっても、空白ができるとすぐに予定を入れてしまっていた。

こんな私でも、唯一ちゃんと季節を感じる時間があった。それは横浜に住んでいる伯母との時間だった。伯母夫婦には子供が居なく、田舎から上京して一人暮らしをしている私をとても可愛がってくれた。自宅からそう遠くない場所に住んでいた伯母の家を月に1度訪れ、手料理をごちそうになるという毎月の予定があったのだ。

伯母が私達夫婦の為に用意してくれたご飯

伯母は、我が母とは全く違う顔立ちで、清楚なべっぴんさんである。茶道の師範をしているので、日常でも着物でいる事も多く、その姿はまるで百合の花のような凛とした佇まいである。ただし、喋らなければの話である。やはり我が血筋が邪魔をしてしまい、喋ると残念なまでにお笑いの方へと走ってしまう。お酒が入ると更に加速する。外見とのギャップもあって、周りからは「黙っていれば綺麗なのにねー」と残念がられている人でもある。あらためて血筋とは恐ろしいものだなと思う。

こんな伯母ではあるが、若い頃から茶道や生け花を始め、「季節感」をとても大事に暮らしている。

伯母の家の茶室

自宅に茶室があり、遊びに行くといつもお茶を立ててくれた。この時間こそ、私が唯一「季節を楽しむ時間」だったのだ。

夏になると、伯母の着物が薄手に替わり、茶室の炉も、夏場は「風炉」という置き型の物に替わり、見た目も涼やかになる。
壁の掛け軸や、生け花、お茶菓子、茶器も全て季節によって移り変わっていくのだ。それらを見ながら季節の移り変わりの話をする時間こそが、茶道であると思った。茶道は、お茶菓子を食べ、お茶を飲む時間ではないのだ。

私は茶道は習っていないので詳しい作法は知らないが、伯母は作法よりも季節を楽しむ事が大事だからとは言っていたが、楽しんだ結果、最低限の作法は身につける事ができた。

大好きな生菓子

スペインへ移住が決まった時、あれだけ作法は後回しと言っていた伯母が、こんな事ならちゃんと教えれば良かったと悔しがっていた。確かに私もちゃんと習えば良かったとは思った。時すでに遅し。
何はなくともと、嫁入り道具として、鉄瓶、茶器セットを渡され海を渡ってきた。

スペインの紫陽花

季節感を思い出したのは、北スペインの小さな港町で暮らし始めてから。
夏にはこの町のあちらこちらで紫陽花で見かけることができる。紫陽花を見るたび、大好きだった鎌倉とお茶会で鎌倉に来た伯母との食事会を思い出したのだ。風情を感じる鎌倉の景色と、器の中の旬を感じる料理。

懐かしくなって、家に一輪持って帰って飾ってみたら、我が家の玄関に夏がやってきた。

日常の片隅に季節を添える。そうだ、これだ!すっかり忘れていた。

今では、朝から鉄瓶でお湯を沸かし、玄関には季節の花を飾り、旬の野菜を食べ、「季節感」を意識して暮らしているのは伯母の影響に他ならない。

ハイキングコース

田舎の生活をしてみたくても、なかなか都会の生活からすぐに離れる事は難しい。自分なりの季節を感じる時間は人それぞれ。旬の美味しいご飯やスイーツを誰にも邪魔されずに堪能するのも良し。ハイキングやキャンプを仲間と楽しむのも良し。

日常の中に、ゆっくりと季節を感じる時間を持つことで、忙しく慌ただしい現代でも乗り越えて行けそうな気がするのは私だけではないと思う。

灯台と春に咲く花

最近、いつゆっくり季節を感じましたか

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