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日本語教師コラム:#4.授業中に使うべき日本語とは?

こんにちはお疲れ様です。
今日は日本語に関するお話です。

私は定期的に悩むのです。私の日本語は果たして一般的な日本語なのだろうか。ということです。
私は日本語の教師になるべく資格を取ってはいません。なので3年ほど独学で日本語を教えるとは?ということを実践の中で四苦八苦してきた人間です。もしかしたら資格を持っている人はこんなことで悩んだりしないのではないだろうかとも思ったりします。

例えば、日本語の先生がよく使っている「みんなの日本語」という教科書。この教科書は文法を勉強するにはとてもいい教科書だと思います。
しかし問題や例文を見ると私に取っては少し時代遅れな日本語だと感じる時がたまにあるのです。「そんな日本語今は使わないよ」というような日本語ですね。

なので、私は例文は使わず自身でオリジナルで作成した資料を使いながら文法のみを教えていくような授業をしています。

加えて、同じようにフランスの日本語学校では日本人の先生が何人かいらっしゃいます。その方達は20年以上ヨーロッパで生活をされているようなジェントルマンやマダム達も多くいます。
その方達の日本語が私には分からない時や、懐かしいなと感じるような日本語の時もあるわけです。一方で、今年大学を卒業したばかりだというとてもフレッシュな日本語の先生もいます。
その方の日本語は私の知っている言葉とはそれほど変わらないのですが、ニュアンスや意味が少し違う時があったりするんですね。

言葉は生き物なので、毎年新しい言葉が生まれたり新しい使われ方をするというのは理にかなっていると思います。

しかし、もしそうなのであれば一体どの日本語を生徒さんに教えていくのが正しいものなのだろうかと思わずにはいられないのです。

もちろん、そう言うと変化の大きい言葉はほとんどスラングや若者言葉で正しい日本語ではないから気にする必要はないと言われたりもします。
ただ、そうとも限らない場合が多々あったりするのです。

私はもともと大阪出身で、大学を卒業して仕事をするようになって東京に出てきた人間です。その当時はおよそ10年以上前ですが、大阪弁で「行けたら行く」と言う言葉は、大阪人がよく使うお誘いを受けた時の断り文句として使っていたものでした。
これは大阪の文化的な言い回しなようです。普段は思っていることをはっきりと言う大阪人ですが、商人の街と言う立ち位置的にお店の立場とお客さんであるお得意さん(武士や貴族)に対してははっきり言うと角が立つために
断る際は「行けたら行く」「考えておく」などの曖昧な返事がここに限り発達していったらしいです。

なので、この言葉は少し前までは"大阪"の断り文句だったわけです。
しかし今の東京の若い人たちの中ではこの言葉が知らぬ間に浸透していて今ではSNSでは「行けたら行く」は断り文句として東京の人たちも使っているようです。
私が東京に来た当時、この「行けたら行く」を知らずに使ってしまいいかなかった際に「行けたら行くと言ったくせになぜ連絡一つしてこなかったんだ!」と何人かの友人や上司に怒られたことがあるのでとても覚えています。しかし今では、こう言うふうに怒られることもないのかもしれないなとふと思ってしまいました。

私以外の先生もこの問題について考えたことがある人はいるのでしょうか?
日本語は表現力が豊かで語尾や1人称や2人称で話し手のキャラクターや立場などを表現することが出来る言語でもありますね。

他にもカタカナの言葉でもいくつか新しい言葉が生まれて使われることが増えているのではないでしょうか。エビデンス、アジェンダ、サブスク、エッセンシャルワーカーなど、IT業界の発達により急速に広がっていったカタカナの言葉もあるように思います。

もちろん、日本語を勉強している生徒さんの用途や目的によって教えていく日本語を変えていくと言うのも大事だと思います。
どうしてもアニメが好きな生徒さんは、そういった新しい日本語にはとても敏感です。これはどう言う意味ですか?とよく聞かれます。それが正しい日本語かどうかは関係なく、アニメでは日本語として使われている以上は日本語として教えなければいけないという状況はあると思うのです。

こういったものを考え出すと、私の日本語も常にアップデートして生徒さんに教えていかなければならないなと強く思ってしまいます。
古来から伝わる奥ゆかしい表現や古語に近い言葉ももちろん美しい日本語の一つではあります。しかし教科書通りの日本語だけが”正しい”日本語ではないよなとはたまに思います。

ではここまで読んでくれてありがとうございました。
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