見出し画像

2023.6.15 教科書が語らない徳川家光の本当の凄さ

徳川家光は病弱なオカマ!?

幕府要職に就く誰もが、
「家光に将軍なんか務まるわけがない」
と笑いました。

しかし、いざ家光が将軍になると…。

徳川家光は、絶対に将軍なんかに選ばれるはずがなかった。

なぜなら、一説によると家光は、男が好きで、化粧を好んでおり、化粧をした自身の姿を見てはうっとりしていたからです…。

よもや国を統治する将軍にそぐわない…。

更に、家光は幼少期は無口で病弱でした。

その結果、家光の両親は“心身に難あり”と判断し、家光のことを忌み嫌っていたといいます。
そして、家光のことを嫌っていたのは両親だけではありませんでした。

弟の徳川忠長もそうです。
家光と次期将軍の後継争いをしていた忠長は、おおよそ次期将軍の器になり得ない家光の姿を見て、
「こんな病弱な奴に負けるわけがない」
と、余裕の表情を浮かべていました。

病弱で女々しい家光と、勉学に優れ容姿端麗な忠長…。
さらに、国民も忠長の方が、次の三代目将軍に相応しいと思っていました。

しかし、そんな
「家光を将軍にするわけにはいかない」
という意見で満場一致していた中、一人だけ異を唱える者がいました。

その人物こそ、江戸幕府初代将軍であった徳川家康でした。

後に大御所となった家康は、家光の父で二代目将軍秀忠にこう口を開きます。

「お前たちが家光を嫌い、弟の忠長に家督を継がせようとするなら、私は家光を我が子となし、三代将軍とする」
大御所であり、信頼も厚い家康の意見は強いものでした。
こうして、誰も納得できないまま、家康の一存によって、家光は将軍になったのです。

ですが、後に、家康の判断は正しく、慧眼であったことが証明されます…。

それは家康が死去し、家光が三代目将軍となった後のことです。

ここから先は、貴方に、教科書でカットされた"家光の本当の凄さ”を書き綴っていきます。

家光の存在は誰もが知っていますが、彼の偉業とも呼べる本当の実績は、日本人の99%が知りません。

実際に教科書にも載りませんし、日本史の中で紹介されることはほぼないからです。

しかし、世界史料から徳川家光を読み解くと、海外勢力の侵略を阻んだ偉大な英雄として浮かび上がってきます。
そして、これは現代を生きる私たちにも関係がある話です。

この記事の続きを見てもらえれば、私たちは家光のおかげで今の日本で生きられていることが分かるはずです。

家光が海外勢力からの侵略を防いだカラクリとは?

そして、家光にしか成し得なかった英断とは?

このような謎を、本記事で読み解いていきます。
それでは、病弱なオカマが将軍となり、日本を救った徳川家の秘史を書き綴っていきます…。


スペイン宣教師の侵入を助長した家康の誤算

ここから先は

4,390字 / 1画像

¥ 166

この記事が参加している募集

世界史がすき

日本史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?