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自主映画を、撮る。その8

話はいきなり、撮影初日まで飛びます。

藪から棒に、とはいえこのくらいが自主制作感があって丁度良いのではないかという謎の開き直り。当初の予定通りクランクイン1週間前には全稿出揃った形、しかし各人が当日までこっそり温めてきた「隠し球」の存在をひしひしと感じた現場初日。様々な思惑が交錯する様子を、主宰考案の拙い80s風メイキング映像と共に振り返ってまいります。

VHS Camcorder主体のローファイ映像でお送りする意図。

無論、第1回企画会議で生まれた制作コンセプトに今一度立ち戻る。つまり「いまを未来に遺す」という大前提を易々と崩す訳にはいかず、いずれ時代遅れの代名詞として語られるだろう流行り技術でもって現在を切り取る姿勢を恐れない。そう考えた時に、主宰目線いの一番に取り上げるべきイシューと映ったのは先の「80sリバイバル」。

ある種の「周回遅れ」感が回りまわって新しいのだという新機軸、いずれ10年20年後に本作を観返した時に感じる懐かしさと新しさのコントラスト、そうしたカタルシスすら想定したモノづくりを目指して。あくまで主宰が幼少期から馴染みの深いフォーマットに敢えて固執することで生み出せる普遍的価値のようなものがあるのだとすればそれは。

「絶滅危惧種」としてのコント形式。

志村けんさんの逝去以降、本格的に民放から「コント番組」が消えつつあるという事実。ならば自らの手で後世代に語り継ごうと。例えば氏の魅力は作り込まれた面白さであり、フリーハンドゆえの予測不能感であり。理性と感覚との融合が生み出す笑いや感動にスポットを当てた結果、自ずと「オムニバス」形式へと流れ着いた。

それは自身の「ジャズ演奏歴」とも絶妙にリンクしていて。「一回性」ならではのアクシデント/トラブルすら作品性に閉じ込める姿勢、すなわちタテ社会とも予定調和とも無縁な世界線を模索した結果。「オムニバス」かつ即興性の強い「コント形式」へと落ち着いた経緯がある。正直、撮影当日役者や撮影班に初めて伝えた設定/裏テーマは数知れません。

「想定外」を指し示された時こそ、演者個々人の本性が顕になる。

むしろ主宰はそうした振れ幅込みで、今回のキャスティングに落ち着いた意識が非常に強い。つまり音楽的に言えば「楽譜にない」表現ができるかどうか、「演者主導」を貫けるかといった部分に最大限注力した。この人ならこう処理するだろうなという淡い期待のもと、それが大きく「裏切られる」余地を残しつつ演出プランを練る。

当日、現場で擦り合わせてこそ生まれる質感やリアリティがあります。自分はこう解釈したんですけど、の声を聞く度に感じる興奮とスリルは正直筆舌に尽くし難い。無論その場で展開を変える用意も、敢えて突っぱねて作品性に溶け込ませる覚悟もあった。しかし幸運にも後者が杞憂に終わり、作品性を増幅させる方向に撮影作業が進んだ。

メイキング映像だけで、果たして熱量がどこまで伝わったか。

とはいえ完成品が手元に届かぬ限り、なるべく本作の根幹やプロット/裏テーマへ具体的に踏み込むべきでない。映画は完成してこそ映画たるもの的意識でもって後輩作撮影に同行、昨今のストリーマー界隈に着想を得たストーリーを下地に地元駅前を闊歩。前述の「地域性」「振興策」としての側面は強く打ち出せたかなと、あとは読者様方の意見次第。

繰り返しますが本作は「今しかできない」作品を収め編集し、後世へと語り継ぐことを主としている故。その後作品性がどう変化したか、新たな局面にどう向き合ったかを書き残す価値は確かに一定ありそう。ではこちらもお蔵入り案ですが挙げていきましょうか。順行/逆行を活用したかつてないスケール感に、主宰は思わず唸った。

後輩作品『Loss Time』(仮) 企画要旨

・母校周辺をメインとした地元PRムービー。馴染みの飲食店や観光地、過去作にちなんだ撮影現場を映画に盛り込む

・妻の帰省中、主人公が旧友へ「映画を撮らないか」と声を掛ける。実際に会ってはくれたが仕事、結婚、家庭の理由で制作協力は難しい

・落胆はしたものの、旧友と再会したことで「思い出は思い出のままが良い」と気付かされる主人公 end

※この物語はフィクションです

「ほのぼのムービー」と侮るなかれ、ここからが問題。

前回挙げた主宰のボツ案『めぐりあう』ともオーバーラップする部分が多い、ところが大きく異なるのはこの先。つまり本作には特筆すべきギミックが隠されていて、それは「ストーリーを正順で追うと喜劇、逆順で追うと悲劇になる」というもの。つまりオープニングから観るか、エンディングから物語が始まるか、解釈によって結末は一変します。

冒頭、マンションの屋上から浮かない表情で街を見下ろす主人公。その後ろで母子死亡のニュースが流れ、タイトルドーンといった具合に始まる。ところがエンドロゴではなぜか作品名が反転し『Time Loss』と映し出される、その理由はお察し下さい。活動再開一発目になんちゅう意欲的コンセプトを持って来るんやと、しかしサイコー。

(次回へ続く)



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