- 運営しているクリエイター
#ショートストーリー
【ちびまあ】靴下
過保護。幼少期口さがない連中にしきりに言われたものだった。特に抗うこともない。
なんせ小学校上がるまで靴下を履かせてもらっていたからだ。
上には上がいるものだ。親戚のSは中学生にもなって母親に脱がせていたという。
7歳にはまだちと早い
15歳にもなればおまえにもわかるだろう。
脱ぎたての靴下に頬ずりしておけ。
そして鼻をつくにおいでこう悟るがよい。
なるほどこれが母のぬくもりか!とな。
【ちびまあ】龍馬ごめん
夏だというのに、やたら寒かった洞窟で、コウモリに襲われるのでは?と天井に気を払っていたら、滑りやすい床下を軽んじて転んでしまったり、ごめんという駅名に『なんそれ!なんで駅が謝るん?止まらんから??』と笑ってしまったり、肝心な幕末の風雲児にまつわる記憶が全く残っていない。
子供を旅行に連れて行く目的が教養なら、やめとけ!
【ちびまあ】おばあの器用貧乏
おばあ(髙橋キヌ子)は天才だった
おじいにも通ずるのだが
それぞれ長短補い合っていたはずだ
お互い共通しているのが、器用
なかでも手先が器用なのである
まだ小さな頃俺のためにこしらえてくれた
小物入れは今でも部屋に保管してあるし
おばあが働いていた頃は
おかあの服も用意していたそうだ
そういうおばあは、どこか抜けている
これはいったい?!
晩年は孤独だった
恨み節も多かった
【ちびまあ】こんぴらさん
江戸時代の庶民の夢は、お伊勢参りとこんぴらさんだったという
どうやら我が家はご先祖様の夢を叶えたということになる
このうち、こんぴらさんは、何度か参拝させていただいた
それぞれおもいでがある
とある方の受験祈願に御守を購入しにいったり
本堂までの石段は何故785なのか?
悩む(786)一歩手前という雑学を学ばせていただいたり
特に印象深いのは、家族で訪れた時の事
まだ小学校上がる前
【ちびまあ】ピーチ🍑
果物が好きだった
子供の頃は偏食気味だったので
といってもリンゴとバナナばかり
ぶどうは最初ニガテだったし
小学校を偶然?訪れた外国人が
ぶどうジュースを振る舞ってくれ、
どうにか食べれるようになった
梨にしても抵抗があったが
いざかぶりついていくと
瑞々しさが癖になっていく
パイナップルやグレープフルーツだって
マンゴーだってキウイだってイチゴだって
最初はとっつきにくかっ
【ちびまあ】民
みんみ~んみ~ん..うるさい蝉だ
痛い痛い痛いと嘆いているよう
バンッ!
なっなんだなんだ!?
「僕には権力がない、権力がないんだ!!」
机にあたんな何いってんだ?コイツ
今なら少しわかるよ
痛かった
痛かったおまえの気持ちが
言いたかったおまえの気持ちが
み~んみ~んみ~ん..
さてさて選挙でもいくか
【ちびまあ】ピリオド
集団検診が苦手だった。
最寄りの担当医が定期的に小学校を訪問するのだが、..正直よく覚えていない。人は真の恐怖を体感したり忌まわしい体験は記憶から消去されるというが、まさにそれである。
何故ここまで臆病なのだろうか・・
ご先祖様の誰かが医療ミスで命を落としたかそれに準ずる何かがあったようにしか思えないのだ。その因縁が潜在的にDNAとして受け継がれているに違いない。
バカバカしい?決して大袈裟で
【ちびまあ】いんすたんらーめん
今のように好きな音楽を自由に聞ける時代ではなくて、思春期の頃の我々は、街の貸しレコード店で、CDを借りてダビングする。それを友達や仲間でシェアする。これがひとつのコミュニケーションでもあった。
そういえば
K生君という勉強熱心スポーツ万能イケメン長身なのにどういうわけだか人気のない不思議な同級生がいたのだが、
ある時●●の曲をダビングさせて!とお願いしてきた。
お!センスええなあ♪
好きな
【ちびまあ】水泳はなんのために?
水泳が苦手だった
カナヅチでもないのだが
息継ぎの呼吸がぎこちない
何の因果か水泳に力を入れており
25m泳げないのも私と何人かしかおらず
また小5時代の担任が大変熱心な人で
「まあとしくん(つまり私)特訓や」
こうして放課後市民プールに連れて行かれるのであった
結果的にそれなりに克服できたのだが
あれから三十年
いまだかつて泳げるようになってよかった
そう思ったことは一度もない
目の保養に
【ちびまあ】彫刻刀
彫刻刀の使い方ひとつでもセンスは問われるものだ。
「花子」
好きな子の名前というていで刻んでみた
いきなりは失敗しそうだったから
‥‥不評だった
ある疑問が浮かぶ
俺の手先が悪いのか当時人気芸人さんの名前負けなのか
不評どころか不興を買いたくないので
この辺にしておく
何者かにKissの嵐と刻まれた、まあでした