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茶室建築 Tea-Room
2020年8月14日 12:11
「猿面茶席(さるめんちゃせき)」利休の弟子で、利休の死後は徳川家の茶道指南役となった、古田織部(1544-1615年)の意匠と伝わる茶室。家康の城・名古屋城築城の際に、清洲城(信長の城)の古材を利用して建築されたそうです。信長が清洲城にいた頃、枝を払った節目が二つある柱がありました。それを見た信長は秀吉に向かい、「汝の面のようだ」と戯れたそうです。その柱が床の間の柱(床柱)に使われ
2020年6月22日 11:39
「湛浩庵(たんこうあん)」別名は吹毛軒。三畳半の大きさに一段上がった「文琳棚」のついた茶室。石田三成と友好を深め、太閤秀吉を強力にサポートした博多の豪商・神屋宗湛の茶室です。戦国後期には、秀吉や側近の三成をもてなす商談・政談の場としても使われましたが、江戸中期から転売され人手に渡りました。その後、平岡浩太郎氏という方に買い戻され、平岡邸の中に納まります。平岡氏の名と神屋宗湛の名