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【ショートショート】さよならすきすき
「私達、もう別れよう」
そう私が切り出した言葉に、目の前の彼氏は真っ白のコーヒーカップを一すすりした。ごくりと喉を通った真っ黒のコーヒーが、彼氏の答えだった。
私はまるで怯えながら剣を握るようにして決死の覚悟で振るった別れの言葉だったが、彼氏との温度差はその剣を冷やす冷水の如く。「そっか」の一言が微かなコーヒーの匂いと共にこぼれる。静かなはずのカフェで、全ての音が大きく聞こえた気がした。
ずずっと彼氏が、いや彼が椅子を引く音。ポケットから取り出した財布から五百円玉がことりとテーブルに置かれる音。「じゃあな」と申し訳程度に振られた手と彼の声。
それは三年間の交際期間がまるで嘘だったかのような、終わりだった。
あまりにも呆気のない終わりに涙も出ない。代わりに私の体内から外へとこぼれたのは、乾き切った小さな笑い。手切れ金のような五百円玉を握り締め、椅子から立ち上がりカフェを出た。祝日の金曜日の夕方。暗くなり始めた空に向けて準備をし出す飲食店の看板達。ぶるりと体が震えたのはきっと寒さのせいだ。
「……何でとか、一言もないんだ……ウケる……」
こつこつとヒールがアスファルトを踏む音に紛れさせるように、小さな声で呟く。言葉とは裏腹な、小さな小さな声で呟く。
分かっていた。この三年間が無駄な時間である事など。彼の浮気に気付いた一年目の秋で、別れておくべきだったのだと。気の迷い。魔が差した。本当に好きなのはお前だけ。今になってようやく、そんな言葉はどれ程薄っぺらいものだったのかを思い知る。
都合の良い女をキープしておきたいが為の、都合の良い言葉。好きになったが最後だった。薄っぺらい愛の言葉を盲目的に信じた。
そしてそれを信じた自分を裏切りたくなくて、彼の好きなところではなく、別れない理由だけを探して自分を騙し続けた。ああ、そう言う取り戻せないコストを取り戻そうとする言葉があった気がする。最近、転職に向けてウェブマーケティングを勉強中の同僚が言っていた。何とかコスト、ダメだ思い出せない。
「取り戻せないものを取り戻そうとするなんて無駄だって、笑ってたのになあ……」
あの瞬間の自分に大声で言ってやりたい。お前はそのコストを取り戻そうと必死なのだと。最終的に取り戻せたのは、たったの五百円ぽっちなのだと。
はあーっと溜め息を吐き、沈み込んだ気持ちの尻を蹴り上げる。こんな時は酒を飲むしかない。そう思考を切り替えアスファルトばかりを見ていた顔を上げると、炭火のおいしそうな匂いが鼻を掠めた。匂いの製造元へと足を進めれば、雰囲気の良い裏路地の焼き鳥屋。ちらりと店内を覗けば客はまだ不在のようだ。
「よし、食べて飲んで全部忘れてやる! すみません、一人なんですけど大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよー! お好きな席へどうぞ!」
にこりと微笑んだ店主に安心して赤い暖簾をくぐる。そうだ、あんな男から離れて私は大空に飛び立つんだと思うのも悪くない。たくさん焼き鳥を食べれば、羽だって生えるかも。
「とりあえず生ひとつ!」
だいぶ前に書いて放置していたやつ。
夕方の居酒屋街が少しずつ電気を点け始めていくあの時間、好き。
下記に今まで書いた小説をまとめてますので、お暇な時にでも是非。
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