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頭のネジを緩めるために、異世界転生作品を読もう

SF作品は発想の源泉

しばしば発想法に関するノウハウにおいて、SF(Science Fiction)を読もうというキーワードがある。未来やIFの設定で物事を見ることで、従来の視点から離れた発想が得られるという。

この方法は理にかなっている。

1990年代後半にホンダがASIMOを発表したときに、欧米の科学者はなぜ日本の科学者や技術者が二足歩行のロボットにこだわるのかが理解不能だっただろう。二足歩行のロボットは技術的に難しく、安定性に欠けるので意味がないと考えただろう。

この背景にはアニメ「鉄腕アトム」が深く関わっていると言われている。日本の科学者や技術者は鉄腕アトムからインスピレーションを受け、ロボットは人間とフレンドリーでなければならないという思想があったらしい。

今なお古いSF作品は多くの人を魅了し、未来への指針としている。

SF警察と作家の苦悩

しかし現代社会においてSFを描くのは容易ではない。SF警察という人たちがせっせとSF批判をするからだ。

以下は「彼方のアストラ」という作品へのレビューである。自称SF好きが物語や設定にネチネチと揚げ足取りのレビューを書いている。SF漫画なんだから、色々と設定に無理があるのは当然である。それをいうならワープ自体が現代科学では説明ができない。

彼方のアストラの感想

もっともゴジラやウルトラマンのような作品にツッコミどころが多いのも事実である(もっとも自分もツッコむ方であるが)。空想科学読本によって、過去の作品に徹底的なツッコミがされている(ただ柳田理科雄氏はきっと心底SF好きだと信じている)。

近年のSFの科学的考察

近年公開されている、シン・ゴジラやシン・ウルトラマンでは結構その辺が修正され、現実的になっている。ただこれらの作品にはSFの自由度が制限されている感は否めない。

現代においてSF作品を作るにはかなりの科学的教養が求められている。中国の「三体」は恐ろしく緻密な科学的考察がなされており、私レベルでは三部あたりのストーリーには付いていけなくなっていった。著者の劉 慈欣氏は本業がエンジニアらしく、並の教養ではないようだ。

もちろん緻密に考え抜かれたSFは素晴らしいが、このレベルを全ての漫画や小説に求めるのは不可能である。たとえそれがジャンプのような商業誌の、プロの作家にとってもである。

異世界転生が現代のSF

SF警察の私的締め付けが厳しすぎて、並の作家では科学的考察が追いつけなくなったときに現れたのが、異世界転生かもしれない。異世界であれば地球の歴史も物理法則も無視して良くなる。

魔法もモンスターもなんでもありである。現代知識を異世界に持ち込んで無双するのは、科学や歴史の学習にもなる。

Dr.stone(異世界ではなく未来だが)などがその典型である。ちょっと古いがJINなどもそれに近い。現代医療の知識を江戸時代に取り入れたらどうなるかが深く考察されている(この二作はかなりの科学的考察が取り入れられているけれども)。

異世界転生には島耕作や烈海王が直接出向いている、スピンオフ的な作品も出てきている。これは「ルビッチならどうする?」という思考法に似ている。この人物が異なる環境に置かれたとき、どう行動するかを実践しているとも言える。

そんなわけで、異世界転生作品をただのブームと見ずに、食わず嫌いをせずに一読してみるのはいかがだろうか?

でもそのうち異人種なんかも差別だーとか言い出す人出てくんのかな?異世界転生モノの作法とか唱える人が出てくるのだろうか?人気が出たモノが叩かれるのは日本の悪癖なのかな?

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