家族をケアする人にこそ、メンタルケアを。
心療内科の診断は受けていませんが、おそらく先月ウツでした。
酷暑のなか、5個くらい荷物を抱えて、自宅マンションの共用廊下を歩いていたとき。なかなか子どもたちが進まないけど、怒ってもしょうがない。トボトボ後ろをついていってふと空を見た。
「あー…そろそろ死にたいなあ」と思ったのです。
「夕焼けがキレイだなあ」のトーンで。
わたしが通常の精神状態のとき
「死にたい」にこめられる意味はネガティブ一色。
いろいろあるけど総じてイケてるせっかくの生命活動を自ら停止したいとは、生物的にも逆らっとるし、不自然なことなんじゃなかろうか、やっぱり人は生きたいよね、と思っていたのです。
ところがウツ状態のときにある「死」は
ポジティブです。
「解放」を意味するから。
この対応しきれない状況からの解放、救い、卒業。
手段がたまたま死ぬことなんですね。
で、この意識を持った時に思い出しました。
過労がたたってウツになり、自殺をしたくなる心理は
「もう生きなくていい。もう〇〇しなくていいんだ~(希望)」だということを。
ああ、やっぱあたしおかしいわ。
と客観的に見られたので、まず夫にかくかくしかじかと連絡。
夫は深夜帰宅の早朝出社もしくは徹夜なので、会えないからLINEで書く。
夫の取った行動はスルー。
まあ、忙しすぎるのでしょう、それか夫もウツかもしれません。
なので、面と向かって言ってみました。家庭運営に支障が出るので。
でもやっぱり「……」。
無言でした。
10年も一緒にいると、こんなもんだろうと思っていたし、
問い詰めるエネルギーもないので、休むことにしました。
私のなかでは大英断です。
休むって……ここ何年もやっていなかったので。
原稿もかけなかったのでひたすら横になる。
興味が向いたことは少しずつ進める。
身を丸めてじっと待つ。
野生動物が身体を治すのもこんな感じなのかな、と思いました。
治しているときに襲われない人間でよかったです。
そんなこんなで2週間ほどして、ようやくウツ状態を振り返ったり、気持ちの言語化ができるようになっていったので、20年来の友達に会いました。
そこでは「あなたは〇〇だから」「〇〇すぎるんだよ」
という悪気なく放たれる矢にぶっささりながら、どん底にいたときマジで会わなくてよかったと思いました。
それは非難にきこえるのです。
さてここ最近、心身共に免疫力が回復してきたので、ようやく通常営業ができるようになってきました。
通常どおりに原稿を書き、食べ、家事をし、子どもを世話する。
死にたいとは思わない。
考える暇もなくなりました。
今回の自称ウツで学んだことは、
・子どもの「不調」が引き金となって私のメンタルがやられたので、私のサポート体制が必要。
・夫は頼れない。
・一人で休む。
これ、家族なんだろうか……と日々、問い直しています。
いや、もしかしたら、家族の形をぼんやり想像していたけど、はじめからそんなものは無かったのではないか。
もはや「支えあう」ことは家族に求めることではない、かもしれない。
最後に、温かいメッセージをくれて見守ってくれたみなさま、ありがとうございました。
かかりつけの耳鼻科の先生に一連のことを話し、
「心が辛くなってもココにおいで!病院を紹介してあげるから」と言ってもらうことができました。
例えばアルコール中毒の夫を治療するには、その妻のメンタルケア(心療内科)が必要だそうです。
家族をケアする人にこそ、ケアを。
これを読んでくれた方にも、それを伝えたいです。
必要なときは、なりふり構わず休んでくださいね。
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