(買いかぶりだよ) 畑中の帰り道。ロウチはチリムの言葉を思う。マウフウが言っていたというロウチへの評価。 「みんな甘やかして、過保護になってるだけだ。俺は、あいつは十分に成長していると思う」 そう言っていた、と聞かされた。 旅、それとも冒険。どちらも、ほんの十日前には考えもしない言葉だった。少なくとも、自分のこととしては。――過保護という言葉を胸で繰り返した。 陽が傾きかけて、肌寒くなってくる。 風がムギ畑の上を通りすぎる。ムギたちはずっと、おおまかな風の形を示し続
豪剣だった。 強く斬る。大きく斬る。 マウフウは、そのような剣の使い手であった。 人を、特に一対一で相手にするには、その種の剣は有益ではない。互いに剣を持って戦うなら、まずは的確に相手の攻撃力を殺ぐべきだ。一撃で断ち切るより、足を切って動けなくするなり、たとえば親指を攻めて剣をにぎれなくできる方が良い。それを成立させる戦術がありえる。 だが、それでは足りぬ敵がある。 より固い敵。より大きな敵。あるいは、小さくとも多数が同時に攻めてくるような敵だ。 そのような相手
遊ぶように、あるいは試すように、竜は飛翔した。 それとも身にまとわりつく何かを振り払うように、回転し、ねじり、上昇しまた下降した。 ただ見ているだけで、風を感じることもない。大気を切り裂くうねりを聞くこともできない。 それでもロウチの感覚は共鳴する。青い竜の動きを、意味あるものとして受け止める。その激しい運動を、より詳しく受け取れるように、視線の位置を調整する。 星の背景を見ている。 淡い魔法の光を受けて、ただ青く感じられる竜を、その姿を、片時も逃さぬように凝視す
父が死んであれこれゴタゴタしたため、その朝までの三日間、記憶がおぼろげだった。 ただ、この三日間のうちのどこかで、変化が生じていたのだろうと思う。 ロウチは少し前に十七歳になった。兄弟七人の大家族。その末っ子だった。とりたてて優秀ではなく、さりとて凡庸というわけでもない一家だったが、七人も兄弟がいればそれぞれに異なる個性を持つ。そんな中で、末っ子は残り物的立ち位置だった。 兄弟たちにも両親にも甘やかされてきたが、それは同時に、個性の異なる家族たちの顔色を自然にうかがい
魔法物語という物語を、もう四〇年近く書き続けている(実際にはけっこう書いてない時期もある)。 その物語に、作者が負けている面もあるのだが、そろそろ完結させてやらなければならない、と感じる今日この頃。そこで、連載というような形を自ら作って、そこに原稿を流し込んでみてはどうかと考えた。 が、実は物語の構想はほとんどない。あるのは、自分がなにをしようとしているのか、という一点のみ。 こんなんでどうすんねん、とは思う。思うが、これまで書いてきたものだってそんなに違うわけではな
兄さんの服が黒くなくなったので季節が変わったらしいと気づく。ロウチは暮れゆく雲を眺めながら、サクラメイズはまだ来ないのだろうかと考えている。 雲は沸き立つ泡のようで、この小さな世界をより狭く見せているけれど、ここにはたくさんの人が暮らしている。おそらく、数億人以上のひとたちが、隠れている。 ロウチは、まだなにも知らない。 いつの間にか、彼は主人公に選ばれてしまったのだと。これから、予想もしていなかった苦難と冒険とが、彼を待ち受けているのだと。 * 冒頭の
渇いた街だと思った。ビジネススーツの彼女は濁った空を見上げ、ゆっくり視線を下ろす。顧客回りは空振りばかり、彼氏との関係もこの頃ギクシャク続き、ゆるく下腹部に痛みがあって体調も悪い。 長い吐息をもらして、足下から正面に目を移す。そこに、奇妙な案内板があった。 逃げ出したい方、こちら→ 疲れたビルとビルの間に、白いボード。黒々と主張する文字が、けれど一瞬意味不明で、彼女は立ちすくんだ。 「逃げ出したい?」 自分の声で確認する。 すると、「逃避願望」という言葉を思い
舞台には落語家とおぼしき男が現れた。歳の頃は五十前後といったところか。和装の短髪。座布団にちょこんと座って深くお辞儀する。 「えー、いっぱいのお運びをありがとうございます。ていていていとーとーと申します」 なぜだか後頭部に奇妙な髷が結われている。しかし客からはほとんど見えない。 「昔から、いろんな話が語られてまいりまして、それぞれにパターンってものがございます。ところが、そういうものが通用しないことってのがまれにあるわけでして……」 * むかしむかしあ
暗いうちに家を出る。空が白み始める中をクルマで山道を登る。それ以上は行けないという広場に駐車して、あとは徒歩だ。 そんなふうにしている間にも、音はあふれそうだった。 誰でもあるだろう。同じ曲の同じフレーズが頭の中で繰り返して、気づけばそればかりになる。音はないのにうるさくて、眠れなかったり、集中できなかったりする。 あれによく似ていた。 ただ、決定的に違うところがひとつ。それは、ただのワンフレーズではない、ということ。曲全部、という表現で正しいかもしれない。ただし、
のどかな春の陽射しの下、ふいに吹いた強風が砂埃を巻き上げる。そんな中を暗い顔したブラックスーツの男が届けてきたのは召集令状だった。 こんなもの詐欺に決まっているでしょ。 もったいぶっているところが怪しい。 とは思ったのだが、詐欺にしては面白い。自宅に狙われるような財産もない、ということで呼び出しに応じることにした。 行ってみると、官公庁の集まる街の固そうなオフィスビル。まさか本当ではあるまいと会場の会議室に入ると、整然と椅子や机が並べられている。そんな中、まったくも
起動すると視界が一瞬だけゆらぐ。すぐに復帰するが裸眼で見た時とは違いが生じている。とりわけ顕著なのは、自分自身のことだ。着ている服が透き通って、さらに全身の表面に動くものが見えるようになる。 小さな生き物たちだ。 クロスリアリティ(XR)、仮想現実と拡張現実を複合的に利用する技術である。これによって、自分の身体をゲームのフィールドにする。 「では、これよりチュートリアルを開始します」 ガイドの声が聞こえる。 「ラジャ」 声で応える。すると、全身が淡い緑色に輝くのが分
始まりは小さな因果である。因果によって、過去と未来は別れた。 別れた未来と過去は次元の壁を越えて浸出してゆく。そこから空間は生成され、時間は運動として生起する。 前時間宇宙は因果の環を成し、相互に複製し合う。その過程において空間は発想されている。この段階において座標はまだ意味を持たない。すべての始まりたる混沌であるのみだ。 だが空間の生成に伴い、時間がその意味を拡大させてゆく。時間とは変化を把握するための尺度であり、変化が生じることによって時間もその確かさを増すのであ
昔のお年寄りはタンス預金などと申しまして、手近なところに現金を持っているものでした。しかし昨今、押し込み強盗などの被害もあり、そういったものを狙われて命まで奪われるなどという悲惨な事件もあって、徐々に現金を置かない、置いても少額にしておく、という傾向が高まってきています。 * ってわけでして、なんでもかんでもAIでございます。 AI小説家、AIイラストレーター、AI音楽家にAI歌手。もちろんコンビニ店員から工場従業員といったところ、事務職なんてお手の物です
暖かい風を追うように小道を行くと、ふいに足が止まった。淡く降る梅の花の香り。そっと見上げるとどこからか「映画に行きませんか」と聞こえた。けれど姿は見えない。 それでもその声の優しさに、反射的に「はい。行きましょう」と応じる。 あたりを見回してみるけれどやはり誰もいない。 まあいいか、と行き先を変えた。 「映画ならシネコンですね」 独り言のように言う。 たぶん徒歩だな。そうでなきゃな。 ふふ、と微笑んで、ゆっくり歩くのだけれど、誰か追ってくるような気配も感じない。
隙のない男だった。ビジネスライクに身支度を固め、髪も丁寧になでつけられ、かすかに微笑む様子も慇懃無礼にはならないあたりに計算されている感じだった。 「ご承知の通り、世論は派閥解消に傾いています。しかし、その視線は、基本的に金銭面にのみ向けられていると言っていいでしょう」 いかにも自信ありげなのだ。 「大衆は、自分自身の感覚に敏感です。その最大のものが、ズルい、という感覚。世界には自分に手の届かない快楽があるらしいと思い込み、自分ではない誰かが不当な手段でそういったものを手
細く緩やかにカーブする山間の道を抜けると、かつて集落であったらしき名残の土地が広がる。かろうじて以前の印象を残す建物もあるが、もう、この場所に住む人はいないらしい。 「さて、どうしようか」 「まずは、おじいさまの指示通り、管理棟を目指すべきでしょう」 私ひとりだが、問えばパートナーから答えが得られる。まあ、これくらいなら教えてもらうまでもないが、確認のためだ。 鍵、というやつを持ってきていた。金属の小物だ。これを使うべき状態になるらしい。祖父に託されたのだ。 「真っ直ぐ