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魔法物語 ロウチ8

 その前に、確かめておこう、とロウチは考えた。
 臆病と思われるかもしれない。けれど、ロウチには特別な能力がある。あえて使わないことが賢明であるとは思えなかった。
 たとえ実際に行かなければ分からない何かがあったとしても、その途上にも苦難はあるだろう。いくつでも事前に障害を知れれば対策を立てられる。
 そのためには、母から話を聞き、まずはどのような道のりを越えてゆくかを知る必要がある。なんらかの地図を手に入れ、場合によっては自分で描いてもいい。
 そんなふうに準備して、その日は少し早く就寝として、寝床に入って出発した。これまでのように気の向くままではなくて、行くべき道を素早く進むのだ。
 空に魔法の光球があって、暗くはあるが見えなくもない。そんな光景の中、ロウチはまずグラウゼを目指した。小さな目には旅支度が必要ないから、ひとまずは通過点に過ぎないと、すぐに通り抜けてしまうつもりだった。
 けれど、あまり速く過ぎては予習にならない。それなりに時間がかかる。結果グラウゼに到着する頃には、ロウチはなんだか眠くなってしまっていた。
 そこで諦めて眠った。
 よくよく考えてみれば、全部の行程をあらかじめ確認するのはかえって効率が悪い。すぐに注意すべきことといずれ配慮しなければならないことを一度に考えていれば混乱もするだろう。
 そうして寝てしまえば、小さな目で通り抜けた道の印象は、夢で見たのも同然だった。徐々に記憶も薄れることだろう。
 と、朝起きてロウチは思った。

「気をつけてね」
 見送りもそこそこに、家を出た。
 母も姉たちも少し不安そうな顔をしていたが、もうやめるようには言わない。
 頼めばカサニはしばらくつき合ってくれそうだったが、あえて頼まない。
 自分で行くという気持ちが大切だ。そのために、前夜のうちに予習をしていたのだから。
 ただし、グラウゼまでの道に障害は予想されていなかった。まるで散歩の延長のようだ。荷物も最小限度を意図して選んだ。
 風もなく、雲行きも怪しくない、気温もほどよく暖かい日。途上、出会う人もほとんど知り合いだった。緊張感に乏しい歩み。鼻歌など歌う。
 見覚えのある道ばかり。違うのは、日差しの明るさの中を行くということ。鳥の声が聞こえ、汗ばむような皮膚感覚があり、良いも悪いも選べぬにおいに出会うこと。
 腰には例の武器。鞘ごと使えるように、工夫して腰に付けた。思いついて、グラウゼに行ったら武器商を訪ねて、こいつの名前を聞こうと決めた。
 それで旅の目的がひとつできた。
 うやむやな目的、漠然とした行く先、そんな旅だから、明確な目的があるのがどこか心強い。
 ああ靴の具合が良い。シャイヌ叔父さんはきっと、奮発してくれたのに違いない。笑い竜の革をなめしたものだと言ったろうか。だとしたら、父のトーフェが生業とした、魔物狩りによって生まれた製品なのかもしれない。どこかにきっと、そういう仕事をする職人がいるだろう。
 ふふ、と笑っていた。
 小川の近くに子どもがいて、せせらぎに小石を投げて遊んでいる。見知った子だ。名はたしかラネク。
 ロウチが近づいてゆくのに気づいて、ふと顔を上げ、手にした小石をいきなりロウチに向けて投げてきた。もちろん、余裕でよけられるが、あえて手で受け取った。
「ロウチ、どっか行くの?」
 受け取った小石を、軽く山なりにほうって、ラネクの頭越しに背後に落とす。そこは水辺で、とぷんと落ちた音と飛沫をあげる。
「どっか遠くに行くんだ」
「へー」
 ラネクの横を過ぎる。なぜ気持ちいいんだろう。
 グラウゼはまだ遠いが、このあたりはグラウゼの食を支える農耕地帯だ。畑が多く、時には働いている人の姿も見受けられた。
 背後に足音が近づいてくる。
「どこかってどこさ」
 ロウチは立ち止まり、振り返り、走ってきたラネクの頭を押さえて止める。
「竜の大地だ。知ってるか?」
「知ってるよ。もうないんだ」
「そうさ。おれは、もうないところに行くんだ」
 子どもには分かるまい。まあ、ロウチだって子どもみたいなものなのだが。
 ふふ。
「じゃあな」
 過ぎて行く。振り返らず、手を振る。
「じゃあね」
 また、会う時まで。
 奇妙な既視感にとらわれる。それは、「こんなことはなかった」という感覚。それでいて、なにか似たような出来事があったような感覚。
 悪い予感がしない。逆に、悪いことが起こらないだろうという予感がする。
 そのまま歩いて、湧き水でのどを潤し、少し空腹を感じて持参のトウガのパンを食べる。ほどほどにしょっぱく、少し甘い。サクサクしておいしい。母が焼いたものだ、とすぐに分かる。姉たちはまだ、こうはいかない。
 土手の草の上に腰掛けて、少し青臭い。ガサガサするのは、若草と枯れ草が混ざっているから。
 寝転がって空を見れば、あの夜の、どこまでも高く昇っていったことを思い出す。けれど今日の空は、あれよりずいぶん低い気がした。
 旅に、もう出ている。
 なんだかずいぶんのんびりしている。
 ただほんの少し、心の奥底に不安の種がある。それは、父の死ともつながっている。

 かつて疾風のトーフェと呼ばれたという。誰より素早く動き、戦い、無類の強さをほこったとも聞く。
 その時代から二十年以上が過ぎて、その速さを見せつける活躍は影を潜めた。
 だが、老いて死ぬ歳ではなかった。激しい病気になった、というわけでもなかった。
 あの晩、父は冗談のように「もうすぐ終わりだ」と言ったのだ。困ったようでもなく、あわてる様子もなく、ただ「分かった」という態度だった。いつも以上に穏やかで、優しそうで。
 あまり冗談を言うような人ではなかった。けれど、真剣な話だと受け止めることもできなくて、家族はただ、茫然としていた。
 悲しむべきかどうか、それもさだかではなく、その翌日も、とりたてて弱っている様子でもなかった。けれど、毎日少しずつ、変わってゆく。同じように生活してゆくことが、つらい、というより頑張っているようになっていったのだ。
 心配させないように、けれど同時に、相応の覚悟を準備させるようにする。そんな数日が過ぎた。そんな時間の中で、父は家族に少しだけでも何かを残そうとしてくれたようだった。
「おまえは、わたしに似ているな」
 ロウチは、そう言われた。その言葉には反発したい気持ちがあった。けれど、「もう終わり」を宣言されていることもあって、直接の反発も出来なかった。
「まるで幸せなわたしだ」
 そう言う父の半生に、そんな不幸の陰は見あたらないと思った。それでも、父の言葉に逆らいたくなくて、
「うん」
 小さく頷いて応じるしかできなかった。
 兄や姉も、少しずつ意味ありげで、どこか的外れな言葉をもらったようだった。
 母は、ロウチたちよりずっとたくさん、言葉をもらったらしい。ただ、そのほとんどが感謝だった。
「そんなことないのにね」
 と、母はロウチに教えてくれた。
「あたしがトーフェを幸せにしたわけじゃなくて、トーフェがあたしたちを幸せにしてくれたのよ」
 それが、父が死ぬことになる日の朝のことだった。

 ゆるく風が吹いている。陽も傾きはじめた。
 ロウチは再びグラウゼを目指して歩き出す。なにも急ぐことはない、大きな目的も期限もない、はずの旅。
 穏やかな天気。寒くも暑くもない気候。
 今朝始めたばかりのささやかな旅路は、まるでロウチの人生のように、起伏に乏しいやすらぎの道だ。
 ただ道なりに進み、移ろう景色に細々と思い、呼吸し、変わりゆく音を聞いて、やがて日が暮れてゆく。
 建物が増えてくる。
 旅人の街グラウゼは、一足早く夜の支度を始めている。明かりを点し、夕餉の支度をする。
 宿を決めなければならないが、その前にロウチは、前に小さな目で見た武器商を訪ねてみることにした。
 はっきりとは覚えていなかったが、街なりの印象と、道なりの印象でおおよそのところが分かった。ほどなく剣と楯を描いた看板を見つける。ここである、という確信はなかった。だが、武器の名を教えてもらうことが目的であるのだから、あの夜の店にこだわる理由もない。
 そうと自分に言い聞かせて、ロウチは店の扉を開いた。と、かすかに外とは違うにおいがする。生活臭ではない。そこから遠い、いっそ非現実的と表現したくなるような、独特のにおいだ。たとえば金属の、あるいは革の、せめぎ合う気配のようなにおいだ。
 だれもいない、と思う。もう夕方だ、客が来ることも少ないのかもしれない。けれど、
「いらっしゃい」
 奥から声がする。そちらを見ると、陰に溶け込むように黒い服を着た女性に気づいた。年齢不詳。少なくともロウチよりは年上に違いないが、どれくらい、という見当がつかない。老婆、と呼ぶには失礼に過ぎるが、それくらいの年齢だと言われても納得してしまいそうな独特の迫力があった。
「すみません」
 ロウチは反射的に謝った。
「ああ、なんだ、ぼうやじゃないか」
 含み笑いするような声だった。
「おいでよ」
 少しかすれた声で呼ばれる。近づくと目尻に少ししわを寄せて笑った。それでも、美しい人だった。
「あたしはマベラ。あんたは?」
「ロウチです」
「会ったこと、あるかい」
「いえ……」
 空気が重い、それとも濃い。じっくり見られている感じがする。
「そうか、会ったことないかい」
 それでも見つめられる。
「あの、これを見てもらえますか?」
 ロウチは腰の武器を見せた。一瞬だけ、マベラはそれを見て、
「そうか。思い出したよ。あんたは、トーフェに似てるんだ」
 ゆらりと身体を揺らして、マベラは微笑んだ。
「父です。少し前に、亡くなりました」
 ふいに生まれる沈黙。
「そうか、そうだったのかい。そういうことかい」
 なにかを察したらしく彼女は頷く。
「それで」
「ああそうだ。そうだったね、その珍妙な武器だが、名前なんてないんだ」
「そうなんですか」
「ただ、あたしはそいつを、あんたの父親の名で呼んでたんだ。そのために作ったもんだからね」
「そのために、ですか」
「そうさ。あの子は、魔物だろうが怪物だろうが、殺すことを嫌がってた。おそろしく素早かったから、そんな無茶も絶対無理ってことはなかったが、斬り合いとなったらそうもいってられない。そう思ってね」
 だが、家にあったものならロウチにも見覚えがあったはずだろう。
「でも」
「話は最後まで聞きな。結局、こっちが準備したのに使ってもらえなかったのさ。遠慮したのか、なにか他に理由があったのか。だからね、嫌み半分でトーフェって呼んだのさ。あの子の他に使いこなせるやつが現れるとは思わなかったからね」
 マベラは微笑む。少し恐い。
「兄が選んでくれたんです」
「ああ、そうだね。そうだったね」
 そうして彼女は天井を見る。
 ロウチは、大きな目的が達成されたみたいな気持ちになっていた。
「兄って言ったかい?」
「はい。兄のマウフウがこれを」
 ゆらりとマベラは頭を揺すって、笑った。
「そうか。あの男もトーフェの息子だったかい。あっちは父親には似てないね」
 つられてロウチも笑った。
「そうかもしれません」
 母のイトトセは、自分の父親にはマウフウが似ていると言っていたけれど。
「で、あんたはそいつを使いこなせそうなのかい?」
 言われてロウチは少し迷った。それから、
「相手次第です」
 正直に答えるとマベラは、笑いともため息ともつかぬ声をもらした。そうして、
「ああ、それでいいのかもしれないねえ。あの頃とは、なにぶん時代が違うんだから」
 ゆるやかに時が流れてゆく。その中にいることを、ふいにロウチは気づく。
 だがその穏やかさに、不安も同時に感じているのだ。だからこそ、武器を必要とする。その扱いに、救いを求めている。
 小さい目で青い竜の姿を見た時に、これと通じる感覚が生じていたのかもしれない。
「さて、商売といこうか」
 マベラは声を張った。
「あ、すいません。なにか買います」
 ひやかしは申し訳ない、という気分。けれど、ここでなにを買えばいいだろう。
「これを買いなさい」
 マベラは傍らの棚の引き出しから小さな玉を取り出した。青い、あの時の竜に似た色だった。
「これは、魔法を感じる玉だ。あんたのそいつにも、これを入れる穴がある。柄の後ろだよ。そこにはめ込んでおくと、魔法を感じると震えるようになる」
「それで、どう使うんですか」
「使わないよ。だが、お守りにはなる」
 どう応じていいか分からない。からかわれているのか、それとも真剣なのか。
「わかりました」
 買うしかなかった。もっとも、それほど高価なものではない。もしかしたら、話を打ちきるきっかけのようなものだったのかもしれなかった。

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