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魔法物語 ロウチ11

 身体の目を閉じる。小さな目は、宿の建物の上にあった。その場で街を見回す。
 光が、まだあちこちにあるが、少し減ったようだ。グラウゼもまた、ようやく就寝の準備にかかったらしい。
 その全体を見たくなって、小さな目を高く運ぶ。見下ろしながら、後退するように昇って、夜の風景をまとめていった。明かりがあるのはグラウゼの中だけ。周囲は深い闇に包まれている。
 ロウチは、少し予定を変えた。このまま大地をどこまでも真っ直ぐに進み、あの夜に見た世界の果てを、その先を目指すつもりだった。が、もうひとつの果てに思い当たったからだ。
 あの青い竜を追って、遙か高みに昇った。そこから、世界が泡のように見えた。だから、世界の果ては上にもあるのではないかと気づいたのだ。
 あの時は、ただ上を見ていた。竜の後ろ姿を追いかけて飛翔した。下降する時には大地の様子も見たけれど、それはごく短い時間だったし、あたりも暗かった。自宅に戻ったぶん周辺の状況への印象も濃くなかった。
 今はグラウゼの上空。明かりがあるから見失わず、それが遠ざかってゆくのも分かる。上下を反転させるように回転して、もう一度、方向を確認する指標にもできる。
 小さな目には、重さの感覚もない。だから上下感覚もないに等しい。落ちる心配はしないけれど、どこまでも昇り続けるのは怖さも伴った。それでも、今はまだ止まらない。止まれない
 息苦しい感じがするが、それはきっと錯覚だ。
 昇る。雲もない。
 ついにグラウゼの光が小さな点になった。
 少し離れて、竜の大地だった湖の光が視野に入る。
 それでもまだ昇る。
 ひどく寂しい気分だ。もうどこにも、誰もいなくなって、自分しか残っていないようだ。けれど、目を開ければ宿の部屋に戻ってくる。そう知っている。
 臆病なロウチでも、だから、行ける。
 やがて見えてくる世界の境界。泡が押し合い、六角形になっているように見える。それが、ロウチが世界の果てと感じた印象。
 境界はほのかに輝いている。淡い五彩の光をまとった膜のように見える。
 ロウチは視野を回した。離れてゆく世界を背後に追いやって、前に、あの膜がないかと探す。星が見える。星の手前に果てはないのかと。
 だが、ふと気づく。境界を見下ろす状況は、すでにその高さを超えているのではないだろうか。つまり、世界の果ては地上からある程度の高さまでで、その上に境界などないのかもしれない。
 もう一度見下ろしてみれば、泡のようだと思った世界の境界が、上空であいまいになっていると分かる。すべての世界が、高空で溶け合っているのかもしれない。
 だったら、あの膜を越えなくても、深い谷のような境界を越えなくても、別の世界に行けるかもしれない。
 それでも、さらにロウチは昇る。
 ただ小さな星の光だけが見える。近づいているはずなのに、星はまるで大きくならない。最初と同じくらい小さいままだ。ただ、なぜか星が瞬かなくなった。
 しばらく飛んだが前方の様子はほとんど変わらない。そこでロウチは、水平飛行に切り替える。今度こそ、世界の果てを越えて、別の世界にゆくために。まずは、比較的近そうな方向へ飛ぶ。
 するとなぜだか、急に胸が高鳴った。
 すべてを、自分の支配のもとに置いたようだ。けれどロウチは、それが錯覚であることも知っている。身体は今も同じ場所にいる。
 冷静と興奮を、同時に味わっている。
 見えていない背後と、見えている前方が、ほとんど同じようだと思っている。大半は星を散りばめた空。眼下に少し、闇に包まれた大地を、世界という枠組みに区切った領域。
 少し進路を揺らした。動きにあわせて視界が、そこに張り付いた星たちも揺れた。楽しいと思った。
 そこからロウチは降り始める。少し角度をつけて、前に進むように降下する。隣の世界に降りて行くつもりで、それなりの速度で。
 落ちて行くといっても重さがない。だから加速しない。ロウチの思うような速さで進む。
 その時、なにかとすれ違った。
 あり得ないほどの高さである。こんなところを飛べる鳥などない。竜であればあるいは。だが、刹那のうちに感じたのは人だった。
 すれ違ったと言っても、互いの距離はずいぶん離れていた。なにかを感じ取れたとしても、奇跡のようだった。
 ただ視覚のみで、ロウチはそれを人であると感じる。魔導師か。それとも、こんなところまで魔法で送り込まれたのか。あるいは、錯覚のたぐいか。
 あらためてロウチは周囲を確認しようとする。どこまでも広がる深い夜。透明な闇。寂しさがこみ上げてきた。
 寂しくて人の影を見たと感じたのか、それとも人影を感じたから寂しいのか。
 あえて探そうとはせずに、ロウチは降下を続ける。
 やがて大地が近づいてくる、と思ったが少し様子が違う。視界に広がるのは、水。しかも夜ではない。明るく輝く広大な水面。
 海、という言葉は知っているが、見たことはなかったから、すぐにはつながらない。それでも、徐々にこれが海というものであるという確信が湧く。
 その中に木々の緑がある一郭。いや、それを取り巻く砂。さらに、建物の集まり。近づくにつれ景色に意味が追加されてゆく。
 島、だ。
 生まれてこのかた出会う機会がなくて、ただ言葉だけしまい込まれていた。それは水に囲まれた陸地。
 高い位置から、全体像が見渡せる。
 砂だらけの中央付近に、岩に囲まれた地形があった。その周りに木々の緑がある。なんらかの意図を持ちそうな構造だ。
 ロウチの小さな目は、そこに吸い寄せられていた。
 一気に降下する。
 薄い雲をくぐった。大きく螺旋を描くように島を周回してみる。街とおぼしき地域も眺めてみる。ただし、この場所に活気は感じられなかった。近く見ればほとんどが廃墟のようだった。まるで水に浸かってしまったかのような建物群。
 この土地では、もうなにかが終わってしまったのだ。
 だが、洞窟を見つける。海に面した崖に入り口があって、奥に続いている。そこに人の気配があった。
 ロウチはためらわずに進む。もちろん、たとえ人がいても話すこともできないし、自分の存在を分かってもらうことだって難しい。だが、だからこそ恐れず進むことができるのだ。
 小さな目は地面をすり抜けることだってできる。多少強引でも進める。はずだったのだが、通路はたちまち行き止まりになってしまった。
 ただ、明かりがあった。人の気配が抜けてゆくと、明かりが順に灯る。気配が失われると消えるのである。どうやら人が通るのを感知するらしい。ロウチの小さな目は、残念ながら感知されない。
 しばらく待つと、だれか来た。もちろん小さな目を見つけられることもない。素早く近づいて、いっしょに進むことにした。すると、ついさっき行き止まりを確認した方へ進んで行く。いぶかしみながら同道すると、一瞬、風景がゆがんだと思ったら、行き止まりが消えていた。
 なにかを通り抜けたのだと思う。が、具体的になにが起こったかは分からない。
 ついていった人は、母と同じくらいの年齢とおぼしき男性だった。行き止まりを通り抜けたことにも特別な反応を示すことなく、さらに洞窟を進み、やがて広い空間を経て地上に達した。
 そこが街だった。島の上から見た時には、こんな風景はなかったはずだ。古い家並みと、そこに行き来する人たちの動き。
 ロウチはその風景に見とれた。木材と石材とを組み合わせて作られた建物。ロウチの見知ったものとは異なる意匠だが、それぞれに洗練されているのは、長い時間を経てたどり着いたからと分かる。
 そんなことを思っているうちに、一緒に来た男性の姿を見失っていた。が、特にその人に対して未練があるわけでもない。
 部屋の寝台の上で、ロウチは吐息をもらす。
 未練はないが、ではどうしようという目的があるわけでもなく、予定があるわけでもない。
 あたりを見回す。
 ここがどこで、どういう意味があるのかも分からない。だから、見回しながらゆっくりと上昇した。高いところから見れば、なにか分かるかもしれない。
 だが、街の様子を確認しようとする前に、気づいてしまったのだ。町並みの上に出て、それによって遮られていた圧倒的な存在。
 建物群よりも遙かに高い、一本の巨樹。街全体に木陰を与えられるほどの枝の広がりと、覆い被さる山のような偉容。
 そうなれば、行ってみるのが当然だった。この街を、おそらく特徴付けている存在。
 近づき、昇る。
 これほどの巨樹であっても、葉が特別に大きいということはない。普通の樹と変わらない。ただし幹や枝の質感には、少し金属のような光沢がある。
 ひとまずロウチの知らぬ種類の木だ。
 花が咲いてる様子もなく実を付けているようでもないその木を、ぐるり回り込みながら上昇してゆけば、やがて梢近くに異変を見つけた。
 それは木のウロのようだった。ただ、周囲の様子が、あたかもその穴を守り隠しているようだ。十分に近づかなければ、そんなものがあると気づけない。
 かまわず近づいて見れば、折りから傾きかけた太陽の光が、少し差し込んでいる。
 遠く離れた、かどうかも判然とはせぬグラウゼの宿で、ロウチは息をのんだ。
 人、がいる。眠っているように見える。それは、若い女性の姿だった。
 一瞬、目を逸らす。
 彼女は全裸であるようだった。

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