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魔法物語 メイリ5(ホーサグ)

 出発まで三日を要した。
 一日目は船の建造を、主にオクライが行った。魔法を使えば、建造自体は出来る。ただし、構造を検討しながらとなれば呪文を唱えればいいというわけにはゆかない。
 試行錯誤が必要だった。
 その間に、ィロウチが偵察をした。ソドウの街とテネアの島は魔法の通廊でつながっているが、そこは小さな目だけでは通れない。しかし、その通廊は船も通れない。従って小さな目による偵察は、ソドウの街と地続きの土地を中心に行われる。
 あるいは空へ、という可能性もあったが、いきなりそちらを調べる意義は見いだせなかった。
 ソドウの街は山の中腹にあった。ほぼ孤立しているような街だった。それでも、テネアの島よりはよほど大きな陸地の中にあって、そこここに人の住む場所がある。その周辺には農地もある。
 ィロウチの小さな目は、高速で飛び回り、それらの街や集落を概観した。だが、それだけでは目的地を定めることはできなかった。
 二日目は船の内部を調整する。ここはィセグロの独壇場だ。まずは若干の食料と水の入れ物として水瓶を準備した。ここでセグロとサマエが使われることになったが、サマエはメイリに接触させないようにした。
 それでもサマエは、少女に着せる服などの調達も任され、おおよその事情は察したようだった。サマエ自身、かつてオクライの用意したぞんざいな服装の経験者だったからだ。
 余計なことは聞かない。それでも、男の子の着るものと女の子の着るものを用意した。ただし半分は、サマエの子どもたちが着た古着だった。
 ィオクライはこうした活動に参加せず、外と内の関係性を改善すべく魔法の調整をして過ごした。
 とりわけ重要だったのは、ィロウチの見たものを他の者に伝える方策を考案することだった。それが可能になれば、状況が分かりやすくなる。
 まずは水晶球のごときを用意し、そこにィロウチの見たものを投影しようとしてみる。だが、小さな目が見ているのは平面的な映像で、しかも広大だ。結局、自分たちがいる白い空間を背景にして、平らな映像を浮かび上がらせる方式に落ち着いた。
 遠くの音を聞き、遠くの相手に声を送る方法についても検討した。だが、その件は保留とした。意志疎通を行うには、ある程度は互いの信頼関係を必要とする。会話の手段だけ手に入れても、余計な混乱の元になる。と、ィセグロの主張が通ったためだった。
 ひとまずは、ある程度の信頼を前提とする仲間を集めることを優先とするべし。
 内と外に、それぞれ異なる能力が必要となる。異なる意見の持ち主を無造作に参加させれば混乱の原因となる。かといって、賛成しあうだけなら仲間を集める必要もないだろう。
 かくして結局、どこへゆくべきか、まず誰を仲間にするべきか、というところに落ち着く。ィオクライとィセグロはしばらく議論を重ねた。
 そこでとりあえずィロウチは、小さな目で見てきた風景を、地図に書き記すことにした。紙や道具はィオクライの魔法で調達する。存在するかどうかも怪しいものだが、ひとまずは使えた。
 まず高い位置から地上を見下ろし、土地全体のおおよその形を描く。その形の中で、人が住んでいるような領域を判別して記入する。必要に応じて高度を下げれば確認もできる。
 川の位置と、道の連なりについても記入してゆく。空を飛ぶなら無用の情報だが目印にはなる。
 二日目の夜になる前に、小さな目が見た映像を投影する魔法が使えるようになると、ィセグロも地図作りに協力してくれるようになった。
 こうした時間の経過に伴い、何度か、外にいるオクライとメイリ、時にはセグロも加わって、食事をした。生活を確保することが大切だと、自分では空腹にならないィセグロが主張したからだった。
 食事の時間は、小さな興奮が連続する時間だ。これまで物を食べるということをしていなかったメイリにとって、なにもかもが新鮮だったからだ。さらには、食事を用意しているセグロにとっても、驚きと幸せの時間だ。もちろん、味覚とは経験の蓄積がきわめて重要な感覚である。それでも、感覚自体が鈍感というわけではないメイリの反応は、見ていて楽しい。作った行為全体が肯定されてゆくようで、調理人の喜びそのものだった。
 三日目を迎えた頃には、全員が休憩していた。その気になれば、眠ることもできると分かった。
「ならば寝るべきだ」
 そう主張したのは例によってィセグロだった。
「行為にはさまざまな意味がある。それを、簡単に否定するべきではない。やってみる価値はあるはずだ」
 ィオクライが寝具を用意して、ィセグロが改善の要求を出し、良くなったところで全員、それぞれに横になった。ほどほどに温かく感じる小さな柔らかい空間に入って、眠るようにした。それが本当に眠っていることになるのか、なんらかの意味があるのかは分からない。それでも、ィロウチとィセグロは睡眠という時間を確保できたことだけで、どこか心穏やかになった。
 身体の生理作用を伴うことのない睡眠は、始めるのも終わるのも偶然に左右される。
 ただし、外の世界の者たちには生理作用がある。
 真夜中、メイリが目を覚ます。おしっこをしたくなったからだった。そのことにィロウチは気づいて覚醒する。放置すればその場でするだろう。
 少し悩んで、ィメイリを起こして、どうすればいいのか教えてあげることにした。多少のドタバタはあったが、結果的に、思いの外うまくいった。
 つまりィメイリとメイリは連動している。なにかメイリに教えてあげたいことがあるなら、ィメイリに教えてあげればいいのだ。
 この時にはまだ、ィロウチはその可能性の大きさに気づいていなかった。
 ともあれ、こうして真夜中が過ぎ、飛行艇が出発する朝を迎えることになる。
 その朝、飛行艇が置かれた場所に、ひとりの男を伴ってセグロが訪れた。
「ホーサグです」
 屈強な男だった。けれど相応に年を経て、体力が落ちてきていることは隠せなかった。
「あんたは」
 オクライが迎えた。知った顔だった。いや、浅からぬ因縁のある相手だった。

 思いが馳せてゆくことがある。
 止めどなく記憶があふれてしまい、ただ立ち尽くすしかできぬことがある。
 出発の前日。夕日を見ながら、ホーサグは街のはずれで、かの大樹を背にしていた。帰っても迎える者のない家に、戻る前に過ごすひとりきりの時間。
「ここか」
 ふいに、そう声をかけられた。
 相手が、古くからの知り合いだったから、ほとばしる思い出が見せる幻であろうかと疑った。
 テネアという名の不思議な少女、奇妙な魔法と過ごした時間を、かつて共有した相手だった。その結果として、この同じ街に暮らすようにはなったが、親密な間柄とはゆかなかった。
 魔法は、思いもよらぬことを起こす。妹と信じていたネイが、魔導師によって作られたということ。さらには、そのネイを何人も増やしていたということ。そんなことを知らされて、それまで信じていた家族という関係が、いびつにならぬはずもない。その、増やされた妹のひとりがサマエといった。初めて会った時にはもう、大人の女性になっていた。
 そのサマエを育てた男セグロとの関係は、気づいたら疎遠になっていた。
「なんの用ですか」
 自分を捜しに来たらしいと察して、ホーサグはセグロに応じたのだ。
「旅に、出ないか」
 そんな提案を喜んで受けるはずもない。ただ、セグロが冗談で言うような話ではないのは承知していた。
「まさか」
 と応じる。
「まあ、そうだな」
 セグロは言って、しばらく並んで夕陽を見た。
 ゆるく吹いた風が冷たくて、空は色を失ってゆく。
「どこへ行くんですか」
 と尋ねてみる。
「分からん」
 素っ気なく答えが返る。しばしの沈黙の後、セグロはこう付け足した。
「ただきっと、その旅はおまえさんを必要とするようになるだろう」
「どう必要になりますか」
「分からん」
 そんな状態で、なぜ自分にこの話を持ってきたのか。もっとも、セグロがなんの考えもなしに来るような男ではないのは承知している。
 ホーサグは笑った。
「このおれを必要としますか」
「確信はないんだ。なにもかもが、あやふやな憶測、予感や不安、そういったものに彩られて、今のうちに手当をしなければいけないような焦慮をもたらしている」
 雲を掴むような話だ。得体の知れぬ不安に、人は囚われることがある。あのセグロをして、そんな感情に捕らえられてしまったというのか、と。
「おれは役に立ちそうにない」
「そうかもしれん。だが、もしかしたらこの旅は、おまえにとって必要なものかもしれん」
「なぜです」
「テネアだ」
 それは忘れ得ぬ名前。島と街と、同じ名を持つひとりの少女の名前。もっとも、今でも少女であるはずはないのだが。
「なんだか懐かしい名前ですね」
 忘れ得ぬ名を、あえて突き放す。
 セグロはそんな反応を微笑んで受け流す。
「おそらくこの旅はどこかで、テネアに会わなければならなくなる。あの子が背負ったものに、我々は改めて向き合う必要があるのだ。ならばホーサグ、おまえが行くべきだろう」
 まるで言いがかりのようだった。だが、どこか説得されそうな力があった。
 かつて、テネアと旅をした。妹のネイを探す旅でもあった。その旅が決着し、テネアと別れた後も、ホーサグは心のどこかで、また旅が始めるのではないかと感じ続けていた。そんないつかのために、身体を、そして剣を鍛え続けてきたのだ。だから、手近な幸せを築くことに失敗したのだと言っていい。
 だがその時はずっと来なかったのだ。
 鍛えた身体も衰え、磨いたはずの技も錆び付いてきている。ましてや、どのような敵があるのか、いかなる苦難があるかも分からない。自信などあろうはずもない。
「行きましょう」
 だが、だからこそホーサグは、そう言うしかなかった。もう、この後があるとは思えない。ただ朽ちてゆく日々ばかりが想像される。
「そう言ってくれると思った」
 なぜだかセグロは、悔しそうだった。
 それから食事に誘われた。まるで別れの宴でもするかのように。

 旅立ちの朝を迎える。
 セグロは朝食を準備していた。
 そういうところで抜かりはない男だった。
 穏やかに食事をしているところに、もうひとり旅に参加するものが姿を現した。
 リータ。メイリの姉にあたる魔導師だった。

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