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魔法物語 ロウチ6

 目が覚めたら、現実はまだ夢ではなくて、思い描くことができても、すぐにそこまで行くことはかなわない。
 朝食を済ませて、フキオルは出立していった。
「いずれまた会うこともあるだろう」
 約束ではなく、そう言われた。
 ロウチは、まだ自分が足りないと気づいていた。
 もし、このままフキオルと一緒に行けば、様々なことを教えてもらえて、たちまち成長できるのかもしれない。けれど、それはただ、教えてもらって覚えるだけだろう。そうではなくて、教えてもらったことを自分なりに解釈したり、時には批判することだって必要ではないか。そういう準備が自分にはできていないのだ。
 たとえばなにか困難に直面した時に、自分の身を守るそのことさえ、ロウチは十分ではないと感じる。旅だとか冒険だとか、現実に向き合う準備が、あまりに足りない。
 兄のマウフウが、ロウチにも出来るというなら、その根拠を知りたかったし、どう「大丈夫」なのか、はっきりさせたかった。
 けれどその日の昼過ぎになって、そのマウフウがやって来た。
 昨夜は会えなかったが、フキオルが帰りがけに兄の家を再訪して、ロウチが一人で出ることを聞いたらしい。
「間に合ったな」
 そうして、奇妙な武器を手渡された。全体的な形状は剣だが、刃がないのだ。親指ほどの太さの丸い金属棒に、柄を付けたようなものだった。
「おまえに斬り合いは似合わない。だが、殺されないように戦う必要もあるだろう。こいつは、そのために使うものだ。昨日、手に入れてきた」
 ロウチには、兄の意図は分からなかったが、それでもうれしかった。少なくとも、身を守る方法について手がかりをもらえたことになる。
「でも、どう使うの?」
「それは自分で見つけるんだ。普通の剣の技術では使いこなせないだろうが、おまえならなんとかなるはずだ」
 根拠薄弱だとは思うけれど、兄の言葉には説得力があった。それに、
「練習にはつき合ってやるよ」
 マウフウはそう言ってくれた。
 実際、その日から八日、毎日しばらく相手をしてくれたのだった。
 その武器には、名前がなかった。だが、使おうとして工夫するうちに、その特性が分かってくる。まず、鞘も刀身(?)も丈夫な金属だった。たとえば剣を受け止めても、切れないし折れない。これで叩いて、一撃で相手を倒せるとは思えないが、それなりに効果がある。だが、それ以上に有効なのは突きだ。鞘のままなら刺さりはしない。だが抜けば先端は鋭く、木の幹に穴を穿つくらいのことはできる。急所に刺されば倒すこともできるだろう。
 要するに、うまく狙い、そこを突くことに特化した武器である、ということだ。明らかに難しい技量が要求されることになる。
 もっとも、ロウチにとっては挑み甲斐がある、とも言えた。元々、剣を使うような蓄積はない。もし剣を持つ敵に剣で対するようなことになれば負けは必至だ。だが、この武器を使いこなせれば、勝機もあるだろう。
 幸い、ある程度の体術は身につけてある。それは父から習ったものだった。父ほどの素早さは望めなくても、その動きを見て習うことができた。
 マウフウとの練習は、実はロウチには楽しかった。歳の離れた兄と、こんなふうに関わったことはほとんどなかったから、そんな時間を持てることだけでもうれしかったが、それ以上に、なにかが出来るようになる、それ自体が喜びだったのだ。
 最初は、武器を持った状態で身体を動かすことに慣れるところからだった。兄が、剣を振る。それを受けてなお、次の動きが出来るかどうか。受けずに流す、あるいは捌くという選択肢もある。身体の角度、腕や手首の角度やひねり。試し、確かめ、より良い方法へと向上させてゆくという段取り。
 そうした積み重ねを、ロウチは自分で思っていた以上にうまく、無理せず進められた。そうと気づくことは喜びをもたらして、もっとやろうと思えた。
 けれどやりすぎれば身体が壊れる。兄は、そのあたりをうまく配慮してくれる。適切に課題を与えて、お仕着せの解答を示すのではなく、ロウチなりの答えを評価する。それができる理想的な教師だった。だからこそロウチは、変な反発をせずに従うことが出来た。
 朝から始まって、ほどほどに休憩し、けれどほとんどの時間を濃密な訓練で埋める。
 姉たちが、そんなふたりの様子を、かわりばんこに覗きに来た。食事も運んでくれた。特にほめてくれるわけではなかったけれど、見てもらえることも喜びだった。食べ物もおいしかった。
 朝から晩まで。夕食を済ませると、小さな目の出番もなく疲れて眠った。
 三日ほどで次の段階に進む。
 今度はロウチから攻撃を試みることになる。
 普通の剣術、あるいは戦いに関する技術は、一朝一夕に身につくことはない。それは、攻撃力を向上させるために時間が必要だからだ。ある程度強い力を出すことが、最低限必要な攻撃力の支えとなる。そのためには必要な筋肉をつけなければならない。その使い方を含めて筋肉量を増やすには、どれほど効率的でも時間がかかるものだ。
 その点においても、手にした武器は優れていた。これまでのロウチの動きは、素早さを基本にしていた。それは父の影響に他ならなかった。ロウチには、とうてい父のように速くは動けなかったけれど、その動きは知っていた。それが憧れだった。そんなロウチにとって、強く打つより速く突く方が簡単だった。
「おまえは目がいいんだよ」
 マウフウはそう言う。
「どう動くべきかを、見て理解できる。たくさん見てきたものが、おまえの糧になっている」
 わずかな驚きをともなって、ロウチはその言葉を受け入れていた。それは、言われるまでもなく当たり前のことだった。
 とはいえ、ほめられれば悪い気はしない。練習にも、より身が入るというものだった。
 攻撃の訓練は、切っ先の通り道を見出し、その経路の攻撃をどう自分の身体で実現するか、だ。だが相手は止まっているわけではない。一瞬の後には状況が変わる。自分の身体で出来ることも変化してゆく。立ち位置、姿勢、互いの距離、そうして武器の位置と、そこからどう動かせばいいのか。それは、簡単に分かるものではない。
 丸一日、うまくゆかなかった。ただ、姉から晩ご飯の声がかかる頃、ある気づきを得る。それは、相手の動きの変化だ。自分の動きが、兄の動きとつながっているように感じられたのだ。だから、一度、二度と同じような状況であったとしても、二度目は自分が一度目と異なる動きをすることで、兄の動きを変えてしまっているのだ。そうなれば、一度目の対処法をそのまま使ってもうまくはゆかないだろう。
 日暮れを前に、ロウチは膝を折り、考え込んでしまった。
 顔を上げ、空の色が変わりつつあるのを、ようやく気づいた。
 兄はなにも言わず、剣を手に見下ろしている。
 夕食に呼ばれる。
 兄が振り返る。
 その時、なにかのきっかけがあると感じた。けれど、食事にまぎれて分からなくなった。
 大きな食卓に乗せられた料理は、母の心尽くしだ。マウフウは自分の家に戻ったが、兄姉たちと囲む。温かいものを温かく食べるために工夫がされている。大きな器からめいめいに取り分ける。あるいはそれぞれに小皿の料理が配られている。それらを好きに合わせ、ムギの粉を練って薄く延ばし、油で焼いたもので包んで食べる。細く刻んだ根菜なども一緒に包み、あるいは巻いて食べるのだ。
 それぞれにそれぞれの動きが生じる。それぞれがそれぞれに言いたいことを口に出し、応じる。
 そんないつもの食卓にひとりの客があった。
「シャイヌ叔父さん」
「やあ。来てみたよ」
 いつものように優しい笑顔。父の葬儀で顔は合わせていたから、そう久しぶりというわけでもない。
「どうしたんですか?」
「うん。君がね、旅に出るって聞いたからね」
 そうして足下に置いていたものを持ち上げる。それは新しい靴だ。
「旅に出るには、良い靴が必要なんだよ。どうか、もらってくれないか」
 シャイヌは少し悔しそうに言った。
 そういえば、叔父は父の葬儀の時に、亡骸に向かってこんなことを話していた。

 ぼくはね、トーフェ。あなたに石を投げたんだ。
 村を出て行くトーフェに、石を投げたんだよ。
 どうしてそんなことをしたんだろう。
 分からない。理由が分からないのに石を投げて、そのことがずっと忘れられなかった。
 あなたが姉さんと結婚することになって、ぼくは真っ先にそのことを謝らなければならないと思った。なのに、なんだかうまくゆかなくて、言いそびれて。
 なにかのきっかけで唐突に、そのことを謝ったんだけど、あなたは知らないふりをしたよね。
 でも、ぼくは投げた。
 一番いけない時に、石を投げた。ぼくはそのことを知っているし、忘れない。
 忘れたくないんだよ。

 それを聞いたのはロウチだけだったかもしれない。訝るロウチの表情に気づいてか、あの時、叔父は気恥ずかしそうな顔をした。
「ありがとうございます」
 靴を受け取って、反射的に感謝を告げた。なぜだかシャイヌは安堵したようだった。
「すぐに履いてみなさい」
 姉・ミリカに言われて、ロウチはすぐに足を入れた。それは柔らかな革でできた、動きやすそうな靴だ。
「良い靴は、足になじむのが早い」
 シャイヌは満足そうに言う。
 その瞬間、ロウチは今日の戦いの課題について、ひとつの閃きを手に入れた。

 答えは、誘うということだ。導くのだ。夕食の声がかかって振り返るように、履いた靴が足に馴染むように、求める結果に至る手順を作ればいい。
 攻撃をする、武器が通り抜けるための空間、その経路を確保し、そこに突きを通す。変化し続ける状況に、後から気づいて対応しようとしても不可能なのだ。一瞬でも遅れれば間に合わないのに、一瞬後から対応できるはずがないだろう。
 逆だったのだ。
 攻撃が通り抜ける経路を、やりとりの中で作り、その時に流れるように突く、貫くのだ。相手の動きを見極め、どう動けばどう反応されるかを踏まえて、隙を導き、誘い、それが開くその時に、攻撃すれば良い。
 ということはつまり、あらゆる動きが関わってくる。足をさばき、身体を折り、傾け、腕を畳み、伸ばす。武器を振る、引く、掲げる。さまざまな変化を、自らの意志によって統合し、表現する。
 踊りのように。
「なにをしているんだ」
 と、最初マウフウは笑った。しかし、やがてロウチの意図を察したか、真剣な対応に変わる。
 攻める姿勢、守る姿勢、避ける姿勢、流動的に変わり、移ろい、時に複合的に達成する。互いにその状況を読み合い、その中に攻防は生じる。
 ひどく複雑だ。が、ロウチはそのことを面白く思う。楽しいとさえ感じる。
 そうしてついに、その時が訪れる。
 通り抜けることが出来る真っ直ぐな攻撃の道を、そこに力を入れて武器を入れられる体勢を得る。迷わず、過たず、それを突いた。
 振り下ろされるマウフウの木剣をかわし、肩の高さから一直線に伸びた切っ先は、マウフウの喉元に達した。その瞬間、ロウチは握りをゆるめる。柄が後ろに伸びた。マウフウの身体が、それを押し返したのだ。
 ロウチは身体を反転させて、その場から離れる。
 マウフウが膝を折り、その場でひどく咳こんだ。
「みごとだよ」
 しわがれた声で。
 それからしばらく、ロウチの技術を確認するように打ち合いを続けた。それはまるで、なんらかの試験のようだった。が、
「問題があるようだ。続きは、飯の後だ」
 マウフウは、答えを言わない。気にはなるが、ロウチもあえて質問しない。
 休憩と食事。その後、ロウチの前に立ったのはマウフウと、もうひとり。次兄のカサニだった。
「俺がやってやるよ」
 カサニも木剣を構えた。
 そうか、とロウチは思う。マウフウとカサニは身体の大きさも違うし、剣の使い方も違う。マウフウの動きにだけ対応できても、それでは意味がないのだ。
「分かった」
 ロウチも構える。そうして、踊るように動き、誘おうとした。が、
 カサニは待たなかった。マウフウはロウチの動きを観察して、より適切な攻撃をしようとしたのだ。だがカサニは、すぐさま打ちかかってきた。ロウチの動きに誘われることなく、反射的に状況に対応し、わずかな隙を見ては攻撃してくる。考える時間など与えてくれない。
 防御はあらかじめ練習していたとはいえ、この速さには対応できない。たちまち打ち据えられた。
「つまり、目に頼り過ぎたんだ」
 マウフウはそう言う。だが、ロウチにはその言葉の意味が分からない。
 ともかく、もう少し訓練する必要がありそうだった。

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