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魔法物語 間奏曲1 No.20

 世界とは、届く限りの内側のことだ。
 ただ足で歩き、走るしか行くことができないならば、生涯をもって到達できる距離がその世界となる。
 数世代をかけて到達できる世界もある。それは、その世代を維持した一族の世界だ。
 ただし世界は一本の線でできているわけではない。世界とは広がりでもある。生きて、暮らし、生かされるのに必要な空間と時間の広がりでもある。
 そこに存在するさまざまな事物、事象をひとまとめにして、その関わりも変化も捉えて、ただ世界と呼ぶ。
 ただし世界は、認知されることを必要とする。人の持つ感覚とその拡張によって知られる必要がある。それもまた、届く限りということだ。
 なんらかの道具によって届くこともある。
 魔法によって届くこともある。
 それでも届く限りが世界だ。

 その朝、ロウチはひとり目覚める。
 黒い風のトーフェを父に持つ青年は、かつて味わったことのない感覚に包まれていた。
 目覚めるまで、夢を見ていた。
 世界の夢だった。音のない夢だった。目まぐるしく移ろう風景の夢だった。
 人の暮らしのある場面もあった、人の気配などまるでない深山幽谷の景色もあった。ロウチの持つ魔法の小さな目が実際に見ていたのか、あるいは記憶の中の景観が溶け合って作られた架空の景観であったのか、ロウチに判断することは不可能だった。
 ただ、きわめて濃い夢だった。密度の高い夢だった。
 その夢の濃さに比べてしまえば、目覚めた現実は薄い感覚に満たされていた。
 そのせいかもしれない。
 全身の肌から少し、親指の太さくらいの距離をおいて、薄膜に包まれているように感じる。なにか触れるにも、まずその膜が触れて、ゆるやかに感触が届いてくる、そんな感じなのだ。
 それは、旅に出て五日目の朝だった。
 街道は王都へと続くはずだがやけに人通りは少なく、廃屋も目立った。そんな家の軒先を借りて野宿していた。建物の中に入り込む度胸はなかった。それでもあれこれ工夫して寝場所を作り、持参の毛布にくるまって朝を迎える。思った以上に露が下りて、あたりは濡れていた。
 風邪をひいたのかもしれない。咳は出ないが、少し熱っぽい気もする。感覚の混乱もその影響かもしれない。
 ゆっくりと起きあがる。やはり少しふらつく。
 それでも毛布の露を払う。強く上下に振って、さらに振り回した。
 毛布の手触りが薄膜の内側にあるようで気持ちが悪かった。
 こうしてひとりきりで旅をして思うのは、小さな目で訪れた街のことだ。大樹に見下ろされるような不思議な街、その樹の穴に眠っていた少女。翼を持つ異形の魔導師。
 きっとそこでは、なにか重要な出来事が起こっているに違いないと思うのだ。
 ふう、と大きく呼吸する。毛布にはまだ水気が残っているから、適当な場所を探して干した。
 それから火をおこしてお湯を沸かす。水は昨日のうちに確保してある。さあ朝食の準備だ。立派な食事とはゆかないが、ひもじく思わぬ程度のことはできる。昨日ちょっとした出会いがあって、名も知らぬ丸い果物をもらった。味見にひとつ食べたが甘くておいしかった。あと三つある。あれも食べよう。一つ残そう。
 こんなふうに日常を組み立ててゆくのは、ロウチにとって意外に大変なことだった。たくさんの小さな好意を家族から受け取っていたから不自由なく暮らしていられたのだ。そう気づいたのが、旅に出て最初の収穫だったかもしれない。
 それから、もちろん世界の大きさ。家にいれば、ただ大きいだろう、くらいに思っていた漠然とした印象だ。けれど、歩いて実感すれば身体に定着する気がする。途方もなく大きい、寒くて痛い、と。
 お湯を飲む。トウガの粉と塩をお湯で練って食べる。少しだけ干し肉。最後に果物。
 まだ膜の感触が消えない。あるいは、自分がぼやけているような感じ。輪郭がはっきりしなくて、少し世界に溶けかかっているみたいだ。
 それでも出発する。おぼつかぬ手で片づけを済ませ、荷物をまとめる。最後に毛布を巻いた。
 日々、少しずつ暖かくなってきている。寒い季節の旅よりはよほど楽だろう。楽しいことさえあるに違いない。
 それでも不安は過ぎる。
 ラシリウスという魔導師は、この世界そのものの終焉を話していたのではないか。こんなふうに旅をしていることの、善し悪しを、判断することさえできないのに。
 それも仕方ない。自分に出来ることなど、ほんの小さなことでしかないだろう。
 けれどそれでも、投げやりになってはいない。もしかしたら自分にもなにかできるかもしれない。その時が来たら臆さず向かっていこうと思う。そんな決意をするために、自分は旅に出たのだから。
 草や木の緑が濃いと思う。
 ロウチは空を見上げた。
 青い竜を追っていったあの空。
 きっと果てには届かない空だ。

 空を見上げてセグロは小さくため息をついた。
 『青い猫亭』。店に戻ってきたところだった。
「朝から辛気くさいわね」
 背後から声がする。後ろ姿だけでため息をついたと分かったようだ。
「ああ」
 振り返ると、やはりサマエだった。オクライという魔導師によって生み出された最初の娘は、結局は魔導師にもならず魔法の力もなく、ただのおばさんになった。セグロが育てたのだから、それは妥当な成長だ。
 結婚し子どもを産んだ今でも、セグロを父親として関わり続けている。
「なにかあった?」
「たぶん、あった。が、どうも予想できない」
 なにごとにつけ心配し、先回りして手だてを講じるような生き方をしてきたセグロにとっては、ただそれだけで敗北宣言に等しいのだ。
「どうにもならないの?」
 サマエは、さすがにおかしな反応はしない。実の親子以上に、このあたりは心得ている。
「どうにかする」
 だからセグロも、下手な泣き言は言わない。
「なにか手伝う?」
「そうだな。とりあえず旦那を呼んでくれ」
「イロウパ?」
「ああ」
 たとえば縁ということを思う。人や物や、時には縁そのものを結ぶなにか。後付けで意味ありげに語るだけのこともあるが、必然ではないなにかの交わりを考えようとするなら、縁という言葉が必要とされる。
 セグロはいつだって、強い関わりを生みそうななにもかもを考えたかった。考えようとした。けれどその枠組みを越えて生じる関わりがある。
 初めて会った時のイロウパは、自分に関わりそうな相手ではなかった。それが今、サマエを通じて家族同様の存在になっている。
 どのみち他人ではあるはずなのだが。
「彼になにか出来るの?」
「たぶん私に出来ないことが出来るだろう」
 そう言うとサマエは、口の形を歪めて笑って見せた。
「そうね。それはそうだと思う」
 イロウパはこの町で、便利屋のようなことをしている。暴力沙汰の解決から、ちょっとした大工仕事。時には天気の予想などもする。肩口にナユという小さな魔法の獣を飼っていて、これがあれこれ感じているらしい。
 要するに、なにかあってから対応するという暮らしで、ここがセグロとは正反対なのだ。
 魔導師のオクライを助けるには都合の良い人材だが、家族を置いて旅に出すわけにはゆかなかった。
「じゃ、頼んだ」
「うん。分かった」
 去りゆくサマエに声をかける。
「サマエ!」
「なに?」
「今、なにか変じゃないか?」
 サマエは立ち止まり、ゆっくり振り返り、
「そうね。なんだかフワフワするみたい」
 少し困った顔をする。
 そうして、それはセグロも感じていたことだった。

 世界は、届く限りの内側だ。
 けれど届くかどうかは人それぞれだ。
 知りうることも異なる。感じ取れることも異なる。
 専門的職業についているからこそ感じられ、届く場合もある。
 なにも知らないから、小さな変異に敏感になれることもあり、知識に曇らされぬ世界に届くこともありえる。
 大きな変異があれば、世界自体が変質してしまうこともあるだろうが、それを人がどう受け取るかは、それぞれであるとしか言えない。
 それがいかなる変異であるのかを、個々に語ることができても、すべてに届くものではない。
 どのみち誰であっても、届く限界の外側があって、それを知ることは叶わないのだ。
 けれど届かせようと、手を伸ばすことはできる。届いていなかった世界を内側に取り込もうとすることができる。
 他者の持つ世界を、受け入れることもできる。

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