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魔法物語 ロウチ7

 長姉の名は祖母から取ったという。
 ロウチも、それくらいのことは知っていた。けれど、それ以上は教えられていない。父も母も、その名を大切に思っているのは間違いなかったが、あえて語りたくはない事情があるようだった。
 たとえば父方の祖父の名が出てこない。いや、それどころか、祖父というのはいないと聞いたことさえある。いない、と言われても、いったいなにがどう「いない」のか。ただ分からないというだけなのか。案外、魔法によって産まれて、親というものが存在しないのかもしれない。
 どのみち確かめようのない話なのだ。
 その、祖母と同じ名を持つ姉、ミリカは小柄でふくよかなひとだ。誰が見ても美女、ということはない。けれど、優しくて細やかな気のまわるひとだ。
 ミリカは、家族全体を見て、なにか足りないところを見つけると、そっと近づいてくる。忠告とか指導みたいなことは滅多にしない。ただ、おなかがすいているとか、少し無理しているとか、風邪をひきかけているとか、そういうことを確認する。なにが足りないのかを感じ取って、自分で助けられるようなら手をさしのべてくれる。
 今、ロウチの悩みは、戦いに関することだから、ミリカには縁の薄いところだ。
 だからその夕方、晩ご飯の知らせに来たはずなのに特になにも言わぬまま、腰を下ろして、しばらくロウチの横にいたけれど、最後まで黙っていた。
「夕食、だよね」
 とロウチから聞いた。
「そうね」
 と笑った。
 マウフウは帰っていった後で、カサニは自分の仕事でもういなかった。
「旅にね、出なくてもいいと思うの」
 ミリカは、そう言う。
「うん、そうだね」
 そう応じるしかなかった。すると、
「お父さんの話、しよう」
 姉は一大決心でもしたように言った。

 父さんが、若い頃には魔物狩りをしていたのは知っているでしょう? 街や村を襲うような魔物を退治して、その報酬で暮らしていたの。その当時は魔物の被害の話もたくさんあって、時には集落が滅ぼされるようなことだってあったらしいの。
 あたしが産まれた頃には、そんな魔物も少なくなかったって。それが減ったのは、父さんが魔物狩りをしてきたおかげだって思う。もちろん、それだけじゃなかったんでしょう。けれど、父さんはいろんな種類の魔物を、どう扱えばいいのかを知っていて、分からなくても調べて、それだけじゃなく、狩った魔物の利用方法まで考えて、みんなに教えたのよ。
 そんなことを繰り返してゆけば、恐ろしい魔物だって、だんだん獲物になってしまうわ。必要なら育ててみよう、なんてね。
 なにかの材料にしたり、薬になったり、食べ物にだってなる。煮炊きや暖房用の燃料に使える魔物もいたわ。もっとも、父さんはなぜだか魔物を燃やすことを嫌がっていたんだけどね。
 こういった魔物に関する知識を、お父さんは旅に出て身につけてきたのよ。
 竜の大地、って聞いたことあるでしょ。今はもうないんだけど、昔は、たくさんの魔物が集まっていて、とても恐ろしい場所だったのよ。でも、そこに行けば、いろんなことを覚えられたのね。
 父さんは、母さんと結婚する前に、そこに行ってきたらしいの。理由について聞いたこともあるんだけど、父さんは「自分でもよく分からない」って。ただ、行かなくちゃならない、って思いこんでいたって。誰かに会う必要があるんじゃないかって。

 姉の話はとりとめなくて、ただ漠然と「行かなくていいんじゃない?」と言いたいだけだった。
 けれど、ひとつのことに凝り固まっていたロウチの頭を、少しもみほぐしてくれる効果はあった。ミリカの、優しい微笑みも合わせて。
「晩ご飯だろ?」
 ロウチも姉の笑みに導かれるように笑った。
「きっとそうね」
 すっと立ち上がったけれど、それでもまだ小さい。ロウチが立ち上がれば、顔が胸の高さだ。
 ふと、父の言葉を思い出す。
「なにもかもが関わりによって在る」
 前後の事情をすっかり忘れたけれど、父の遠くを見るようだった目つきと一緒に思い出した。
 時間は流れてゆく。その長さの中に、なにか出来事を挟み込んで進んで行く。遠い過去と、今し方あったこと、現在という感覚の中に畳み込んで。
 感じたこと、考えたこと、思い出したことが同じように並べられて、《時》に重なる。
 小さな姉を、いつしか見下ろしている自分は、かつて同じ姉を見上げていた。
 水で身体を拭いて、着替え、軽口をたたきながら夕食が済んで、ロウチは横になった。目を閉じて、小さな目の感覚を確かめる。それを、ゆっくり動かしてみる。
 目に頼りすぎる、とマウフウに言われたこと、その意味を、他の人にはない余分な視覚のことかと考えてみる。が、たぶん違うと思う。
 小さな目を家の外に出して、おぼろな光に浮かぶ影の景色を、ゆっくり動きながら眺めた。
 竜に導かれて見下ろした景観と、稲妻に浮かぶ雨中の景色と、穏やかなる今の風景。いずれも同じ場所で、なのにまるで異なって感じる。それを、今という同じ時間の中に受け止めている。
 そのことがひどく心地よく、記憶の中の情景と今まさに感じている情景とを、ていねいに、透かすように重ねてみる。けれど、それでなにか特別なものに気づくわけでもない。ただ、鮮明に心地よい。
 いること、感じること、思うこと。それぞれにそれぞれを補っている。
 なにもかもが関わりによって在る。
 父の言葉の意味とは違うように思うけれど、関わりによって在る、を信じる。

 朝食の席でカサニに言われた。
「俺が教えてやるよ」
 唐突な申し出だった。
「どうしたらいいか悩んでるんだろ?」
 ロウチは、その提案を受けるべきか拒むべきかの判断もつかなかったのに、次兄は迷わずためらわずに言う。
「兄さんもおまえも、一発で決めようとしてるだろ。戦いなんて、そんな甘いもんじゃねえよ」
 口をもぐもぐさせながらカサニは言い放った。
「え?」
 自分の悩みとカサニの言葉がうまく折り合っていなかった。小さな混乱。
「だからなあ、攻撃なんてものは、一撃必殺だけってわけにはいかねえんだ。少しずつでも攻撃を当てて、弱らせてゆくってこともあるし、そのうち決定的な場面が巡ってくることだってあるわけだ」
「あ、ああ」
 実感はない。けれど理屈としては分かる。
「ま、そういうこと」
 で、パンと肩を叩かれた。
 その日、マウフウとの練習が始まると、カサニの話が頭から離れない。昨日まで積み上げた感覚がふいに薄れて、動きが止まってしまったりする。そうと気づいた瞬間、強引な攻撃に出ていたりする。
 マウフウは、そんなロウチの動きを先読みするように、軽く受け流す。
 だが、弱く出した突きが、兄の右手をかすめた。服の袖をこするように、ただ、突きの先端が布地をひっかけたようで、小さな手応えがあった。
 その瞬間、なにか変わったように思う。続いてとっさに出した一撃は兄の肩に当たる。すかさず次の一撃。これはかわされる。
 昨日までは、状況の変化をただ見ていた。受け取るだけだった。今は、状況に直接関与している。
 軽く後退して呼吸を整える。
 それから一気に攻めた。ひとまずは、当たりそうな攻撃を重ねる。
 だが、それだけでは駄目だと気づく。次に意識したのは、相手の動きを止める攻撃。手や足、時には指まで意識する。そうすることで、防御も兼ねた攻撃となる。
 さらに、相手の動きを制するなら、その先に、必殺の攻撃のための隙を見出すことにつながる。
 しばらく打ち合う中で、ロウチは自分なりの型を見出していた。最初は考えて行動を起こしていたものが、反射的に出来るようになる。ただしマウフウも気づいて、その型を崩すように対応する。ならばとロウチはいくつもの型を作って、選択肢を増やし、それぞれの微妙に異なる状況に合わせて、最適な道を選ぼうとする。
 ここに至って、状況を「見る」のでは間に合わなくなっている。自分の身体の角度や相手の息づかい、あるいは汗などの臭いまでもが、選択肢に影響している。
 与えられた時間いっぱいに、自ら持ちうるあらゆる感覚と思考がみなぎる充実感を得る。
 楽しい、と言葉にはしないが、ロウチは今という時間を確実に楽しみ、自らの喜びとしていた。
 互いに、互いを感じ合う。
 だが、マウフウが大きく下がった。打ち合う距離から離脱する。
「よし」
 少し距離を置いて、マウフウは呼吸を整える。ロウチの攻撃が当たらぬ場所で、全身に気力を込めているのが分かった。木剣を上段に構え、次に必殺の一撃を放つのだ。かつて、竜の翼を切ったという、あの。
 ロウチは構える。
 木剣とはいえ、あれを自分の武器で受けることはできない。ロウチにそれだけの力はない。まともに受ければ、武器は弾かれ頭を砕かれかねないと分かる。
 だからこそ構えたのだ。十分な体勢で、それに対応するための準備として。
 兄の身体が一瞬大きくなった。と感じた時には、その剣は裂帛の気合いをもって振り下ろされている。
 逃げるもならず、受けるもならず、かわすもならず。
 ロウチは前に出た。頭、首から肩を守るように、棒状の武器を斜めに置く。弱く受け、同時にかわすのだ。
 だが次の瞬間、激しい衝撃を受ける。木剣が砕けて、その破片が襲いかかってきた。折れた先が、ロウチの背後の地面に叩きつけられる。ロウチの肩に爆発する痛み。そこから逃げるように身体は横にはじかれる。
 それでいて、マウフウが激突の瞬間力を抜いたのが分かった。それがなければ、ロウチの肩は自分の武器によって砕かれていたろう。
 横向きに投げ出されて、倒れた姿勢からかろうじて見上げる。するとマウフウは、ひどく困ったように顔を歪めていた。
「すまん。ちょっとやりすぎた」
 ロウチは息が止まっていた。身体が混乱していたのだ。地面が顔のすぐ横にあって、うっすらと頬の感触が生じ、それからゆっくり呼吸が帰ってくる。小さい息から、徐々に大きく。
 混沌とした視界に、小さな目の視野がかぶさった。それは、マウフウの様子を少し上から見下ろしていた。さらに、ぶざまに横たわっている自分。
 一朝一夕の付け焼き刃の修行で、あのマウフウに勝てるわけはなかったのだ。

 幸い骨に異常はなかった。打撲の痕は赤く腫れ上がったけれど、動かせないこともなかった。
 ともあれ、マウフウによる戦闘指南は、これにて終了ということになった。つまり、ひとまずは合格ということだ。
「本気で戦ってしまえば、旅どころではなくなるだろうからな」
「笑いごとじゃありません」
 珍しくミリカが本気で怒った。
「そうねえ」
 イトトセはマウフウもかばうような様子だった。
 あとの姉たちは、おおむねミリカの味方らしき雰囲気だった。
 なんだかもう、ロウチが旅に出る、と皆が了解しているようだった。
 そのあと広がるのは、あまりにも穏やかな日々。あと数日で、ひとまずは終わってしまう日常。

 なぜ行かなければならないのだろう。
 行かなくてもいいのかもしれない。
 そう考えなかったわけではない。
 けれど、ロウチは行くに違いなかった。
 あの夜見た竜を思う。
 同時に、竜の大地を。ただ言葉でしか知らぬその場所に、自分も行かなければならないと信じた。

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