さいとうはるき

間違いや足りないモノの中にある「きれいな“青さ”」、みたいな。 陸前高田、今こっがら、…

さいとうはるき

間違いや足りないモノの中にある「きれいな“青さ”」、みたいな。 陸前高田、今こっがら、おらどがら。

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「岩手県営野球場」を貸し切ってみた。

ようこそ、風の世界へ 岩手の野球少年たちは、毎年7月の高校野球中継に夢中になる。 ここ数年はスマホを握りしめ母校の活躍や、スターの卵たちを目の当たりにすることもできるようになったが、10年前とかっていうのは、テレビの液晶の向こう側の世界だった。 とりわけ、夏の大会で自校が県営のクジを当てようものなら「白球ライブに映る!」と小躍りしたり。娯楽が少ない岩手では、夏の大会は初戦からテレビ中継があったのだ。 今や海の向こうのスターも、憧れのプロ野球チームの選手も、その場所で試

    • 永遠の終着駅、橋場駅

      1944年、不要不急路線として雫石〜橋場間が“休止”。以来78年に渡り再開されぬままの橋場駅。 朽ちたホームが、経過した時間の長さと止められない時間の虚しさを物語る。戦争がなかったら、ここは今も列車が行き交う場所だったに違いない。 剥がされたレールは、国防上優先された釜石線の建設にあてがわれた記録が残っている。 鳥のさえずり、国道を走る車の音、川のせせらぎ。 ふと目を閉じると、、、 到着した汽車から忙しく乗り降りする客。 盛岡へ折り返す準備をする機関車。 蒸気圧を上げ

      • いち被災者が書く…「SL銀河」運行終了は被災地からどう捉えられているか

        汽車の姿が完全に消え、橋の上が闇に包まれた瞬間、どこからともなく拍手が沸き起こった。自分の中では「ああ終わった…」という安堵の感情だった。無事に終わってホッとしたような、肩の荷が下りたような。 だが、違和感は消えなかった。 運行終了の報道が出てからと言うもの、毎日がお祭りだった。他県ナンバーの車が行き交い、三脚が線路端に立ち並んだ。 この10年あまりで、何度となく「復興支援」という言葉を聞いた。それらの活動に心を揺さぶられた者や、それらによって人生が変わった者だっている

        • 歌の記憶

          今から約15年も前になってしまう話。 その昔、広田小学校は、毎年秋に行われる市内の陸上競技会には応援団を結成し、ブラバン応援やらバトン部やら、それはそれはスゴい規模だった。当時ですら、高田小と広田くらいなものだった。 その時にしか、歌われない応援歌があった。 小学生が上級生から配られる歌詞カードなんて、所詮はひらがなオンリーの歌詞。ザラ紙にコピーされたヘタクソな手書きの文字の歌詞を必死に覚えて歌った記憶があるのだが、 歌詞の意味がよく分からないまま絶叫にも近い声量で歌

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        「岩手県営野球場」を貸し切ってみた。

        マガジン

        • 【撮り語り】黒崎神社式年例大祭2019
          10本

        記事

          北海道で、蒸気機関車を運転してみた。

          まことに汚い話であるが、四半世紀を生きると人間というのは狡猾になる。 例えば、「ある程度のカネを払えば、夢が叶う」ってやつだ。 世の中には2種類の人間が存在する。 努力した上で子どもの時からの夢を叶える人間と、それ以外だ。 僕は無論、後者である。後者であり続けている、といった言い方が正しいかも知れない。 そんな僕が、どんな夢を叶えたか。 自分の手で蒸気機関車を運転する、ということだ。 そんな物好きな人種を集める施設など、この日本に一カ所しかない。 北海道三笠市。札幌

          北海道で、蒸気機関車を運転してみた。

          「希望」の正体って?

          少し昔の話をしたい。 僕たちは、親たちや周りの大人たちから見て、少なくとも「希望」だった。もう少し詳しく書くと、「被災地の、復興の象徴」だった。 象徴という、実感のない、薄気味の悪い、ぬるっとした概念が、いきなり自分たちの身に降り掛かってきた。それも、ある日突然。一体全体、なぜなのか。周りの大人たちの行動が理解できなかった。 11年前。 この町の子どもたちは、そんな環境にあった。 その言葉はそれ以前にも聞いたことがあった。学校の授業。公民の時間。何か少し、遠い存在。

          「希望」の正体って?

          無題

          僕は職場で、いわゆる外回りをしている。支店を出て、お客さんの家を1人で回って歩いて、という部署にいる。日によっては1人ではなく職場のお偉さんと一緒に外回りをすることもある。 去年の夏だっただろうか。その日はローラー作戦と称して、市内のとある集落を端から端まで回って歩くという日があった。 決まって、そういう日は1人ではなく誰かと一緒に回ることが多かった。その日は珍しく、普段一緒に歩くような上司ではなく、Yさんという普段あまり外に出ない、アラフォーの女性の先輩と歩くことになっ

          現代童話

          むがぁす、あったどさ。 広田の長洞つ浜ど、小友の唯出つ浜どが、ひとつの湾の中で隣り合ってらったど。 湾の真ん中を境目に広田と小友の村の境目があってす、まんつ、昔っから「ば!あっちの連中どぁ、こっちゃ来て魚っこ獲ってらじゃ」つような、言い争いが絶えなかったんだど。 ある年のアワビの時期、長ぁく言い争いが続いて、ついに「もぅは、おらどでは決められね!アワビさ決めてもらうべ」となったど。 つまり、広田と小友の両側から活きったアワビを放して、アワビが進んだところまでを漁の境界

          Turn Table

          一般的に、蒸気機関車は正面を向いた状態で走行する前提で使用される。 終着駅で折り返す際には、給水などの整備をするタイミングで、駅構内にある「転車台」を使って向きを変える。 読んで字の如く、である。 かつて、日本中の終着駅やターミナル駅に、この装置が存在した。 そんなに重たいものが回るのかい? いやいや、動きだしてしまえばスグでござい、と言わんばかりに、100トンの巨体はクルリと旋回した。 人力で動いたり、電気で動いたり。 それこそ、昭和中期にはボイラーにホースを

          走る"証言者"

          急ですが、皆さん蒸気機関車の種類(車種)ってどれくらいご存じですか? その製造数から蒸気機関車の代名詞とも言える「デゴイチ」。早さ、大きさ、そして戦後復興の象徴、そして『銀河鉄道999』でも有名「シロクニ」。あたりは有名ですよね。いや、その二つが有名すぎて他が霞むほど。他に何があるのさ?という人もいるでしょう。てか、居てほしい。 さて、きょうはその中でも一つの車種をご紹介したいと思います。 「シゴロク」の愛称で親しまれた「C56」型。特徴は画像をご覧ください。 なんともへ

          この被災地の片隅に

          昨年9月、同じ集落の長老だったK氏が旅立たれた。卒論執筆時のインタビューを二つ返事で快諾して頂いたので、自分にとっては本当に頭が上がらなかった人。アンネ(歳上の女性への敬称)という表現が最も似合う人だったなーと。 もっともっと、いろんなことを聞いておきたかったな、というのが正直な感想で。 空襲から森の中に逃げた話とか、小学校に通う道中で宿題をやった話とか、戦前の黒崎神社のお祭りの話とか。そして、この集落でかつて行われていた様々な地域行事の話を聞いた。去年の盆踊りで、かつて

          この被災地の片隅に

          #遠野某所

          何度も何度も撮るんだけど、未だにこの被写体のしっくり来るアングルが分からない。

          毎日が遊歩道。

          40分。 あなたはこの時間があれば何ができるだろう? 首都圏の皆さんに敢えて伝わるように書けば、新宿駅から横浜駅までの電車での所要時間と言えばイメージできるかもしれない。 答えは、ぼくの小学校までの登校に要する時間。むろん、片道。 田舎すぎるだろと笑う人が半分、それは児童虐待ではないかと冷ややかな顔をする人が半分ではないだろうか。ちなみに、子供の足のスピードであるが、平坦な市街地の道路ではなく、坂道とカーブが連続する田舎道であることをお忘れなく。 ぼくの部落(敢えてこう

          毎日が遊歩道。

          ダイヤグラムに思う。

          いよいよマニアック極まりないネタがやってきました。当欄もここまで来たか、と。笑 画像を見て興奮で鼻息が荒くなった人は間違いなくその筋の人でしょう。こちらは昭和41年秋の大船渡線のダイヤグラムです。 ダイヤグラムってなーに?という人が9割と思われますので説明しますと、ざっくり言うと「列車の運行計画を表現した図」。列車の所要時間・停車時間や行き違いが一目でわかる表のことです。よく「ダイヤが乱れて」なんて言いますよね、それです。 縦軸が時間、横軸が駅を示しています。一次関数の

          ダイヤグラムに思う。

          この碑なんの碑

          今回の投稿、はっきり言ってマイナー過ぎて誰も分からないと思います。でも一応、書きますね。 現在「みちのく潮風トレイル」として脚光を浴びている広田半島の長大遊歩道があります。六ヶ浦から黒崎展望台までの間、海を見ながら松林の中を歩く良い感じのコースの途中で、唐突に石碑が現れます。 潮風トレイルと言うほどの遊歩道なので海は間近ですが、海面から20メートルくらいの高台にあるため、林の外から波の音が聴こえてくるかな、といった場所。碑の高さは1メートルほど。風化しきった文言を

          この碑なんの碑

          ちょっと神宮球場へ。

          東京で一番好きな場所が、ここ。 神宮球場。 ビルの周りにポッカリとここに平面が広がっているような、空気が好き。 日常生活の権化、戦いのワンダーランドのような町に突如現れる、日常と非日常の交差点のようなフィールド。これが、いい。 カクテル光線が照らすのは、選手。対照として、眩い光に包まれる彼らを見つめる僕たち。憧れの視線。好奇の視線。羨望の視線。それらが交わるフィールド。歓声の中に、乾いたバットの音の中に、トランペットの旋律の中に、傘に反射するナイター照明の煌めきの中に

          ちょっと神宮球場へ。