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走る"証言者"

急ですが、皆さん蒸気機関車の種類(車種)ってどれくらいご存じですか?
その製造数から蒸気機関車の代名詞とも言える「デゴイチ」。早さ、大きさ、そして戦後復興の象徴、そして『銀河鉄道999』でも有名「シロクニ」。あたりは有名ですよね。いや、その二つが有名すぎて他が霞むほど。他に何があるのさ?という人もいるでしょう。てか、居てほしい。

さて、きょうはその中でも一つの車種をご紹介したいと思います。
「シゴロク」の愛称で親しまれた「C56」型。特徴は画像をご覧ください。

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なんともへんてこなカタチをしている部分があります。石炭を積むスペースを削減しているのは、バック運転の時の後方視界確保が目的とされています。比較的小型の機関車で、地方の長距離ローカル線で主に活躍しました。

シゴロクの活躍の舞台は、製造された当初(昭和初期)のころは北海道や東北でした。大きな機関車が入れない、規格の小さな路線での使用がメインとされましたが、徐々に日本は戦時下へと突入していきます。

当時、日本は南方戦線――、現在のフィリピンやインドネシアを”列強の支配から解放”するべく、戦線を拡大していきました。ミャンマー(当時の国名はビルマ)において、隣国タイとの間の物資輸送のために旧日本軍が泰緬鉄道という路線を建設します。ここにシゴロクが登場します。つまりは人間と同様に、戦地への出征をしたのです。レール幅や運転台の改造を経て南方に派遣されたシゴロクは90両と言われています。日本国内で製造されたシゴロクは約160両なので、どれほど旧日本軍が作戦上重視していたかが分かる数字です。

ちなみに、日本における主な蒸気機関車の車両番号は「形式―製造順」になっています。「C56 44」ならば、C56という車種の44番目に製造されたという意。南方への90両は、製造された1号機から90号機までが日本中からかき集められました。戦後もシゴロクが日本各地で活躍しますが、いずれも製造番号が大きい車両ばかり。なんでシゴロクは若い番号が少ないんだろう?と私は子どもながら図書館の本を読みながら不思議に思ったこともありました。

とまれ、小型で長距離を走れる利点を活かし海を渡ったシゴロクは、最前線で旧日本軍とともに活躍をします。舞台は、占領下の大英帝国が鉄道建設を断念するほどの山岳地帯の400kmに及ぶ距離を、わずか1年あまりで建設するという半ば無謀とも言える作戦。軍人、現地住民だけでなく、敵軍の捕虜も動員された現場では「枕木の数ほど死者が出た」とも揶揄されました。その現場において試運転に用いられた――いわば本当の意味での一番列車は、一両のシゴロクでした。線路が完成する度に少しずつ前進していくシゴロクは、彼らにとって、いやひとつの国にとって、まさに希望の象徴だったことでしょう。

結論から言えば、海を渡った90両のシゴロクの中で帰還を果たしたのはわずか2両。その大多数が被災――、爆撃、銃撃を受けた車両もあれば、線路の整備状態が極端に悪いことによる脱線した車両もありました。戦争末期になると、作戦上の退却の際に機関車を連れて行けない場合も多く、敵に機関車を渡さないために、将兵によってボイラーに爆薬を詰められ、時には苦楽をともにした将兵も自らの身体を車両にくくり付け爆破する「自決」も度々行われたと言います。

現在、静岡県の大井川に沿って走る大井川鐵道において、戦後タイから奇跡の帰還を果たしたシゴロク「44号機」が走行可能な状態で保存されています。機関銃を搭載するために切り詰められた運転台の屋根が、往時を物語ります。

終戦から70年あまり。二つ年号が変わっても、44号機は汽笛を鳴らしながら、元気に走っています。

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