北海道で、蒸気機関車を運転してみた。
まことに汚い話であるが、四半世紀を生きると人間というのは狡猾になる。
例えば、「ある程度のカネを払えば、夢が叶う」ってやつだ。
世の中には2種類の人間が存在する。
努力した上で子どもの時からの夢を叶える人間と、それ以外だ。
僕は無論、後者である。後者であり続けている、といった言い方が正しいかも知れない。
そんな僕が、どんな夢を叶えたか。
自分の手で蒸気機関車を運転する、ということだ。
そんな物好きな人種を集める施設など、この日本に一カ所しかない。
北海道三笠市。札幌からだと自動車で一時間程度の町。その三笠市の町外れ。かつて石炭の産出で賑わった廃駅を利用した展示施設「三笠鉄道村」。ここが僕のアナザースカイ、、になるか。
展示施設の周囲は廃屋が点在する、限界集落一歩手前のような地区。車を走らせていると、左右を山に囲まれた谷間に展示車両と線路が出現、そこだけが異彩を放っていた。ここは昭和95年か?
在りし日は、ここに多くの石炭を満載した貨車と、それを運び出す機関車で溢れかえっていたに違いない。施設内の説明によると、ここは北海道の鉄道発祥の地であるという。明治中期にここ産出される石炭を運ぶために、この駅から札幌を経て小樽港までの鉄路が敷かれ、蝦夷地から名が改まったばかりの北の大地は近代化の歩みを始めた。
施設の周囲は鉱山町だったようで、かつては商店が100軒近くあったというが、現在は1軒の金物屋が残るのみだ。
そんな場所に、僕は導かれた。
広大な構内の一角に、ウォームアップをしている"ヤツ"がいる。
ははあ。アイツだな?と思いながらも、まずは座学の講義を受けなければならない。この時くばられた冊子は次の通り。
・北海道の鉄道のあゆみ
・運転教本
・運転する区間の高低差の表
一時間程度、ここを動かして、ここをこうして、という映像を見た後で、作業着に着替え、機関車の前で点呼。
機関車は後ろに2両の客車(人を乗せる車両)を繋いでいる。
30分に一回は、お客さんを乗せて遊覧走行をする。その間を縫って、運転体験の枠が設けられている。
「じゃあ、一回お客さんを乗せて走るから、横から見てて!」
と機関士氏が提案してきたので、その話に乗ることに。
梯子を上がり、灼熱の機関室へ。
皆さんも想像できよう。メラメラと石炭が焚かれ、身体の半分が灼けるようだ。しかも与えられた作業着は長袖である。
機関士氏と、石炭をカマにくべる&ボイラーに水を送る担当の助手氏、そして僕の3人で機関室は一杯。足下には助手氏がくべる石炭が転がっている。
「はい、発車ぁ!」機関士氏が叫ぶと、こっちも復唱。とにかくテンションを上げて緊張を溶かしていくしかない。
谷間に汽笛が響き、軽やかに加速。
後ろの客車では楽しそうに親子連れがはしゃいでいるけど、僕は機関士氏の一挙手一投足を見続けた。
(えー、なるほど、ここを通過したタイミングで、これをこうして、、、)
構内の端まで来て、今度は客車を背中向きに押し上げるようにして、退行運転。元の場所へ戻る。
この5分で総練習は終了。いよいよ僕の番が来た。客車を切り離すと、僕は運転席にいざなわれた。
運転席に座る。さて、、、講習の内容が飛んでしまったぞ。
機関士氏「おー?緊張してるねえ!」
僕「あはは、、、」
助手氏「サイトウ君、クルマの免許ある?」
僕「ありますあります」
助手氏「それと同じだから。大丈夫だから」
一体、なにが同じなんだろう。以下、僕と機関士氏。
「逆転機を前進にして」前進と後進を切り替えるレバーを操作。
「前方と後方を確認して」窓から身を乗り出す。
「ブレーキを緩めて」単弁を解く。
「発車ぁ!」「はい発車!」
「汽笛!」\ ボォーッ!/
もう、この時点で興奮の真っ只中にいた。
「はい、加減弁下げて!」コツン
いわゆるアクセルだ。これでボイラーに蒸気を送る量を加減する。
ガタン。
ついに、ついに。ついに。
排気音と共に動き始める機関車。
ああ、やったぞ、ついにやりやがったぞ。
と、感動をする間もなく矢継ぎ早に指示が飛ぶ。
「はい、ドレーン切って」足下にあるドレーンコックを手前に引く。
車輪近くから出る水蒸気。シリンダーに溜まった水を出す。
シュッシュッシュッ…
足下のレバーを操作するこの瞬間、視界はゼロに近い。
機関士氏が周囲を見守っていてくれる信頼を基に、僕はドレーンコックを再び閉める。
「加減弁閉めて!」アクセルを戻して、ここからは惰性で走る。
シュッポシュッポという排気音が絶えて、あとはレールの継ぎ目の音だけが椅子の下から伝わる。
構内の端が見えてくる。果たして、うまく停めなければならない。
「あそこの看板だからね!」
さて、ブレーキ操作だ。走るよりちゃんと停まれるかというやつだ。
徐々に、、、ということは分かっている。分かっているつもりだった。
ブレーキレバー(単弁)を左に、と思い力を込めた瞬間、なんと急停車した。ギギギッという音がして、つんのめったようにして停車した。なんだこの感覚の掴めないブレーキは??と思ってしまった。
「いや~、難しいでしょ?」
はい、こうなるのを避けるべく慎重にいったつもりだったんですけどね。
「まあ、最初は誰でもそうだから!」
そうなんですね。
「じゃあ、戻ろっか!」
そうだ、ここからバック運転でスタート地点に戻らねばならない。
逆転器を後退にして、短笛一声。狭い谷間に汽笛が響いたところで、今度は逆向きに機関車が戻っていく。
ところで、運転席の椅子は前を向いて走るように設置されている。レバーも、窓も、そういう構造になっている。そんな構造でバック運転をするとなると、、、自分の上半身を窓から身を乗り出して、180°反転させて後方注視をしなければならない。
晴れていて、本当に良かったと思った。雨天での後方注視は、さぞ辛いだろうと。
構内を端から端まで、往復すると10分かからないくらいだっただろうか。でもそれ以上にあっという間に、時が流れていく。
2往復して、遊覧走行をする時間になり、一度休憩。
休憩小屋には、おそらく国鉄時代から運転士をされていたであろうOBの方々が4、5人たむろしていた。合間を見て機関車の整備などを委託されているのだろうが、機関車が構内を往復している間は、思い出話に花を咲かせているようだ。
「サイトウ君は、どこから?」
岩手からです。
皮肉にも自己紹介するのに困らない町になってしまった出身地を挙げると
「そんなとこからよく来たなあ、、」
いえいえ、好きなものはしゃあないですから。
この人生の大先輩たちは、灼熱の運転席に座り、何千トンもの貨車を時間通りに引っ張って、停めて、吹雪の日も風の日も、それを動かしてたんだろうな。。。
と思っていると、機関車が帰ってきた。自分はただ慣れるしかない。
今度は3往復目になる。
往路が終わり、復路になったときだった。
このあたりでは、もう僕は機関士氏の助言無く機関車を動かしていた。
逆転器を後退に入れて、前方と後方を確認、
単弁緩めて、汽笛、加減弁開ける、ドレーンコック開ける、、
「サイトウ君、ちょっと、ちょっと」
はい?
蒸気の排気音が耳をつんざいている横から機関士氏が声をかける。
「ここから駅に行くのって坂になってるのね、だから、もう一回加減弁開けて送り込む蒸気の量を増やして!」
そうか、いままでギア1で上り坂に挑んでいたのか。
その指示を聞いて、僕は下げていた加減弁を一度閉めて、もう一度加減弁を開けた。
なんというんだろう。なんと、子気味の良い蒸気の排気音だろう。
天にも昇る気持ちとは、こういうことを言うんだろうか。
それくらい、うっとりするような心持ちで僕は機関車を運転していた。
夢を叶えた人間というのは、こういう境地になるものなのか、と。
やや放心状態になって僕は運転席を後にした。
僕の魂は、まだ北海道にあるような気がしている。