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毎日が遊歩道。

40分。
あなたはこの時間があれば何ができるだろう?
首都圏の皆さんに敢えて伝わるように書けば、新宿駅から横浜駅までの電車での所要時間と言えばイメージできるかもしれない。


答えは、ぼくの小学校までの登校に要する時間。むろん、片道。


田舎すぎるだろと笑う人が半分、それは児童虐待ではないかと冷ややかな顔をする人が半分ではないだろうか。ちなみに、子供の足のスピードであるが、平坦な市街地の道路ではなく、坂道とカーブが連続する田舎道であることをお忘れなく。


ぼくの部落(敢えてこう書かせてください、理由は、、、また別の日に)は、学区の端っこにあるもんだから、「なんでわざわざ苦労して歩かなくちゃならんのだ」と何度も思った。正直なところ。だって学校近くの家の子に比べたら、一時間近く布団から出る時間が変わってしまうから。


朝七時に集合。そう、一人では歩かない。ご近所さんの後輩や先輩たちと連れだって「登校班」を組んで歩く。班長は一番後ろ。副班長が一番前で、一年生は二番目か三番目に並ぶ。だいたい並ぶ順番も決まっていたけど、途中で列がグチャグチャになることはしばしばだった。


雨が朝から降り続く日は、祖父母に車で送ってもらうこともあったけど、それでも年間100日近くは往復2時間近く歩く生活を小学校6年間通したことになる。


復路が往路に比べて時間がやけにかかるのは、寄り道をしながらみんなで歩いてくるから。一人で歩くときは、いろんなことを考えながら、いろんなものを拾いながら帰ってくるわけで。通学路は大野浜の脇の防潮堤を通っていたために、時には砂浜の漂着物を拾ったり、波打ち際まで行ってみたり。いま市外から人が来るとほぼ必ず大野浜へ行って「キレイ!」と言うけど、毎日その横を歩いていた身としては「ふーん」という感想しか出てこない。

この登校班という生活リズムから、子供ながらに「目上の人の言うことを聞く」「後輩に気を配る」ことを学ぶことができた貴重な経験を得た。そういえば、今の子たちって先生や家族以外から指示を受けるってあるんだろうか。現在はスクールバス通学になり、往路も復路も10分弱で学校に着いてしまう。その間、誰の言うことを聞くんだろう、と、つい思ってしまう。そういえば昔って、他の家の子どもを叱れる親がいたよなあ。なんとなく、今はそういう環境がなくなってしまった気がする。


市内の中でも広田だけだと言われるのが、5学年上までの地元の先輩を「○○にいちゃん」「○○ねえちゃん」と小学生ながら敬称をつけて呼ぶこと。今もその名残で当時の登校班の先輩に対して、そういう呼び方をついついしちゃうんだけど、他学区では平気でタメ口を使って呼んでいる事を知ったときはかなりの衝撃だった。でもこういう呼び方、登校班制度の良いところだと思っている。中学校で自転車通学になって「○○センパイ」という呼び方に変わるけど、今でもついその言葉が出てしまうときがある。ちなみに自転車でも急勾配の連続であるために15分を要していた。


来年からスクールバスが廃止される話がチラホラ聞こえてくる。いまの子どもたちは、あの距離に耐えれるのだろうか。果たして、あの”親しき仲にも礼儀”という空気感が戻ってくるか、どうか。


こんなこと書いてたら老害って思われるんだろうなあ。
でも、浸水区域を避けるように道路が付け変わったために、大野浜のすぐ横を通る通学路が使われなくなるのは、やっぱり寂しいものがある。