ダイヤグラムに思う。

いよいよマニアック極まりないネタがやってきました。当欄もここまで来たか、と。笑

画像を見て興奮で鼻息が荒くなった人は間違いなくその筋の人でしょう。こちらは昭和41年秋の大船渡線のダイヤグラムです。

ダイヤグラムってなーに?という人が9割と思われますので説明しますと、ざっくり言うと「列車の運行計画を表現した図」。列車の所要時間・停車時間や行き違いが一目でわかる表のことです。よく「ダイヤが乱れて」なんて言いますよね、それです。

縦軸が時間、横軸が駅を示しています。一次関数のグラフの応用と言っていいでしょう。この図は元々大船渡線の一日の運用のうち、午前を上段、午後を下段として表示。凡例とすれば太線が急行(!)、細い線が普通列車、そして点線が貨物列車(!)です。

ええっ、、と思われた方。そうです、50年前は昼夜問わずひっきりなしに貨物列車が走っていたのですぞ。もちろん、、煙を吐いて。

ちなみに、上から下へ、右斜め下へ向かう線は「盛→一ノ関」の上り列車、下から上へ、右斜め上へ向かう線は下り列車を表します。

図の上段を拡大してみました。左から二本目の点線、これは盛を午前二時半に経つ貨物列車であることが分かります。気仙沼、千厩などで対向列車とすれ違いをして、一ノ関には7時前に着くことが分かります(頑張ってついてきてください)。

そんなに時間がかかっていたのか、ということですが、、当時は主要駅に着く度に貨車の入れ替えや荷物の上げ下ろしなどを行っていたと予想されます。加えて、鮮魚を運ぶ時間帯でもあったのではないか、なんて。その証拠に、気仙沼と大船渡でやたら長時間停車する“点線”がいくつもあることに気づきます。そういえば、気仙沼と大船渡は魚市場までの専用線があったのでした。おそらく、荷揚げされた冷蔵貨車を増結したり、入れ替えしたり、なーんてしてたんだろうな、と。

ちなみに、“点線”が急勾配の連続する陸中矢作~上鹿折間において、実線(旅客列車)と比べて「線が寝ている」、すなわち所要時間がかかっていることも分かります。蒸気機関車での重たい貨車を引いての峠越え、乗務員の皆様はさぞ苦労だったのではないか(特に急勾配区間では、前に走った貨車の積み荷が鮮魚だった場合、車軸を魚の脂が伝うことでレールが極端に滑りやすくなり、その後の列車を担当する乗務員が苦労したこともあったと言います)。

汽車が運んだのは、魚だけではありません。石灰石だって運んでます。一ノ関と陸中松川の間、やたら点線が多いなあと思ったら、これは石灰石専用列車のダイヤですね。かつて東北一の貨物発着量を記録した陸中松川、さすがとしか言いようがありません。転向設備がないために、バック運転に対応するべく機関車を改造してまで走らせたと言いますから。

おそらく、この年代が大船渡線で一番華やかな時代だったでしょうね。これより後、道路事情が格段に向上し、トラック輸送の時代に突入していきます。