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この被災地の片隅に

昨年9月、同じ集落の長老だったK氏が旅立たれた。卒論執筆時のインタビューを二つ返事で快諾して頂いたので、自分にとっては本当に頭が上がらなかった人。アンネ(歳上の女性への敬称)という表現が最も似合う人だったなーと。


もっともっと、いろんなことを聞いておきたかったな、というのが正直な感想で。


空襲から森の中に逃げた話とか、小学校に通う道中で宿題をやった話とか、戦前の黒崎神社のお祭りの話とか。そして、この集落でかつて行われていた様々な地域行事の話を聞いた。去年の盆踊りで、かつての自分の家の跡地を使わせて頂く話をした時は、めちゃ喜んでたな。


漁港復旧後、みんなで浜で踊りを踊りたいと言っていたことは叶わず。
なんと言うか、未来を見ていた人だったんだと。まだまだ若造に対して言いたいことは沢山あったんだろうけど、この土地や未来に対する“熱”みたいなのは、貴女から確かに受け継ぎましたよ、、って言ったら怒られそうだけど、その1%でも、近い未来に還元できるように、なんてね。

彼女から聞き取った、卒論調査の文字起こしを見ていると「人間が一人亡くなるのは、図書館が一つ消えるのと同じ」という何かの格言を思い出した。
以下、文字起こしの一部を掲載する。2017年冬、震災から6年目の被災地の片隅に生きる人間の情景を思い浮かべながら読み進めて戴ければ幸いである。

[予備知識]
「オガミサマ」=亡き人の魂を自らの体に憑依させた上で、亡き人があの世で何を思っているかを聞かせる人、またはその職業を方言で言い表したもの。イタコ。
「神さま遊ばせ」=オガミサマが行う行事、祭事を指す。
「_」=聴き取り不能箇所


・震災前には年に一度神さま遊ばせで集まっていたといいますが、それは誰が呼びかけていたんですか?
「だいたいは婦人会の会長さんだけんと、年寄りは年寄りで、行き会った時に話し語りしたりしてね。そして、日にちを定めるのも、婦人会の会長さんが、こういうので(九星本暦を指差す)決めて、あとは良い日を、みんなの良い日を決めてね、そして決めんの。そして、(津波で)流れないときは上組と下組とあったから、先に上をやって、次に下が集まる。オガミサマ頼んでね」


・オガミサマは何処の人を頼んでたんですか?
「昔はね、河原新屋(からしんや=長洞下組に所属する家の屋号)から出てったオガミサマだったの。それを今は、あの小細浦にあんの。その人に連絡しておくと、その人が、どこそれからはいつそれに、何時何分から予約があっからって、ぶつかっつど、おらほでは後にずれっから、伸ばされるわけ。一日でも、二日でも。そうして、良い日を選んで決めるわけ」


・暦の中で不向きな日があるんですね
「あるよ。それもそうだし、部落の中で公民館が使えない日もあるからね」


・集まる人は女の人が多いですか?やっぱり婦人会がやるってことは
「んだね、女の人。その家のね、まず、先立ってる母さんとか、ばあさんとか。ほんで、若い人はまず、オガミサマの話を分かんねえから。言葉が違うから。だがら、わたしみたいな年寄りは、隣で聞いてる人に聞かせるわけ。“ユミドリ”っては、父さんのこと。“ヘラドリ”ってのは、母さんのこと。そういう風に語っから、こっちの人は、「ユミトリって何だ?」「ヘラトリって何よ?」って聞くわけ」


・やっぱりはじめの頃は半信半疑だったんじゃないですか?
「そうそう。オガミサマ何言ってるかわがんねえしね。だからそれを聞いてけで、して日にちも昔の日にちで語るからね、」


・ああ、旧暦
「うん、旧暦だから、聞く人は新暦で聞いてっから、ね、だから、これは全部旧暦なの。オガミサマづのは全部旧暦だから、おらども、オガミサマ寄せるには、旧暦のお正月年取ってからするのが本当なの。旧正月明けて、七草あたりが過ぎると次の年のことになるから、それで言うわけ。その前は、ほら、立春までは前の年だから。あとは、立春過ぎれば「お宅さんではユミトリがとしほしが良いから何をやってもいいから」とか「神さまがどこそれさ来てっから気をつけるんだ」とかは、旧暦の勘定なの、全部。んだがらね、今の人たちは新暦ばり語っから、それを覚えなきゃだめなの」


・震災後にそういう集まりをしなくなったのが不思議ですよね
「んだがら。震災前、あすあす震災だって時に箱根山でオガミサマ呼んだんだそうです。頼んでね。こんな震災がなるとは思わねがら。そしたれば、近いうちに大きな事が起きるから気ぃつけろって言われたらしいの。だっとも、誰も津波が来るとも地震が来るとも思わねがすと。だから後になって、ああ、そうだったのかって言ったらしいけんとね。なんか変わりごとがあるときは言うから。世の中に変なことがあるとか、あどほれ、部落になんか出来事があるってときはオガミサマが言うけんと、そんなこと考えねえけんと、昔の人であれば、何かあるんでねえが、って語るけんとね。
 そして、おれがオガミサマに、なにそれかにそれって聞くでしょ?それを黙って聞かねえでこうやってっと、オガミサマはすかすかと語って終わってしまうの」


・ああ、一人が終わったら次の人にって、
「そうそう。“なんといつまでもあんたど やってっこと!”って言うのは、何それをしたいけんと、いつの方がいいかとか、どっちの方がいいかとか、うちが手に付けた方がいいかとか、までまでと聞くでしょう?それをこっちが返事するから、いつまでも時間がかかるわけ」


・やっぱりいろいろ聞きたいですもんね
「だから、オガミサマは問い口次第で語るの。おらどが問うんだから、向こうから待つんでねぐ、おらどから聞くわけ。して、おらえでは孫さ嫁子貰いてえが、とか、年寄りどぁ、わざわざ聞くでしょう?そうすれば、それいつそれあたりに良い縁談が来るとか、どっちの方に良い縁談があるとかって言うでしょう、ほんだから、までまでと聞く人は時間が長いのす。一人何分と決まってないから。
 ほんでも、これがまた当たんないんだよ。だって縁づのは、ねえ。まあ、家だのなんだの治すとか、こっちの方に手を付けるとか、までに聞いた方いいのす。ひめっこうじん様[姫金神/ひめこんじん=陰陽道でまつる方位の神のひとつ。この神の方位を犯せば、病気、盗難に遭い、人命を損ずるという:広辞苑より]っつのが通ってるから、ほで、ひめっこうじん様のところに行くと、一つ一つ取っても、ゆくたかり[欲張り]だから、おなごの神さまだから。ほんだから、なんかかんかが出るの。あどの神さまは、ほうでないけどね。ほんで、そこさ何か持ってくる、包んでなんか持ってくるづ時は、いっこ文句ないの。そこっから、一さじでも取られると、すごいもの出てくるの。
 だから、信じねえってほれば信じねえ、信じるってほれば奥が深いのす、どこまで信じたらいいか。ほして、その信じる人づのは、何かがでっつうど、「はあ、おれぁ、あん時あぁしたからでたのがなぁ」って真剣に考えるでしょう?んだがら、かえってそれの方が安全なの」


・用心深くなるわけですね。
「そう、用心深くなんの。私は、この本は、小学校2年生あたりに、おらえのじいさんと父さんがこの本(九星本暦を指差す)を買って見てんのを、おれがこうしてそばさいって見っど、これはこうでな、ああでな、って教えられたので、おれはこの本を覚えているわけさ。だから、やっぱり子どもの時に教えられたのは覚えてるのす。今は学問上で教えっから分かんねえけっど、昔の人は言葉で語って教えっからね。
 で、うちでは、朝はこっちの六ヶ浦の方から日が出てだんだんこう来て、唯出の方さ回って、またこう戻るでしょ?それ365日私たちは日の出拝んでっから。それで元日(がんにち)にも、みんなは元朝参りに行くっつうけんと、うちではお茶っこ飲みながら日の出見っから。どこさも行くことぁねえから。そう言われたの。そういう日の出のことも、みんなじいさんばあさんどがら教えられたの。学校で教えられたんでねえの。学校でも教えるけんとね。
 で、私が子どもどに言うと、だめだって。ばあちゃんが、昔のことだからだめだって。今は時代が変わってきたからね。だぁれ、おれが語っても、ばあさんが、まぁだ嘘だからって言われっからす。だから、うちでは、そういうの小さい時から信仰してっから、この家を建てるのに、5回もオガミサマさ行ってきたの。あの、屋敷作っときもね」


・それは震災後に?
「震災後に。除け払いって言って、ここの土地をこさえるのにも、今度は氏神様を持ってくるのに、あっちさも頼んで、こっちさも頼んで。だからみんなに「ふんっ」って語られっから、おれは絶対言わないの。「なぁにおめえ、オガミの語るこどぁ、今ぁ今の時代だ」って言われっから。でもやっぱしね、私も今年もこっち側さこう、少し家さ手つけっかなと思ったけんと、今年は北側にひめっこうじん様いるっつがら、ああ、ほんでぁだめだから今年はやめっぺって言ってたの。ひめっこうじん様づのはおっかねえんだからなって言ってたの」


・そういうのを人前で話すと、今の時代だとやはり否定されるもんですか?
「そうそう。否定されますよ。はぁ、また始まった(って)」


・集まる機会が無くなったら否定されるようになったんですかねえ
「だけんとも、間違ってそれさぶつかった人は信仰するんだ。やっぱり、聞くづどね、花っこさ植えるって鉢さ、ヘラでふたっつばり入れたれば、次の日から__は痛えし、身体はなんだかだるいようだしって症状が出てくるらしいの。私はそんなこと無かったけど。して、オガミサマさ行くづど、おめさんがおめえさんがいつそれ、どこそれの土さ手ぇつけたねって言われんだって。そすと、ああ、あすこにはね、丁度良くあの時ひめっこうじん様がいだったんですよ、って言われると、びっくりするわけ。ほんだから、そういう土さ手をつける時は、塩持ってって、神さまどよけてけらんせ、って手を付ければいいっつこどは、昔の年寄りどは、ほれ、書いたものはねえけんと、塩で清めてがら手ぇつけんですよって年寄りどが言うから、昔。
 ああ、そうかそうか、そうだべな、って思って、まず、信用するわけす。信用しない人はだめね。「なぁに、そんなこと!(って言われる)」だっともね、気分的だから。その人が清めたと思えば、気分だから。だから、ちょこっとしたことなのね、昔の人はいづいづオガミサマに金出して歩かねばだし、だからそういうときは塩っこで清めればいいって言った人もあったんでねえの。だがらほれ、おらぁ、ああ、塩づものは本当にいいものなんだな。お相撲さんがども土俵清めてから上がるし、って言うの。せば、子どもら、「はぁ、また始まった。ばあちゃんが、昔の事」って言うけんと。まず、そういう気持ちになれば。自分がね。人が語ったことを卑下さないで、人が語ったことも十分の一は、自分さ入れるようだれば、いいのす。気持ちがね。ほれ、人が語ったことに「なぁに、そんなこと。今ぁそんなこと語って」って全然卑下したってはだめなの。ある十分の一でも、ああ、この人ぁこう語ってたっけなって、そう思いば、自分も楽だし、うまくいくのさ。うまくいったときは、ほら、自分も喜ぶからね」


・そういうオガミサマに行くのって女の人が多いじゃないですか。だから、そういう否定する人って男の人が多いですか?
「そう、男の人ぁ多いですよ。うちのじいさんなんか、よそから来た人だから、おれのすることに全然口入れするの。権威が薄いんだよ。よそから来た人は、権威を振るっても、権利が無いからす。女の人と違うからね」
・集まる場所が無いからという理由で震災後に集まりを中断したのが、現在も再開できていませんが、もし震災直後から例えば誰かの家の中で神さま遊ばせをしていたら、いまでもみんな信仰していましたかね?
 部落でするんだれば、みんな否が応でも、誘われたら行かねばなんね、っていう気持ちが出てくるでしょう?でもいま若い人たちのことは、本当に信用できないんだふで、なかなか来ないんだっけね。そしてその家の、中の内容を聞かせたい人は来ないのす」


・みんながいるから、自分の家のことが分かっちゃう…?
「分かっちゃうからね。そして、年が悪いとか、月日が悪いとだめだって断られることもあるでしょ?他の人さ聞こえんのが。だから、来なくなんの」


・いまってそういうのすぐ広まりますよね、こういうので(スマホを指差す)
「うん、でも、そういうのって、あんまり言わないもんだよ」


・ああ、公民館で聞くのは家族で伝えるに留まるわけですね
「そうそう、家族のことは紙っこさ書いていくから。父さんさはなにそれって語られた、母さんさはなにそれって語られたってね、一番上の孫は、いつそれに遠くさ行くづの、修学旅行とか遠足とかね。そういうときに物忘れしてくっからだの、落とし物するからだの言われっから、そういうのは、聞く人が書いていくわけ、こう」


・あ、メモ
「んだ。メモするんだ。メモすれねえ人は、隣の人頼んでメモして貰って、それを持ってって家族さ見せるから、家族のことはみんな分かってっから。だから、あまり世の中では語らないの。だから私がね、あんたはいつそれから痴呆症なるよって、それ聞きてぇもんだなって言うづど、「なにそんなこと」って言うけんとも。読み書きしたやつだけでなく、見たり聞いたりしたやつを覚えてればいいのさ。今の人たちは、昔の人の語ることを卑下してしまうからだめなのす」


・いま公民館の集まりが少なくなってますが、その原因は若い世代が行かないことが原因だと考えていますか?
「若い人も行かないけど、年寄りも行かないんだよ。この前も、大学生だのなんだのが来たでしょ、ボランティアかなんかで。そうすどみんな一緒になるでしょ?そうすっと、部落の話でなく、大学生の話に推されてしまうから。だからね、大学生どが来なければいいなって語る人もあるの。自分がどが自分がどの部落の話だの何だの話っこしたいのに、よそから来てる大学生やボランティアどは、その人たちは面白いのす。何でも教えられるし、聞かせられるし、踊りっこも教えられっから。んだがら、その人たちはいいけんと、部落の人たちは部落の人たちでも集まりたいわけ。話が別個だから。面白いんだよ。私も二回くらい行ったが。大学卒業した人たちが、ほんとに真っ直ぐなことしか考えてねえからす。
 まあ、昔はみんなして共同してやったの。部落の人たちがね。だれ今、「おら勤めてっから暇無えがら行がね」だの「おら何とかだの」って語っがらす。んだがら、あとだんだんとやんねぐなってくのさ」


・やっぱり働く女の人が増えたのが原因ですかね?
「そうそう。みんなお金取りに行ってっからね。昔はお金づの取んねえんだから、そして田んぼ遅れれば、みんなその家さ行ってやーっと稼いですけたりして、お金づのもらわねんだから、昔の人はほんとに身体で働いたんだから。だから、隣近所のおいしいもの作っても、持ってったり持ってきたり。隣近所のつきあいがいいのね、昔の人は。今はうまいものを銭っこ出して買ってくるから。作ってのべるって人もいないし、そうなってくる。昔は、何かこさえると三軒も四軒も向こうまで持って歩いてす、そうやって食ったり食(か)せだりしたからす。だから馴染みも濃くなってくるのさ。今はそういうの無えもの。
 誰かが一声かければみんな寄ってきたからね。今は、だれ[なぁに]、一声かけたからって「おめえがどばしやれや」って言われるもん。だから今ね、6年も経ってもす、下組は下組、上組は上組の回覧板。なんとおめがどもなあ、部落ども寄ってさ、ここから上下でねぐ、1班とか2班とかって分かれてしたらよがんべ、だれ、回覧板下組だからって、おらえから次、こっちから行って、次下組まで歩くんだよ。なんとなく行き会ってもす、おめが下か?ってなるの。だからおれぁ、万灯籠も何も行事ど無くなってしまうって語るが。だれ、こんなにまとまってるのに、おめ下だかってなるのす」