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原典を読みながら環境・農業問題について考えてみる

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聖書や日本書紀、平家物語などを読みながら、「日本」について外国人に説明するにはどうしたらいいかとか、農村部の論理と都会人の論理がどう違うかと言ったことについてのヒントを考えていま…
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#贈与論

「外的規範」と交易、交換

「外的規範」と交易、交換

交換は自己愛の刺激によって起きるとするアダム・スミス「国富論」と、贈り物(タオンガ)には霊(ハウ)が宿り返礼をしなければ霊が自分にとどまって悪い結果を招くとの観念を紹介するマルセル・モース「贈与論」。

国富論が言っている理屈は、平たく言えば、「私にその品物を売ればお金が手に入ります。そうしたらあなたはそのお金で好きな物が買えますよ」と言う考えで経済は回っていると言う事です。

贈与論の理屈は、贈

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「交換」は「自愛心の刺激」から起きるのか、それとも「返礼の義務」から起きるのか

「交換」は「自愛心の刺激」から起きるのか、それとも「返礼の義務」から起きるのか

アダム・スミスは「交換」を引き起こす原理を「自愛心の刺激」に求めています。

つまり、わかりやすく言えば、「肉、酒、パンをくれたらお金をあげますよ。そうすれば、あなたはそのお金で好きなものを買えますよ」と言うことによって、私たちは「肉、酒、パン」を手に入れている。
それぞれが自分の利益を追求する結果、「交換」が生じていると言うのです。

ところがマルセル・モースの「贈与論」には、「交換」が起きる理

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モノを人にあげると極楽往生出来ると言う思想の源流

モノを人にあげると極楽往生出来ると言う思想の源流

マルセル・モースの贈与論では、古典ヒンドゥー法についても触れています。

かなり古い時代の叙事詩に登場するような「贈与」についての考え方が、現代でも生き残っている事を述べています。

物を人に与えれば、そのよい報いがこの世であれ、あの世であれ生まれる事になる。この世ではそれと同じ物を自動的に贈り主にもたらす。贈り物は失われる事なく再生する。あの世では贈り主が送った物を再び見出すが、それは増えている

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罪と罰の起源

罪と罰の起源

「最初の保持者は自分の所有物を示し、厳かにそれを手渡し、こうして受領者を買う」

マルセル・モース「贈与論」によると、代金を払う前に商品を手にしている時、買い手は売り手に「買われている」のだそうです。

非常に奇妙に感じる事ですが、こう考える事で万引きが犯罪となる事が説明出来ます。

つまり、品物を手にして代金を払うまでの間、買い手は売り手に買われている、その状態を解消するには、買い手は売り手に代

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売買の「売」と「買」の間に起きている事

売買の「売」と「買」の間に起きている事

お店に行って、品物を手にしてお金を払う。

日々普通にしている事ですね。

では、品物を手にした時からお金を払う時までの間に起きている事はなんでしょうか?

いや、スーパーマーケットやコンビニでレジカゴに入れただけで会計が済ませていない品物は、元の棚に戻せば、自分が買った事にはなっていないはず・・・

確かにその通りです。

では、もっと「時」を限定してみましょう。

品物がレジに持ちこまれ、登録

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「お返しがない」と怒る人がいると言う事

「お返しがない」と怒る人がいると言う事

マルセル・モースの贈与論には、次のような記述が出てきます。

これらの交換はかなり頻繁に行われるが、地域の集団や家族は別の機会に道具などを自給しているために、贈り物は、発達した社会の取引や交換と同じ目的を果たすものではない。

その目的は何よりも精神的なものであり、交換した二人の間に親しみの情をもたらすことになる。贈り物が互いの親近感を引き起こさなければ、すべてがうまく運ばなくなる。

これは、農

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「祟り」と「制裁」の間

マルセル・モースの贈与論を読んでいて、ちょっと気になったことがあります。

あなたがある品物(タオンガ)を所有していて、それを私にくれたとします。

そこで私がしばらく後にその品を第三者に譲ったとします。そしてその人はそのお返しに何かの品(タオンガ)を私にくれます。ところで、彼が私にくれたタオンガは、私が始めにあなたから貰い、ついで彼に与えたタオンガの霊(ハウ)なのです。

私はそれをあなたにお返

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銅器が名前を持っている

マルセル・モースの贈与論には、銅器が名前を持っていると言うお話が出てきます。

クランの首長の家族が所有する主要な銅器には名前があり、個性があり、固有の価値がある。

「富が富を惹きつけ、威厳が名誉をもたらし、精霊やよい縁組を誘うように、銅器は他の銅器を引き寄せる効力を持っている。」

銅器は生きており、自律的な運動をするし、他の銅器を引き寄せる。

銅器そのものが話し、不平を言い、与えられること

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贈与は物々交換でなく、信用を前提にしていると言うこと。

マルセル・モーセの贈与論は、非常に示唆に富んでいます。

面白いと思ったのは、贈与経済と言うのは、物々交換ではないと言うこと、信用を前提にしていると言うこと、銅器が「名前」を持っていると言うお話です。

三番目の件は、また後で書くとして、僕もそういう言い方をしてきたことがありますが、通俗的な「貨幣」についての説明と言うのは、

ある人がお米を持っている、別な人が布を持っている、

でまあ、お米と布

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「往来」が途絶えた先にあるもの

食物、女性、子供、財産、護符、土地、労働、奉仕、宗教的役割、位階など全てのものは譲渡され、返還される物体であると言うことである。
人と物を含む霊的な物体の永続的交換が位階、性、世帯に分かれたいくつものクランや個々人の間にあるかのように、あらゆるものが往来するのである。(マルセル・モース 贈与論 ちくま学芸文庫)

ポリネシアなどで「ポトラッチ」と呼ばれる全体的給付制度について、モースはこう述べてい

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「貰う事も義務」と言う文化の存在

「あなた方もこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、私はいつも身をもって示してきました。」

新約聖書の使徒言行録にあるパウロの言葉です。

受ける=つまり、人から何かを貰う、またはして貰う、
与える=その逆に、人に何かをあげる、またはしてあげる。

これはどちらが「良い事」なのでしょうか。

現代社会では、

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「贈与」経済の限界・・・文明化

「ダヤク族(ボルネオ)は、よそで食事に居合わせたり、食事の準備をしているところを見たりした時は、必ずその食事に加わらなければならないと言う義務に基づいた法と道徳の全体系を発展させさえした」

(マルセル・モース「贈与論」ちくま学芸文庫)

この件については、同書の注釈の中で、制度の比較研究のために「正しく確認すること」が難しいとしています。

例えば、「ボルネオのブルネイ国における強制的取引と言う

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モノがやり取りされる時、モノの「霊」もやり取りされていると言う思想は現代社会でも生きている

「ハウは生まれたところ、森やクランの聖地、あるいはその所有者のところに帰りたがるのである。タオンガないしハウはそれ自体一種の個体であり、一連の保有者が祝宴、祝祭、贈与によって、同等あるいはそれ以上の価値の財産、タオンガ、所有物、労働、交易をお返ししない限り、彼らにつきまとう。

そうしたお返しによって、その贈与者は、最後の受贈者になる最初の贈与者に対して権威と力を持つようになる」

(マルセル・モ

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モノの「霊」が持つ魔力による復讐~モースの贈与論とシェークスピア「アテネのタイモン」

「タオンガや純粋に個人的な所持品すべては霊的な力としてのハウを持っている」

マルセル・モースの「贈与論」にはこのような記述が出てきます。

タオンガと言うのは、マオリ族の人たちがやり取りする品物の事らしいですが、「モノ」の交換と言うのは、実は「モノ」が持っている「霊」のやり取りにつながっていると言うのは、非常に示唆に富む観点だと思います。

「あなたは私に一つのタオンガを贈る。私はそれを第三者に

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