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交換は自己愛の刺激によって起きるとするアダム・スミス「国富論」と、贈り物(タオンガ)には霊(ハウ)が宿り返礼をしなければ霊が自分にとどまって悪い結果を招くとの観念を紹介するマルセル・モース「贈与論」。

国富論が言っている理屈は、平たく言えば、「私にその品物を売ればお金が手に入ります。そうしたらあなたはそのお金で好きな物が買えますよ」と言う考えで経済は回っていると言う事です。

贈与論の理屈は、贈り物にお返しをしなければ霊の祟りがあるみたいなことでしょうか。

重要な事は、「霊の祟り」はいわゆる「自由な経済」の外側にある観念だと言うことです。

「自由な経済」の考えなら、別に贈り物にお返しをする必要はありません。(それ以前に贈り物をする必要もありません。)
その品物を手元に置いておくのも相手にあげるのも自分の自由です。

しかし、そんなことをしたら、品物に宿っている霊の祟りがあるから贈り贈られ、相互に「お返し」をし続ける・・・これが贈与論の描く世界なわけです。

「霊の祟り」と言う観念で「自由意志に基づく経済」を規制しようなんて、と思うかもしれませんが、実は割りと「当たり前」のことなのです。

例えば、「転売ヤー」を規制する事を考えてみましょう。
100円で買ったものを1万円で売るのも自由ではないかと言われればその通りです。

ある品物を100円で売る人がいたとしたら、それはその人の自由です。
それを買うのも買う人の自由です。
買った物は、「買った人の物」なのですから、どんな値段で売るのも、その人の自由だと言えば自由です。

100円で買ったものを150円、200円、300円で売るのは良くて、1万円は駄目だと言うのは、論理的ではありません。

いや、1万円と言うのは法外じゃないか・・・・

この「法外」・・・文字通り、「法律の外」と言うことを、実は、日本国憲法はこう述べています。 

第二十九条
1.財産権は、これを侵してはならない。
2.財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。

買った物は買った人の財産ですから、それを侵害してはならない、だから100円で買った物を200円で売ろうが300円で売ろうが、「財産権」の行使だ、それは基本的に認めようと言うのが、第1項の規定です。

しかし、100円で売ったものを1万円で売ると「市場の混乱」を招く、それは「公共の福祉」に反するから規制しよう・・・
財産権は公共の福祉に適合するように法律で範囲を決めると言う第二項は、そういう主張なわけです。

「自分の自由意志で自分の財産を好きなように利用して(利用しなくて)よい」・・・

この考えは、「霊の祟り」であろうと「公共の福祉」であろうと、何らかの外部的制約を受けるべきだ・・・

人類の社会は古代から現代に到るまで「外部規制」を認めてきたのです。

そして、農業や環境問題では、この外部規制のあり方が重要になります。


連日、寒いと言うより冷たいと言った方がピッタリするような日が続いていますが、

それでも「春」は近づいてきているようです。

未明に最低気温-7.1℃を記録した1/26は、日中気温があがり、最高気温8.8℃になりました。

以後、最高気温は5℃を下回ることはなく、今後もその見通しです。

日本の植物のほとんどは5℃以上で光合成をするようになり、野菜も同じです。

光合成は午前中に行われる事が多く、最高気温(12-14時頃記録されます)10℃前後以上の日には、野菜の生長が期待できます。

1/30は最高気温11℃、1/31は9℃でした。
本日2/1は13℃の予報、今後も晴れている日は10℃以上の見通しです。

つまり、ゆっくりではあっても野菜の生長が見込める季節になってきたと言う事です。

ドカ雪が降る心配があるので、まだ予断は許しませんが・・・。

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