贈与は物々交換でなく、信用を前提にしていると言うこと。

マルセル・モーセの贈与論は、非常に示唆に富んでいます。

面白いと思ったのは、贈与経済と言うのは、物々交換ではないと言うこと、信用を前提にしていると言うこと、銅器が「名前」を持っていると言うお話です。

三番目の件は、また後で書くとして、僕もそういう言い方をしてきたことがありますが、通俗的な「貨幣」についての説明と言うのは、

ある人がお米を持っている、別な人が布を持っている、

でまあ、お米と布を交換するのが物々交換で、

そのお米を売ってお金に変え、そのお金で布を買うと言うように

決済の手段として貨幣が登場してきて、

だんだん、「貨幣」を手に入れる事が自己目的化してきて、

資本主義の成立に至るみたいな感じだと思います。

実は、この説明と言うのは、物々交換の場合でも、交換される「米」や「布」のような「モノ」に交換価値があると言う事を前提にしているわけです。

モースの説明と言うのは、そうじゃない、そうじゃなくて、「モノ」には魂みたいなものが宿っている、お返しをしないとその魂に祟られるみたいな理屈で贈与経済が成り立っていると言う事です。

つまり、最初に米をあげたら、後で布をお返しにもらったとして、米なり、布なりに、「交換価値」があり、同じ交換価値のものを返してもらうと言う理屈で、贈与経済が成り立っているんじゃないって事なわけです。

だけど、贈与経済は、「信用」を前提にしている、つまり、米をあげたら、後で布だか魚だかわからないけど、「なにか」お返しがある、そこのところであげる相手を信用している、

その信用を裏切ったら、裏切り者には制裁が課せられる、

そういう事をモースは言っているわけです。

でまあ、どうやら、この「制裁」ってあたりが、実は贈与経済から貨幣経済が生まれてくるキーになるんじゃないかと、思ったりしているわけです。


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