フォローしませんか?
シェア
通作型半農生活&たんぽぽ農法。ミャオミャオ時代に野菜栽培レッスンプロからの提言
2022年12月17日 06:20
近松門左衛門の「五十年忌歌念仏」に農民・左治右衛門が「大根時、綿時、瓜撒くは、茄子作るは、牛蒡畑、豆畑、粟よ、黍よ、麦を撒くぞ、赤らむぞ、田を植えては草を取る、穂が出れば刈りまする、籾になれば擦りまする、米になれば炊きまする、飯になれば食べまする」と言うセリフが出てきます。1707年に上演されたのだそうです。かなり興味深いセリフです。考察はおいおい・・・2週間予報は、クリ
2022年12月30日 06:52
井原西鶴の「好色一代男」に「しめ木にあらそい、衣うつ土の音物かしましう、はしたの女まじりに、絹はり、しいしを放して」と言う表現がでてきます。「しめ木」は菜種油を絞る道具です。「衣打つ」は槌で布をたたいて和らげる作業をさします。この語は、「絹はり」=洗張の絹布の両端につける木の棒と言う言葉とともに、「絹」の布の扱いを表現しています。この絹の布は主人公・世之介様の「お寝巻」だと言うセリフも出
2022年12月28日 06:35
近松門左衛門の五十年忌歌念仏では農民・佐治右衛門が育てていると言う作物のリストに「キビ」、「アワ」が登場します。史記には「粟道を絶つ」と言う表現があり、兵糧攻めのことを指します。「アワ」が主食だった時代があることを忍ばせます。史記の楚世家では、楚の先祖「熊繹(ゆうえき)」を「楚蠻に封ず」とあり、当初、楚は蛮族=異民族と認識されていたことが分かります。熊繹から4-5代後の熊渠(ゆうき
2022年12月27日 05:36
近松門左衛門の五十年忌歌念仏の農民・佐治右衛門のセリフには大根を育てていることは出てきますが、カブは出てきません。もちろん、たまたまこのセリフに出てこなかっただけで当時の農民が育てていなかったと言うことにはなりませんが・・・大根、カブと言うと、日本書紀では仁徳天皇の歌に大根が出てきます。また、古事記では仁徳天皇が青菜のスープを飲んだと言う記事がありますが、この青菜はカブのことだという説があ
2022年12月24日 06:53
ものごと、何が書かれているかだけでなく、何が書かれていないかと言うことに注目するのも大切です。近松門左衛門の「五十年忌歌念仏」の農民・佐治右衛門のセリフには、「ウリ」は登場しますが、「キュウリ」は出てきません。「大根」は登場しますが、「カブ」や「ニンジン」は登場しません。「河童の日本史(中村禎里)」によると、キュウリはナスより低級なものと考えられていたそうです。なお、同書によると我々が考えて
2022年12月23日 06:10
近松門左衛門の「五十年忌歌念仏」の農民・左治右衛門のセリフに「粟よ、黍よ、麦を撒くぞ、赤らむぞ、田を植えては草を取る、穂が出れば刈りまする、籾になれば擦りまする、米になれば炊きまする、飯になれば食べまする」とあります。米以外の雑穀・・・粟、黍、麦も育てており、これらの雑穀も食べていたと思われます。他方、「米を炊いて食べている」とも言っており、米が食べられなくて雑穀だけを食べていたと言う
2022年12月22日 06:19
大阪夏の陣で戦乱の世が終わった「元和偃武」は1615年の事でした。近松門左衛門の「五十年忌歌念仏」は1707年の上演で、元和偃武からまだ100年経っていません。この作品の中で、農民・左治右衛門が「綿」、「藍」を育てていると言っているのが注目されます。「綿」、「藍」は商品作物です。多くの人が藍染の綿の着物を着ていて「綿」、「藍」が必要とされていること、そして、農民がその「綿」、「藍」を育てて
2022年12月19日 06:55
平年値や2週間予報を見ていて、あることに気づきました。クリスマスをすぎると、平年値では最高気温がほぼ連日10℃を下回るようになります。大寒の翌日1/21に8.2℃と最低となり、1/22-24は8.5℃、1/25に再度8.2℃となります。そして、1/26 8.7℃となって、徐々に上向いていくようです。冬至~大寒が「冷え込み期間」なのかもしれません。クリスマスは、実際にイエス・キリストが生ま
2022年12月18日 06:02
近松門左衛門「五十年忌歌念仏」で農民・左治右衛門のセリフに出てくる栽培作物は、「大根、綿、藍、瓜、茄子、牛蒡、豆、粟、黍、麦、米」です。分類すると、野菜:大根、ウリ、ナス、ゴボウ雑穀:豆(大豆)、粟、黍、麦米商品作物:綿、藍になります。引き続き、考察を続けようと思います。2週間予報は、最低気温:12/19 -2℃、12/20 -2℃、12/21 -1℃、12/24 -1℃、12