岩倉佐波吏

佐波吏という名前をくれてケニアで亡くなった父、森西栄一のことをまとめる場所が欲しくて登…

岩倉佐波吏

佐波吏という名前をくれてケニアで亡くなった父、森西栄一のことをまとめる場所が欲しくて登録しました。不思議なご縁で2022年に養父の父、岩倉正信の歌集を入手したのでそれもアップしていこうと思います。

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  • 初めての海外旅行はケニアに父の墓参り⁈

    人生初の海外なのに、なんとケニアに墓参り⁈私に佐波吏と名前をつけてくれて、1970年サファリラリーに行って事故で亡くなった父の事故現場を訪ねた旅の一部始終。パスポート、ビザ、成田空港…何から何まで初めて尽くしのドタバタ旅行記です。

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人生初の海外はケニアに父の墓参り〜ケニア探訪記9

トランジットの地、ドバイ。空港内なのにこれでもかという海外感とリゾート感むき出しの、とにかくゴージャスな空港だ。 両脇に人工の椰子の木が並ぶ動く歩道に立つ我ら家族の横をクラクションのような音を鳴らして走るカートが追い抜いてゆく。「アレ乗ったらカッコいいな」と思ったがどうやって乗るのかもわからない。子供のように指差して「アレいいねーすごいねー」としゃべる他は何もできない。 さて、ここで5時間いるということで、この広い空港でスーツケースカートを押した日本人4人組がまずしたことは

    • 人生初の海外はケニアに父の墓参り〜ケニア探訪記8

      ふと気づく。眠っていた。時計を見ると離陸から2時間ほど経っている。 いつ眠ったのか覚えていないけれど目の前のモニターには今機体が日本を抜けて韓国上空にあることを示していた。 たった2時間で日本を抜けるのか。驚くとともにこれからは確実に海外なのだなぁと思った。 それからまたうつらうつらと時間が経ちモニターを見るとヒマラヤのあたりを飛んでいる。 父が60年前東京五輪の聖火リレー陸路踏査隊で、サファリに行きたいと夢を語ったネパールの上空。父は陸路でひたすら日本を目指して走り、私は

      • 人生初の海外はケニアに父の墓参り〜ケニア探訪記7

        2月11日の東京は雪だった。 多少は寒くても、荷物になるよりは我慢するかと思っていたが、さすがに雪となると、ケニアに行く薄着で成田まで行くと凍えてしまう。 娘たちはぐるぐる小さくできるダウンコートを着ていくらしい。 旦那は下にセーターを着ている。 私は冬のコートの中で一番薄手だけど意外と温い革のコートを持っていくことにした。余計な荷物になるだろう、でも雪じゃなぁと持っていったコートだったが、これが後で大当たり。ケニアの朝の寒さに耐えられたのは、ひとえに出発の日東京が雪であった

        • 人生初の海外はケニアに父の墓参り〜ケニア探訪記6

          雪の中の出発 現地のSunshine travel and toursさんから旅程表が来た。そして大人4人五泊インクルーシブ(食べ物飲み物込み)で16000ドルの見積もりが来た。 16000ドル!それは1ドル135円で216万!見ただけでくらっと来る額である。でも1人あたり4000ドル。1日あたりだと800ドルになる。食べ物飲み物、2か所の国立公園の入場料、サファリ車とドライバーのチャーター代、ガソリン代、その他手続きなども込みで一泊10万円ならHISとかのケニアツアーより

        人生初の海外はケニアに父の墓参り〜ケニア探訪記9

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        • 初めての海外旅行はケニアに父の墓参り⁈
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        記事

          人生初の海外はケニアに父の墓参り〜ケニア探訪記5

          買い物 やっとパスポートと航空券とeVISAが揃ったので一安心。と思ったら、出発まであと二週間しかない。海外旅行に行ったことないのでまずはスーツケースから買わないと!!楽天ポイントを貯めるチャーンス、とばかりに必要なものをリストアップ。 多分かなりお世話になるであろうポケトークはヨドバシカメラの初売りで既に購入済み。実は充電しているだけで、全然試してみてもなかったけれど。 その時一緒に衣類圧縮袋やパスポートなどを入れるウエストポーチなども買ってあったので今回の買い物リスト

          人生初の海外はケニアに父の墓参り〜ケニア探訪記5

          人生初の海外はケニアに父の墓参り〜ケニア探訪記4

          eVISA ケニアのeVISAを取るために何度ホームページを開いただろうか。 パソコンを開いて、英語をいちいちスマホで翻訳しながらやってみるけど何度もエラーが出る。 三女がパソコンで見るなり、日本語に全部翻訳してくれるボタンを教えてくれた。押すだけで日本語!おお〜何聞かれているのかわかる!それで入力。めっちゃスムーズ、と思ったら、結局いざ提出の段になり漢字は認識されず、日本語訳で入力すると最後の最後に出るGOボタンが登場しない。 再び英語に戻してアルファベット入力。とりあえ

          人生初の海外はケニアに父の墓参り〜ケニア探訪記4

          人生初の海外はケニアに父の墓参り〜ケニア探訪記3

          不安 本やネットでケニアの情報を探ると、たくさんの不安要素が出てくる。 ビザは取れるのか、食べ物が口に合うか、蚊や虫の問題、水が悪い、トイレが劣悪、などなど。 英語ばかりの申請に、あまりに不安で、東横線に飛び乗って自由が丘にあるケニア大使館まで行った。 よく考えたら予約などしていない。門は閉じられている。あーバカな私、と絶望的な気分。時刻は14時になろうとしていた。 ちょうど誰かがランチの帰りなのか、外車が大使館に入ってきて、門が開いた。車の中の黒人の方が「ん?お客さん

          人生初の海外はケニアに父の墓参り〜ケニア探訪記3

          名は佐波吏

          「男でも女でも「サファリ」って名付けたいんだ」 結婚して約一年。子供ができたと告げられた時、森西栄一は迷わず口にした。「サファリ…⁈」聞き返す妻の顔は意外と淡々としている。 「どうしても、どうしてもサファリラリーに出場したいんだ。その想いを子供の名前にもこめたいんだ」「名前だとさはりになるね。漢字はこれから考える。とにかく子供の名前はさはりにしたいんだ」 「わかった」頷く妻の顔をみて、栄一はすぐ紙に漢字を書き出し始めた。 東京五輪が終わって5年。 栄一は組織委員会の仕事を終

          名は佐波吏

          人生初の海外はケニアに父の墓参り〜ケニア探訪記2

          怒涛の1週間 あの不躾なメッセージを見てラメシュ氏がすぐ返信をくれた。 FOR SURE !LET ME KNOW. SO THAT I CAN ARRANGE ALL. CAN ARRANGE HOTEL TRANSPORT. COLLECTING FROM AIRPORT ETC. ONCE CONFIRMED PL LET ME NKOW IN ADVANCE . WILL ARRANGE EVERY THING. PL SEND ME YOUR E MAIL

          人生初の海外はケニアに父の墓参り〜ケニア探訪記2

          人生初の海外はケニアに父の墓参り〜ケニア探訪記1

          始まりは突然に 2023年1月5日。私はfacebookのメッセンジャーにてラメシュ氏に新年のご挨拶をしようとスマホをとった。 ラメシュ氏は53年前にケニアで亡くなった私の父を弔い、現地で荼毘に付して骨にしてくれたナイロビ在住のインド人である。 たまたま父の知り合いの方の紹介で、コロナ真っ最中の時facebookで紹介してもらった。 私は常々「コロナが明けたら事故現場に行きたい、その場所に案内して欲しいと思っている」と言っていた。でもそれは、なればいいな、的な現実味のない

          人生初の海外はケニアに父の墓参り〜ケニア探訪記1

          森西栄一の絶筆4

          ⑥2月11日水、田中様のお宅までマラソン、スワヒリ語を覚えるため書き写させてもらった。(日常最少必要語) そして朝食をごちそうになった。8.10分ごろホテルに帰りシャワーを浴びた。 若ちゃんの手伝いをする予定であったがシャワーを浴びている間に若、小の2人出かけられてとうとう午前中手伝いはしなかった。 午前中絵はがき、手紙なとを書き、投函を兼ねて日綿に行った。新聞をAirmailにしたら6.5シル ○350○へー手紙も出せないよこれぢぁ 切手は皆"高物"といって良いくらい印刷も

          森西栄一の絶筆4

          森西栄一の絶筆3

          ① 2/10 7,10分ごろホテルを出て西北を軽く流して来た。途中小学校の近くを通り、野原の小道をクロスカントリーし小さい流れを飛び越えゆるい丘をのぼり汗を流した。標高のせいか呼吸が普通よりせいてくる感じであった。 汗が流れれば好調という安達さんと二人、現地の子供やくったくない現地人などにはトレパン、マラソンコースの我々は興味があるのだろう、笑顔で見てる人 ジャンボ!(お早よ!)を声かける人などetc……。約35分位、シャワーをあびて食堂に行ったのは8,00ごろ、今日は若林さ

          森西栄一の絶筆3

          森西栄一の絶筆1

          昭和45年2月9日 メイフェアホテル.ナイロビにて 2月7日12,30分 羽田を発ってからも好天気に恵まれ、富士山も見え快適でした。途中ホンコン,バンコク,カルカッタ,を経由ボンベイで一泊しました。 一泊といいましても約2時間半の仮眠のみです.つまり現地時間では11,15分につきましたが時差のため東京タイムで言いますと2,45分.それから税関とか検えき,入口手続等 きたなく且つはスローモーなオンボロバスにつめ込まれ まどろんだなと思ったらもう出発といった次第でした。 とにか

          森西栄一の絶筆1

          森西栄一の絶筆2

          11,我々もあれやこれやと東西奔走しているうちにもう夜、そして12,00すぎになってしまいます。 12, 到着した日、絵はがきでも買ってきて報告を出そうと30分も歩いてショッピングに行きましたがオール閉店、考えて見ましたら日曜日でした。 13, 今朝は5,30分ごろから起きてマラソンシューズをはき、ホテルの東方に向って 博物館のある通りまで約片道20分 8,00の朝食はきれいに平らげました。 高山病の恐れ、ナイロビ到着の3日間位は静かにしてねなさいらとの注意を破り、マイペ

          森西栄一の絶筆2

          1969年1月1日

          私は元日生まれです。 生まれた時、当然ですがわたしの記憶はゼロですし、聞いたエピソードをもとに脚色しています。フィクションとしてお楽しみください。 「こんばんは〜もう生まれちゃったかな⁈元旦ベビーはいそうですか?」 面会時間には遅い19時だ。新聞記者がナースステーションに挨拶をしている。 昭和43年大晦日。ここは東京都新宿区慶應病院の産科。 12月30日16時から陣痛室にいる森西さんという女性がいて、朝日新聞のA記者は「元旦ベビー」として新年の明るい記事にするつもりで、これ

          1969年1月1日

          唯一の親子ツーショット

          唯一の親子ツーショット