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詩 『嵐の訪れ』

作:悠冴紀

狂風にうねる褐色の巨人群
地表に砕け散る鬼神の涙

モスグリーンの空には
世界を切り裂く白色の竜

その叫びは天地を揺さぶり
我等人類の深淵より
原始の心を呼び覚ます

絶え間ない動きとリズム
太古から続く生命のチューン

石化していた我等の魂に
地球の鼓動を思い出させる

変わらぬリズムで
変わらぬ心で

************

※1992年(15歳当時)の作品。

 今日の大阪は、ギョッとするほどの荒れ模様です ☂ 🌀 外ではビュービュー、ゴーゴーと風が吹き荒れ、雨が窓にバシバシ当たってきます。天気が良ければ、本当なら植物園に行くはずだったのに。また行きそびれた・・・😞

 そんな大荒れの今日、ふと十代半ば頃に書いたこの懐かしい一作を思い出して、投稿してみました。一見幻想世界を描いているかのような表現が目立ちますが、樹々や雨や稲妻など、すべて現実のものを表した暗喩です。

 私は幼少の頃から嵐が好きな変わり者で、台風の時には喜んで外に出て、玄関先で延々と空を眺めたり、雷鳴の音楽的な躍動に酔いしれたりして楽しんでいました。『嵐の訪れ』なんて言うと、何かよくないイメージで捉えられがちですが、私がこの詩を書いたのは、嵐を歓迎する思いからです。

 ただし、この頃はまだ、今ほど目立って異常気象ではなかったので、台風や猛暑や地震などで甚大な被害を出すことも、今に比べれば格段に少なかったという点を踏まえてご覧ください。地球が限界点を超えてついに人間を駆除し始めたかのように、かつて例のない規模の大災害が、次から次へと絶え間なく襲い掛かってくる現在は、さすがの私も、台風や雷のときに喜んで外に出たりはいたしません (;^_^A

 ここわずか数十年の間の、目覚ましい発展と無節操な行為の数々で、人類はすでに、他の多くの生物やこの世界との共存・共生の道を、断たれてしまったのかもしれませんね。私たちにとっての忌まわしき殺人ウィルスと同様に、他の生命やこの世界の未来を脅かす厄介者として、忌み嫌われて。

 別に、人間だけを他の多くの生物とはまるで別物の特別な存在として、分けて捉えているわけではありません。人間も所詮、ヒト科のヒトという動物の一種であることぐらい、ちゃんと念頭においています。だから人間がこの世界に一切影響してはならなかった、人間が自然界に一歩でも踏み入るだけで自然が汚れる、それは悪しきことだ、などと極端なことは考えていません。私たちにだって、他の動物と同じだけ、この世界を謳歌する権利はあります。あったはずです。

 でも、少し考えてみてください。例えばシェアハウスに複数人が暮らしていて、自分もその住人の一人だとします。他の皆が、何事も程ほどのところで満足し、周りの他の人たちの生活を侵害しない程度には節度を保って暮らしているのに、自分一人だけが「ここに暮らしているんだから好きにして何が悪い?」と、毎晩お構いましに大音量で音楽を聞き、自分の部屋の模様替えだけでは飽き足りず、勝手に共用スペースの改装工事まで始めたり、冷蔵庫のものを人様の分まで食い荒らしたり、トイレやシャワールームを毎回長時間占領したり、ゴミをそこら中にまき散らしたりすれば、周りの顰蹙(ひんしゅく)を買うのは当たり前。

 それでも、まだそこまでなら、苦情や警告が来る程度で済んだでしょう。

 周りが手ぬるいのをいいことに、更に調子に乗って、「俺様にはお前等と違って高等知能がある。やろうと思えばいくらでもできることがあるんだから、可能性に挑戦して自らを高め、とことんすごいことを実現して、一体何が悪い! それは進化だ、発展だ、人類やこの世界への貢献だ!」と、挙句の果てに、自室で謎の科学実験まで始めて、汚染物質を垂れ流して床に穴をあけたり、有毒ガスを発生させるまでになったら、さすがにマナー違反を通り越して、「こいつを排除しなければ、ここにいる皆が全滅だ! 地域一帯をも巻き込んで汚染されかねない!」と、周囲は自分たちの身を守るための自衛策を考える他なくなるでしょう。

 それは結果的に、やりたい放題な自分自身から居場所を奪い、自分で自分の首を絞める結果を招くのだと、何故当人は気付かなかったのでしょうか? 善悪云々以前の問題で、回り回って自分自身の生存をも脅かす問題だというのに。── そういう話です。

 以前、人間の行き過ぎた行為に対する責任問題(環境問題や、人間が原因で絶滅した他生物の問題)について触れた私に、こんな話をしてきた人がいます。「── だから、なんで自然界と人間とを分けて捉えるんですか? 人間界も自然界の一部でしょう? その人間によって地球や他生物が影響を受けること自体も自然の流れの一部であって、そこだけを切り離して不自然と見なし、その影響を修正・緩和しようと働きかけること自体に、果たして意味があるんですか?」と。さも、そんな問題を深刻に捉えてあれこれ考えること自体もが、視野狭窄による無駄な努力であり、あまりに小さなことだ、とでも言いたげに。

 またその人は、どこか遠くを見るような眼差しで悠然と笑いながら、こんなことも語っていました。「地球の長い歴史で見れば、人間の与える影響なんて些細なもので、いつか遠い未来に人類が絶滅したあと、人間に似た別の知的生命体がこの地球上に現れたときには、自分たちの遺跡を発掘して『こんなバカな生物もいたんだなぁ』と笑って語り継いでいくんだろうなぁ、とか想像すると、なんだかねぇ・・・・・・」と、まるで自分のような観点の人間こそが、広い視野で俯瞰している達観した目の持ち主である、とでもいうように。

(注:ちなみにこの発言者 👆 は、世界中の動植物について研究しつつ、それらを限られた場所で管理・飼育しながら、一般人に見せるような仕事についている専門職です。詳しくは言えませんが。ただし私は、この人を個人的に嫌っているわけでは決してなく、むしろ尊敬するところが多く好感を持てる人物の一人であって、人物批判を目的にこの話題を出したわけではありません。ただ一点についてのみ、価値観が大きく違い、その後いくら冷静に考えても納得できなかっただけです。)

 確かに、物事は、近視眼的になりすぎないよう大局的にも捉える必要がある。それができない人があまりに多くいるために起きている問題も、たくさんある。でも、「大局だけ」に偏ってしまって、物事を細分化して見る視点を失くしてしまっても、それはそれであまりに雑な考え方と言わざるを得ません。そういう人は、いつしか、ずっと以前から目の前にあったはずの細やかな事柄を見落とし、蔑ろにし続けてきたことによるツケを払わされるハメになるでしょう。人類全体に関して言えば、今がまさに、そのときではないでしょうか?

 わかりやすいよう身近な話に置き換えるなら、たとえば、教養と大志の両方を持ち合わせ、遠くの壮大な夢を追い求めてきた人物が、気付けばいつの間にか、我が子が非行に走ったり、ある日突然熟年離婚という現実を突きつけられたりして、「一体何故こんなことに?」と途方に暮れる構図に近いものがあるように思います。そういう人物は、「大は小を兼ねる」「大>小」の『大』を重要視し続けてきた自分こそ、ものをわかっている賢明な人間で、間違いや見落としなどあるはずがないのに、周囲の人間の器の小ささ、視野の狭さが、この私を醜く浅ましいつまらない問題の犠牲者にしてしまったと、ついつい周囲を責めてしまいがちですが、それは傲慢としか言いようがありません。

 人間も他の多くの生物も、大きなものの一部であると同時に、山ほどの小さな問題に対処していかねばならない小さき存在でもあるのです。この現実世界で生存し続けていくため、自分たちが築き上げてきた多くのものの存続のためには、大きな事柄とも小さな事柄とも、両方と等しく向き合っていく必要があった。それを忘れて、一方の観点だけを好しと見なし(←とりあえず大きい方や包括的な方が強く正しい、とか、あるいは逆に、身近で人間味のある温かいものだけを大事にしていれば、他は適当に放置していても問題ないとか、そういう◎◎至上主義的な極端な選択でものを見て)、別の観点にあえて思考停止してしまった瞬間から、人間は一路自滅の道を辿ることになる。

 壮大な観点の持ち主も、また逆に、小さなことにばかり囚われすぎて、広い視野で物事を見られない人たちも、結局は同質対極の似た者同士。どちらも等しく視野が欠けていて、思考の半分が停止しているのです。

 ・・・・・・ま、いずれにしても、もはや手遅れ。覆水盆に返らず。今現在あちこちで起きている山ほどの事象を見ていると、つくづくそう思う今日この頃です。
 自分がとうに人生を全うして、世代交代した後の「いつか遠い未来」ではなく、かなり近いうちに人類が自業自得の理由で滅亡のときを迎えるのを、生きているうちに目の当たりにしたとしても、あの人はあの時と同じように、自分たちの行いを省みて歯止めをかけたり正常化のために尽力する行為など無意味で、バカな種族がまた一種絶滅するだけのこと、と他人事のように笑って流せるのだろうか・・・と、ふと想像してみたりもして ──。

注)シェア・拡散は歓迎します。ただし、この作品を一部でも引用・転載する場合は、必ず「詩『嵐の訪れ』悠冴紀作より」と明記するか、リンクを貼るなどして、作者が私であることがわかるようにしてください。自分の作品であるかのように公開するのは、著作権の侵害に当たります! 

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