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「マイノリティ」について考える②~会社を休んで気付いたこと~

前回の記事について、ネット上・直接含め本当にたくさんの方からメッセージや反応をいただいて嬉しいです。心から、ありがとうございます。
※前回の記事はこちら
https://note.mu/sae8320/n/n9a175aab282a

前回の記事に書いた通り、私は今、病気療養に専念するために会社をお休みしています。
きっと同じように病気で苦しんでいる人もいると思いますが、「会社を休む」「休職する」ということを決断するのにものすごく勇気がいる人が大半だと思います。キャリアのこと、周囲の目、お金のこと。普通でもそうだと思いますが、それまで仕事を頑張ってきたひとであればあるほど、悩むんじゃないかと思います。

私も、自分で言うのはちょっとあれですが(笑)相当仕事を頑張ってきていたし、頑張っている自分が好きでした。幼いころから頑張って勉強をして、いわゆる大企業に就職し、周囲は男性社員ばかり。入社したとき、「ここでは、鎧をまとっていなければ戦えないのかも」と22歳の女子ながらに感じたのを覚えています。「これからは女性活躍の時代だから!」「●●さんは偉くなるね~(笑)」と、女子というだけで訳も分からず応援されて。期待されているんだなぁとぼんやり思いながらも、女性社員の先輩の数の少なさに違和感を覚えたり、なんだか自分の気持ちが置いていかれるままに流されていく。そんな感じ。でも、周囲はとても期待してくれて、大事な仕事を任せてくれたから、期待を裏切るなんてできなかったし、ましてや自分の都合で「休む」なんて、考えもつかなかった。今思えば、「頑張り続ける」「周囲の期待にこたえ続ける」ことのみが正しいのだとどこか妄信的になっていました。

そんな中で、疲弊しきった私は、病気をオープンにし、向き合う決断をしました。「このままじゃだめだ」と自分で思えたことももちろん大きかったですが、その決断をできたのは、同僚の女の子の後押しもあったからです。
どうしても会社にいられなくなったときに、だれよりも早く気付いて声をかけてくれた同僚の女の子に、ボロボロに泣きながら打ち明けたときの「さえが無理して働いているよりも、毎日笑っていてくれたほうが私は嬉しい」「(病気がオープンになって)周囲の目が変わったとしても、別にそれはそれでよくない?」という言葉でした。今思えば彼女は、幸せの本質、みたいなものをそのとき既にわかっていたんだなぁと思って、尊敬してやみません。あのときに2人で泣きながら食べたスタバのクッキーの味、一生忘れないと思う。

大切な家族が全力で支えてくれると言ってくれたこと、他にも大切な友人・先輩たちの応援もあって、会社を休む決断をすることができました。

会社を休むことにとても前向きになれたのは、兄の言葉も大きかったかなぁ。どこか達観した価値観を持っている兄なので、「何をしたって人間は生きていけるんだから」「働く場所なんてどこにでもある」と極論も言ってくれたし(本当にその通りだと思うんだけど)、何より「人は人、自分は自分。一番大切なのは自分の意思だから」と言ってくれたこと。

「人は人、自分は自分」って、めちゃくちゃよく聞く言葉だけど、それまでいまいちよくわからなかったんです。言っていることはわかるんだけど、本質的にはよくわからない。でもそのとき、「人と自分は別の生き物だから」という直接的な意味だけでなくて、「一番大事なのは、人の言うことや価値観ではなくて、自分の意思だ」ということを言いたいのだと、はじめて気づきました。人の判断軸や目ばかりを気にしていたら、一番大事な自分がしぼんでしぼんで、いつの日か見えなくなってしまう。そんなの嫌だ!と心から思えたので、今こうして、自分の言いたいこと・伝えたいこと、全部発信しよう、って思えています。むくむくと、やりたいことも出てきた。もしかしたら、仕事バリバリやっていたときより、今のほうが意思が強いかも。笑

きっかけは病気だったけど、休んでみて、そこから得たものは「生きる目的」だったり、「発信したい!」っていう欲求だったり、計り知れないほどの大きなものでした。人や社会を理解したい・しようと思う気持ちも、ずっと大きくなった。

もっと書くことあるのですが、長すぎるので今日はここまでにします:)

昨日のNHK「クローズアップ現代+」や、(私は見ていないのですが)民放でもちょうどパニック障害の特集をやっていたようで(すごい偶然!)、私なりに、この病気について誤解がないように伝えておきたいことだけ書いておきますね。(早く書いた方がいいかなって思ったので)

・この病気は、人によって症状も進行度も全然違うということ。(これは、特に昨日番組を見ていた方に伝えたい)ある程度は似ているけど、例えば苦手な場所だったり、治療法だったり、人によって異なるので、周囲に同じ病気の人がいても、一括りにせずにそれぞれのことを理解しようとしてほしい。

・この病気を克服するには、「努力して、苦手なことを減らしていく」というステップが少なからず発生していきます。たとえば、電車に乗るのが苦手なひとは、一駅ずつ増やしていく、とか。でも、それは症状の重さやその人それぞれのペースがあるから、当事者じゃないひとは、口を出さない方がいいと思う。「これ出来るんなら、これも大丈夫だよね!」とか、言わない方がいい。(お医者さんやカウンセラーさんの意見は、もちろん聞いた方がいい)

・出来るだけ、ふっつーに接してほしい。これは、きっとどんな病気の人でも思うんじゃないかな。この病気は(ほかの病気と併発している場合は別かもしれないけど)普通に仕事したり人と会話したり、全然できる病気。発作が起きているとき以外はとっても元気なの。なのに、いわゆる「メンタル疾患」と一括りにされて、状況を理解してもらえないまま、例えば仕事を減らされたり、疎外感を感じている人もきっと多いんじゃないかと思う。私を見てもらえればわかると思うんだけど(笑)治療中でもできることめちゃめちゃあるから、一括りにして寂しい悔しい思いをする人がでないようにしてほしいなぁと思う。メディアでも、だんだんメジャーな病気になってきたからこそ変に煽ったり大袈裟にイメージを作るものも多いから、そういうのは信じないで欲しいです。
あとは、発作のときは、ただただそばにいることが一番の安心材料になります。苦しそうなときは、そばから離れず、何をしてほしいか聞いたり、落ち着くまでとにかく一緒に。普段から「大丈夫?」と聞かれるのは、返答に困るからあんまり好ましくないです。心配してくれる気持ちはわかるし有難いのですが・・・このへんって、どんな病気でもとっても難しいですよね。私も、例えば癌を患っている患者さんにどういった言葉をかけたらいいのかって全然わからないもん。

・そして一番伝えたいのは、この病気は、「人からは見えない」ということ。人によっては、発作が起きているときも、人に気付かれない人もいる。それでも苦しかったり怖かったりするのは同じ。「もしかしたら、私の隣のひともそうかも」って思ってほしいなと思います。全然遠い話でもなんでもなくて、珍しい話でもなくて(日本では100人に1人がなる病気。アメリカはもっと多いらしい。日本ではこの15年で患者数が9倍だそう。)、いつだれがなってもおかしくない。もしかして、隣のあの子も?あの上司も?って思うだけで、気付けるかもしれないし、世界は変わると思う。身近なこととして、ぜひ捉えてほしいなと思います。自分事だと思えたら、自然と言葉も行動も変わってくると思うのです。

日本って、超ストレス社会なのに、メンタルヘルスに対する理解が浅すぎるなってめちゃくちゃ思います。知識が少なすぎる。前に人から聞いた話ですが、ニューヨークでは、とっても多くの人が日常的にセラピーを受けているとのこと。ニューヨークで成功する秘訣は「優秀な弁護士と優秀な精神科医をもつこと」とも言われているとか。ストレスが多い社会だからこそ、そのストレスをどう扱うのかっていうことをもっと真剣に考えて、減らす努力をし、食事・睡眠・運動とかいろんな知識をつけて、いろんな手段を使いながら、ハッピーに生きるべきだと思う:)

わー、結局めっちゃ長くなった。笑 まだ「会社を休んで気付いたこと」の半分くらいしか書けてないよ・・・。笑

書いておいてなんですが、ここまで読んでくださった方、本当にすごいと思います。笑 心から、感謝します。伝えたいことがたくさんあるのです。
懲りずに、次回もお待ちしています:)

今日は久しぶりに曇り空・雨でしたねー。ゆっくりお風呂に入って寝よう('ω')ノ

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。