一番欲しいもの
私のnoteは、普段からnoteを書いている訳ではない人(リアルの友人・知人・家族など)がたくさん読んでくれているので、敢えてタイトルには入れなかったけれど、今日は「教養のエチュード賞」の話をします。「なにそれ知らん」て人も、私にとって大切な気持ちを書くから最後まで読んでよね(笑)
「教養のエチュード賞」は、文筆家やラジオDJとして活動されている嶋津亮太さんという方が、note上で企画された非公式のコンテスト。
普通、こういうコンテストというものには、テーマや条件というものがあります。例えば、小説でなければいけない、とか。例えば、家族について書きましょう、とか。でも、「教養のエチュード賞」はそういう条件が本当になくて、「なんじゃこれ?」という感じでした。
つい最近まで嶋津さんのことを存じ上げていなかったのですが Twitterか何かの流れで、たまたまこの企画の概要が書かれたnoteにたどり着き、「一体このコンテストは、なんなんだろうか・・・?」といまいちピンとこないまま月日が過ぎました。
私は毎日noteを書いているので、「テーマがなんでもいい」というのであれば、いつでも応募できます。ある日、なんとなしに楽しく書けたnoteがあって、でもなんのテーマ性も持っていなかったので、「あ、そういえば」と教養のエチュード賞の存在をふと思い出し、書き終えたそのnoteにハッシュタグをつけて、応募してみることにしました。それがこれです。
私は、書くことへのモチベーションや、どういったnoteをいつ頃書こうかとか、毎日何時頃に書こうかとか、そういうことをコントロールできません。(もしかしたらやろうと思えばできるのかもしれませんが、しようとも思っていません)
毎日、夕方くらいになって「うーん何書こうかな今日は・・・」と思いながらおもむろにパソコンを開いて、ざっくりとしたことを20分とかで書く日もあれば、なんだかいつの間にか熱が入ってしまって、なぜか涙を流しながら気づけば3時間書いていた、みたいな日もあります。ちょうど眠るときにたくさんの書きたいことが頭いっぱいに巡ってしまって、焦ってスマホを開いて山ほどメモをする夜もあります。つまり、私にとってこの場で書くということは、それくらい自由であり、「仕事」ではない、ということです。
そんな私でも、いや、そんな私ですら、noteで毎日文章を書くことには、大きな不安が付きまといます。こんなん、誰が読むんだろうか、と思いながら投稿ボタンを押すし、20分で書いた私の文章に何の価値があるのか、と、noteとの向き合い方に悩む日もある。私が面白いと思ったものを、誰かが同じように面白いと思ってくれるかどうかはわからない。
そういった感覚のすれ違い、みたいなものは、面と向かってちょっとした言い争いをしたり、嫌味を言われるみたいなことよりも、ずっとずっと寂しかったりします。その溝は、きっと埋まらない、と思ってしまうほど繊細だからです。どんなに言葉を重ねて説明して、納得してもらいたくても、それは不可能に等しいことだから。
だからこそ、いくら書くことを続けても賞を取れない自分、バズらない自分、多くの人に読んでもらえている感覚が湧かない自分を無力に思うし、とても寂しく思う。そして、一人でも「共感する」とか「パワーが出る」とか「元気になった」とか「書いてくれてありがとう」とか言われると、涙が出るほど嬉しくなる。私にとって書くことは、とても単純なことであり、とても繊細なことでもある。
・・・と、ここまで書いてきて言うのですが、結果を申し上げると、私、この賞、いただけなかったんですよ(笑)。自分で書いて笑えてきました。別にこれ、オチじゃないかんな!!!!!!笑
何でこんなことを書いているかと言うと、「書いている人」、いや、少なくとも私にとっては、嶋津さんが Twitterやnoteで一人一人の投稿作品に対してすごく丁寧なフィードバックを書いてくださったことがとっっっっっても嬉しかったからです。
書くことは、孤独だから。それを読んで、人がどのように感じたのかを、やっぱりどうしても、知りたいのです。面白かったでもつまらなかったでも、これが好きでもこれが嫌いでも、なんでもいい。それが私の意図していたものでなかったとしても、それで全く問題ない。それくらい私は、「フィードバック」を渇望しているんだ、ということがわかりました。
賞をいただけなかったことも、お金をいただけなかったことも、蓋を開けてみると全く気になっていません。「みなさんの作品が素晴らしかったから」ももちろん思うけど、たぶん、本質的な理由はそこにはありません。
普段のnoteのコンテストでは、賞をいただけないことをいつも心の底から悔しく思い「いつか見てろよ」と思ってました(ガラが悪くてすみません笑)。もちろん、どれもただの私の実力不足です。でも、今回の「教養のエチュード賞」では、賞もお金もいただけなかったけれど、すごく嬉しかった。それは、賞にもお金にも代えられない、嶋津さんの「感想」があったからです。
きっと、私たち(とかいって勝手に括っちゃうけど、とても概念的な”私たち”です)は、「フィードバック」を渇望しています。書くことだって、日々の仕事だって、家事だって、会話だって、何だって。「このきんぴらごぼう、美味しいね」「会議室予約してくれて、すごく助かりました」「あのとき、ヘルプしてくれてありがとう」「○○さんの字、読みやすいなー」「この言葉がすごく胸に刺さったの」「○○さんの声、すごく好き」「そのワンピース、可愛いじゃん」。そのどれもを、言って欲しいんだと思う。こういうピュアな気持ちを、「承認欲求」みたいなビジネス書のような言葉で括りたくないんだ、私は。
これは誤解を持って欲しくないのですが、書いたものに対していただける「フィードバック」は、嶋津さんの言葉じゃなくても嬉しいんです。文筆業や本の構成や放送作家を生業としている嶋津さんからいただける言葉「だから嬉しい」んじゃない。自分の書いたものに対して、真正面から向き合って考えて何の忖度無しにくださった言葉「だから嬉しい」んだと思います。これは決して、嶋津さんのことを軽んじているわけではありませんからね。(わかっていただけますかね、言いたいこと・・・)
ただ一方で、この企画は、嶋津さんじゃなかったら成り立たなかった、とも思います。100を超える応募作品(テーマも形式も、本当に様々です)を、すべてに複数回以上目を通し、 Twitterで丁寧な感想とともに紹介をし、とても透明度の高い形で、投稿者の楽しみを持たせてくださるような企画にしてくださいました。こんな手のかかること、普通、出来ません。ていうか誰かがしているのを、見たことがありません。別に、企業主催でも何でもないんですよ。普通に自分の生活がある中で、他人の文章にここまで向き合える熱のある嶋津さんだからこそ、成り立った企画なんじゃないかなと思います。
以下、嶋津さんから頂いたフィードバックです。
怒涛のガトリング式妄想にうっとりします。好きなものを語る時、人はいつもより少しだけきらきらする。痛快な歯切れの良さが印象的だけど、実はコアにあるピュアさが読み手の心を惹きつけているのだと感じました。
ブログやSNS文化によって軽快な文章を書く人がたくさん増えました。「痛快さ」は興味を惹き、「軽快さ」は読み手のハードルを下げてくれます。そういった文章があふれる中、Saeさんは独特の個性を見せてくれます。「痛快」で「軽快」だけれど、隠そうと思っても隠しきれないピュアさが文章に現れている。それはSaeさんの魅力です。この人にしか書けない文章です。
「この人にしか書けない」を持っている人は強いです。
自分の持っているらしい「独特の個性」が、私には全然わかっていません。その「個性」が、嶋津さんが感じたものであるだけなのであって皆に理解してもらえるものなのかどうかも、わかりません。わからないから「独特」なのでしょうか。それもわかりません。でもわからないから、楽しいです。わからないことがあることが、嬉しいです。
この言葉を大切に、また書こうと思います。特にスタンスは変わらないと思いますが、ユーモアの溢れる毎日になるように!
長々と書いちゃいましたね。
受賞者のみなさん、本当におめでとうございます!ここまで書いていてなんですが、私は「プリマドンナ賞」が欲しかったです(笑)
そして何より、嶋津さん、とても素敵な企画を実行していただき、本当にありがとうございました。
受賞作品はこちらからどうぞ!!
たくさんあるので、家にこもって文章を読みたくなるこの季節にぴったり!
Sae
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