yokohama_hidamari神馬幸子

横浜市で小さな一軒家を借りた小さな事業所「スペースひだまり」 新しく『屋根のない長屋』…

yokohama_hidamari神馬幸子

横浜市で小さな一軒家を借りた小さな事業所「スペースひだまり」 新しく『屋根のない長屋』たぬきち商事を始めています事人とつながって、大きく手を広げ 仲間と共に そして、私の事、会社を立ち上げた事、認知症の事 長屋の事…生きる倫理、哲学、リアルをお伝えしたいと思います(#^.^#)

最近の記事

無年金高齢者

国民皆保険制度の日本 な、はずなのに 何故無年金の 高齢者が多いのか。 昭和36年4月から昭和61年3月までの期間は、国民年金への加入が任意であったため、そして、その時期は やはり、個人商店で 住み込みで働く人、以前 書いた「職人さん」なども含んで 会社で天引きされる厚生年金の対象ではなく 国民年金保険の対象者は 支払う余裕もなく 任意加入では 尚更、加入者が少なかったのは無理もない。 戦中も戦後も 裕福な環境に育った人と 必死で掻き分け掻き分け働いた人とで 社会の制度の

    • 昭和を生きてきたんだ

      またも社会構成主義のお話 職人として 棟梁に仕えて来た 一人前にペンキを塗らせて貰えた時は嬉しかった 重なった。 今から40年近く前 私は高卒で働いたガソリンスタンドの会社では電算室の電子処理の仕事につく前の半年以上、ガソリンスタンドの店舗で ガソリン入れたり 洗車したり オイル交換やタイヤ交換の助手をしたり 現場で どんな人がお客様なのかを 体験していた バブル期の数年前の事で 高度経済成長期を、越えた 職人さんたちが 現場へ行ったり来たりの合間に 立ち寄っては 冗談を

      • ソーシャルワーク実践の日々

        こんばんわ 真夏の暑さ、実は時おり吹く風に 癒されるのは 余りの暑さの中の 一瞬の風を感じるからなのか それとも暦の通り立秋が近いせいなのでしょうか 社会福祉士の学問では ○○論 ○○学 沢山の理論や 学問 政治 経済 経営 が 出てきて 40数年前 せっかく その1部を 学ぶ高校生時代に もっと 学びに興味を持ったら良かったのに と、後悔したり 高卒の自分に対するコンプレックスから 大学に行きたいなど 考えることも有る。事実、学びに行くだけの時間は 今は、 既に癒しの時と

        • 生きていくにも

          生き方も 育ってきた道も 命の長さも みんな、それぞれ しかし、例えば 高齢者と 呼ばれる年齢まで生きてきて ましてや、社会人として勤めあげてきて こんなはずじゃなかった そう思うのも無理はないのかも 知れない 知らなかったんだから 高齢期になり、心身とも弱り バリバリ働いていたときに有った 名誉なんて 風のように 飛ばされて 立つ瀬無いと ホントにそうかもしれないけれど 他人の考えや 周りの人の意見 時代が変化していることの 受け入れをせず 「どうにかなるだろう」

          ソーシャルワーカー心の栄養✨

          社会福祉士。受験しようと思った過去には、山程のテキストが届き 学びの幅が広くて驚きました 多分野 多世代 歴史 地域 心理学 ヒトの発達 経営 などなど しかし、業務独占ではないために 大半の人は 就いた職場の中での 相談援助職となるので 本来のソーシャルワークのグローバル定義 https://jfsw.org/definition/global_definition/ の 在り方と職務が かけ離れた 関係性となったり それに苦しむ人、もう グローバル定義なんて、なん

          ソーシャルワーカー心の栄養✨

          善き事も悪しき事も

          この年齢になってくると (来月 58歳) もう、記憶が無いくらい 沢山の人と出会い 驚くべき事に出逢ったりする 今朝だったか 認知症高齢者への詐欺事件が 報道されていて そんな、最悪な事件は 許せないし 詐欺は撲滅してほしい 信頼させて騙すとか 本当に人として 何よりも 罪深いと思う しかし。 非人道的な罪をおかす犯罪者も 産まれたときは 可愛い赤ちゃんだったはず そこからの人生 どうやったら、そんな 許されざる犯罪者となるのだろうか その人生に何が足りなく 何が有

          善き事も悪しき事も

          限られた資源の中で

          今日は、オンラインでしたが 尊敬する方の話を聞くことが出来ました 認知症…と言うか、人と人と言うことへの ご自身が現場を積み重ねて得てきた学びを 言語化する能力の凄さに まずは脱帽です。素晴らしい方と出逢えたことに感謝です。 そして、その方の今までの介護の仕事の人生と私の介護の仕事の人生は 大きく違うと思うけれど 思うところ似たりの事が多く大きく頷きながら聞いていました 認知症で あろうと なかろうと 自分も人間として 相手も人間として 一生懸命 どんな人生を送って

          限られた資源の中で

          社会の構造の1つとして

          何故か、我々「高齢者支援」を 業として行っている大半の人は 自分の仕事の報酬は国民県民市民町民、企業が汗水働いた収入の中から 支払われている社会保険料や税金から 包括、居宅介護事業所、介護保険サービス事業所に「決められた分だけ」の報酬が払われ それを職員に按分して給与が払われていると言う 意識で働いている人は少ない それを意識しただけで、人間の生活は 介護や医療だけで 成り立っていないと 考えられるはずなのに なぜ、地域包括ケアシステムの 中には 一般企業は 入らないのか?

          社会の構造の1つとして

          家族が居ても、必要な伴走

          家族が居ない問題が 報道されるようになってきた 勿論大きな社会課題だけれど この国で生きて死ぬ為の 現在の社会課題は 山ほど有ると思っています 家族が居ても 伴走する人は必要な場合も沢山居るし 例えば 五人家族なら 五人それぞれが 生きる当事者なのです 週刊誌も TVも 新聞も なんなら 私が子供の頃から 極端な話が好きで とある新聞社さんから 取材の申し出があったけれど 内容が「家族が居なくて入院を断られて亡くなった例ありませんか?」 だったり「悲惨な認知症の老々介護

          家族が居ても、必要な伴走

          想像しなかった孤独

          まだ昭和40年代の日本は 「復興」の 真っ最中だったのだろうと 震災後の復興を見て感じる 戦後20年の日本の働き盛りの 生活は、どんなだったのだろうか 例えば昭和5年生まれは 終戦のとき 15才 この先、学ぶぞ働くぞと 力を合わせだしたのは いつからだったんだろう どこで、誰と終戦を迎えて どんな環境の中で暮らして 15才から成人して行ったのか 昭和5年生まれは 今、令和6年では94才 昭和の戦後から 昭和を駆け抜け 定年を迎えた時には 平成に突入 有る意味自分の

          残念な称賛と本気の労い

          誰もが本音で話すことをしない時代になっていることに気付かされているこの頃 皆さんは、その事に気付いていますか? モラハラ、 パワハラ それによるメンタルの崩壊を訴えられるので コンプライアンス重視が 一番大切な世の中に… いつからなんだろう? 間違えていても 誰にも怒られない 指摘されない だから 間違いに気付かないまま 間違えた称賛を本気にして 間違えたまま育つ社会人 かたや、本気で取り組んだこと 社会の中で有るべきを追及し やり進めている人への本気の労いも 無く

          残念な称賛と本気の労い

          社会の変化は加速していた

          3月に入って 様々な人と会うことが更に多くありまして 何だか気忙しい時を過ごしています そんな中「止まった状態で生きていると 本当に大変」と感じたことがありました。改めて書くことではないのかもしれませんが… とある、場所で出会った 40代半ばの方が 私生活の話をしてくださいました 「下の子が中学を卒業するんです」 中学の話し、高校受験の話し、そして高校に行っても部活を続ける話しなど 楽しそうに話している姿が とても素敵な笑顔でした そのなかで、 10数年で 中学校の部活

          社会の変化は加速していた

          社会福祉士の学びは実践と学問共に

          40歳過ぎて介護の資格を取り デイサービスで働きはじめたとき 今の自分を目指していたか?と 思うと、全く思っていませんでした 何なら介護の資格を持って 介護現場で働き続ければ 身体さえ壊さなければ ある程度の年齢まで仕事に困らないだろうと思ったくらいでした 初任でパートで働いていたデイサービスは三年半で辞めて ケアプラザへ そこには、ケアマネさん 包括さん 沢山の職種の方が居て 日々の仕事をされている姿に刺激を受けました 本当は、資格なんて要らない 現場が何よりだし

          社会福祉士の学びは実践と学問共に

          様々な思いは生きてきた日々の線上に

          先日、仕事関係の方々と飲みました 横浜橋商店街の近くの町中華店で 久しぶりのビールは 胃に染み渡りました (今日の胃カメラの検査は悪性ではなかった~良かった) 生きている意味も 働く意味も 人それぞれだねぇと 思うような話を永遠と語りました 今、在る自分は 生きてきた道の延長線上にあり 自分の潜在意識とか人格を 客観視することなんて本当に 難しいのだから 他人が他人の 意識改革をするなんて 本当に難しい 例えば 仕事上よく触れる高齢者 昔、若い頃に見えていなかった社

          様々な思いは生きてきた日々の線上に

          ?困ったら行政が何とかしてくれる?

          本日は、春分の日 午後から 友人と 伊勢佐木町→中華街へと ブラブラ 不二家のペコちゃんにご挨拶してきました 横浜の古い商店街の代名詞に なってきた伊勢佐木モール ビルも古くなってるなぁと眺めて歩きました と、その前に 出掛ける前に、一仕事してきたのですが まあ、やはり この先の 介護保険サービスの存続が 不安になる様な 団塊の世代の一部の方の認識 「困ったら区役所に言えば何とかなる」「無料なら聞いても良い」 今まで 地域住民への意識に対して 地域包括支援センター

          ?困ったら行政が何とかしてくれる?

          50代60代なら、「明日は未来」を考えるに遅くない

          子どもの頃の事や 親の事、出逢ってきた高齢者のことを書いてきましたが ここからしばらくは 自分の未来 自分の年代の未来を どう考えるかを書いていこうと思います その前に 少しだけ 今の80代や90代が 現在自分が 置かれている社会環境を受け入れられない事に対して現役世代が 「頭が固い」とか「この時代仕方ない」などと 言って 極端に言うと 何とか言いくるめようとして 現代の社会に合わせないのは駄目だと伝える事なんて多く見かけます しかし、90歳の定年時は30年前 ちょうど平

          50代60代なら、「明日は未来」を考えるに遅くない