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昭和を生きてきたんだ

またも社会構成主義のお話

職人として 棟梁に仕えて来た
一人前にペンキを塗らせて貰えた時は嬉しかった


重なった。
今から40年近く前
私は高卒で働いたガソリンスタンドの会社では電算室の電子処理の仕事につく前の半年以上、ガソリンスタンドの店舗で ガソリン入れたり
洗車したり オイル交換やタイヤ交換の助手をしたり 現場で どんな人がお客様なのかを 体験していた
バブル期の数年前の事で 高度経済成長期を、越えた 職人さんたちが
現場へ行ったり来たりの合間に
立ち寄っては 冗談を話していた
あの頃の景色と重なっていた

40年前40代だった あの頃の
働く姿のお客さんが
今の 私の目の前の高齢者

当時「ねえちゃん、コツコツ 頑張りな 働いてなぁ、夜に あー今日も1日頑張ったなぁって 感じろ。そして、給料の1万円は貯金。1万円は親にやれ。」  そう言って バンにキャリアー付けて ハシゴ乗せて 荷台に道具乗せて 仕事に行く ちょっと大人の 職人さん カッコ良かった

その人と、今、目の前で 余命いくばくもなく、当時年金なんて 払う様な仕事じゃなかった 困窮者の 元職人さん 「棟梁とおかみさんに 感謝してるんだ」と 言い 「貴女も、親に感謝しなさい」と。

もしかしたら
40年前の あの ペンキ屋の
お兄さんなんじゃないかって
思ったら 泣けてくる
そうじゃなくても、泣けてくるのは
同じだけど


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