秋の美しさと新ブログ、古くなった自己像を着替えること。

毎年のことながら外の空気がキンモクセイの香りに満ちて、ここら近隣一帯を席巻している。独特の甘さ漂う空気は家の中にも忍び込み、すみずみまで完全に広がり、まるでキンモクセイの香りの海の中を泳ぎ暮らしているようだ。

夜は灯りを消してじっと横になっていると、虫たちの澄んだ音が本当に美しく、キンモクセイの香りに加えてすっぽりとその音色に包まれる。ほうぼうに重なり合う繊細な響きを聴いていると、おのずと紺碧の空の星々の情景が浮かぶ。宇宙空間にいるように、星空にぐるりと囲まれている気持ちになるのだ。なんて美しい秋。

今年は秋の気配の深まりとともに、表現活動の機動力が増していくのを感じていた。
これには私が新しいブログサイトを作り、使い始めたことも関係している。
9月中旬のnoteで近況を綴った頃には、サイト作りの仕上げをしていた。
該当記事◇「2022年9月中旬の近況、形から入ることはできないんだねって順序の話、そしてカラス」

それでもなおその頃は、今回のサイト作りがどれほど自分にとって意義あるものか疑問を持っていた。上記記事の文中で、もはやnoteを執筆のメインにしているのでブログは無くてもいいのでは? と考えてみたことに言及しているが、やはり新サイトは作ろうと決断した後も「もしかしたら余計な作業になるかもしれないが、やるだけやってみよう」との心構えだったくらいだ。

しかし、新サイトをすでに使っている今となってはとても有益な経験だったと思う。
今残しているサイト以外も含めると私のトータルのウェブ歴はかなり長いので(ウェブの専門家という意味ではなく個人のユーザーとして)、過去にも何度か行ってきた作業とはいえ、新しいサイト作りの過程では、現在の自己の内にあるイメージとやりたいこととをあぶり出すことになるし、いざ新サイトを使い始めると「そうだ、これだったんだ」という一致の感覚と満足があった。

それでつくづくわかったのだが、自分では「そんなにおおごとではない」と思っていても、ウェブ活動上の「顔」の一部であるブログサイトを今の自分と合わなくなってきた実感を抱きつつ使い続けたことは、何かしら滞りを生じさせていたのだ。かつては気に入って着ていたが、なんだかもうしっくりこなくなったと感じる服をそのまま着続けるようなものだ。

なぜ着続けるか?――単に、新しい服を用意するのが面倒なこともあるかもしれないが、そう思う背後には、古い自己像への愛着もあるだろう。
でも、思い切って着替えないと確実に現在の自分が窮屈になっていき、過去の服を着続けるために「自分自身を調節」しなければならなくなる。

移行期間の経験を含め、一連の作業を通して私が学んだことはほかにもある。それらは今後の作品で、たとえばあなたの人生の他のケースにも生かせるようなエッセンスに蒸留して、シェアするだろう。

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