フィクションの効能、アレしかないけどできてないこと

まったくそんな作品を書き出しそうもないのに、最近フィクションのことばかり考えている。
これまでのような比較的実用的なnoteをアウトプットする気になれない時期なのも関係しているかもしれないし(関連記事◇「結局最後はひとりの人として」)、実はフィクション作品の中での方が、自由な表現ができる場合もある……とか原点に戻って色々考えている。

「原点」というのは私が元々、小説や漫画をはじめとする作品の創作をするつもりの人間だったからで、今のような専門分野で文章を書き続けることは思いも寄らなかった。昔の私には想像の範疇外というか。
まぁ、何かを書けていれば何でもいいかという、そのときどきで一番自分の書きやすいものをただ書いている感じだが、それがどうも数年前から新しい要素を加えたい気持ちが消えず、そのくせ、しっくりくる形には辿り着いていないという実感を持っている。

かなり昔書いたものを含めて一応フィクション作品もこのnoteにも載せてはいるのだが(★「小説・物語」マガジン★に収録)、それらはすでにもう、私がスピリチュアル・精神世界と呼ばれる分野に進んだ後の創作なのでテーマのほとんどがそこに引っ張られている。あえてそうしているものもあるとはいえ。

作品にそうした要素が自然と含まれるのはかまわないが、あまりテーマ自体がそこに染まらない、何か別世界を構築したい気持ちはわりとある。
特に最近はそちら(別世界の構築)に目が行く状態になっていると言える。

それというのも、私が人生を歩む中で多々「助けてもらった」と思えるフィクション作品があって、そういう作品の作者たちを尊敬している一方、他者の作品を見るときいまだに自分も同じく「作家」の視点で見てしまう姿勢が抜けないことにも気づいているからだ。
つまり、純粋な鑑賞者になることがほぼなく、感動するにも「すごいな! これが自分に書ける(漫画なら「描ける」)だろうか?」と、どうしてもその視点も持ちながら見てしまう。自分が書く・描くならどう? と。

この、「自分の中にある作家の視点が消えない」ことについて、人生がまだ長く続くのであればのんびり考えていくのもありなのかなと、やっと関心を向けるようになった。
ただ、そうするときに私が「ここをどうしよう?」と半信半疑になっている点があって、自分自身では長く離れすぎてしまったアレと関係している。
アレしかないと思うのだけど、今はできていないこと……。

また、それに関連して、私に希望や新しい風を吹き込んでくれた「ある作品群」のことも、ここからは語る。

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