I to I, see eye to eye, 象徴思考と世界を用いた対話

地球舞台という設定の「この世ゲーム」をプレイしているあなたが経験するものは、すべて自分との関係! なーんて、そんなこと、実感をもって信じられる!? 
でも、そう。しかも、これは神(ここでいう神は、人間の観念が作り出す神ではなくて、言葉にするなら森羅万象の源だとか、存在するすべてに共通のひとつの私、真我などの意味)との関係のことだ。それが自分だから。

真我を軸にした「I to I」自己との関係

この話は、自分のことを「体に限定され、他者と分離している個人」と捉えているときの「私」を軸にして、その私との関係を指しているのではない。
その誤った私感覚をエゴと呼んで説明すると、エゴの自己愛はあなたをますます分裂させる。なぜなら、周りは「私」ではないと信じることによって、あなたは誰かや何かから「攻撃され得る・傷つけ、傷つけられ得る」存在になるからだ。

エゴの見方のもとで「私」へ愛を注ごうとすることは、無い袖を振るようなもの。その誤った前提から湧く自己愛にしたがって「私、大切」「私、かわいそうだったよね」みたいな慰めをもたらしていると、分裂した自己を温存する結果になる。そうしているとき、「自分ではない」周りは押しのけて、外と自己を対比させて「大切にする自分」の価値を作っている。

けれども真実は、この世界、いや宇宙まるごとが「あなた」なのだ。
ということは、エゴ的自己愛を温存しているといつまでも「はみ出す自分」が出てきて、真のあなたがあまねく行き渡らせている「すべてに浸透している自然な愛」に気づくことができない。

真我のこの愛は、今回ゲーム上でポインタを置いている私、つまり今あなたが個人の私と思っている私に対してだけでなく、すべての存在に同じように注がれる。
あなたがAという人間だとしよう。世界にはBという人間やCという人間、それにDという人間以外の生物やEという生物もいる。すると、今説明している「私」の愛は、Aだけに集中しているのではなく、ABCDEすべてに平等に同じく注がれているということだ。
この点で、それまであなたの「主観」の置き所だったAという自分も、真のあなたという全体の中のいちキャラクターにすぎなくて、実は自身の意識のフォーカスを移動させるだけであなたはBになることも、Cになることも、DやEになることも可能だった、と気づく。
今回のゲーム設定ではポインタをAに置くことにしてるよね、というだけ。

これが腑に落ちるのは、リアルな「私」はゲーム内にではなく、ゲームの外に在る、ゲーム全体が自分の意識の中にある、とわかっているときだ。
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え、待って……そうやって「全部自分」と見なしていたら、全部が自分内で起こっていること、と感じ始めるんじゃないの? と思った方、その通り。
それじゃまるで自分の意識の中の「夢」と同じなんじゃないの、と思った方、本当にその通りだよ。

あなたが経験していることは全部、
私から私へ、I to I(アイ・トゥー・アイ)。

言葉遊びをしよう。
英語で「see eye to eye」というと「意見が一致する、気持ちが合う」などの意味になるんだけど、あなたが「I to I」を理解すると、あなたの経験は see 「eye to eye」になる。自分と自分との間で――つまり真我と自分、もしくは高次の自分と自分との間でね。
元々ひとつである両者にズレがなくなる。

そのように、自己が「一致」していくと、どうなると思う?

次元上昇(アセンション)は自然な結果

現実を、自分の意識の中の経験だということを覚えているまま体験できるのだから、自由度が上がるよね。さらには、それまで固体だ、ガッチリとStableだと思っていた物質もゆるやかに、柔軟に、変化し得るものになる。

ん……その世界、何かで経験済みでは? そう、夢の中での経験と同じだ。夢の中ではものごとにずっと柔軟性があることを自ら体験済みの人は多いと思う。
そして、これが私たちに今進行しているレベルでの次元上昇、アセンションだ。

丁寧にいうと、次元が上昇するというより、私たちの意識フォーカスが上の次元に移るということ。自分の中で、日常の基盤にする次元を上げていくよということ。

もちろんこれは、この展開を「選びたくない」人には起こらない。これまで通り、物質的経験が中心の地球舞台という並行現実もある。
誰もが好みの現実を選ぶことができるのだ。
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選択は、どちらがいいとか悪いとかはない。単に、自分の見たい番組を選ぶようなものだから。
ただ、自分で選べることを忘れている場合があるから、私は「選べるよ」という事実を受信したい人にbroadcastしている。

最近になるまで私は、アセンションという表現を使うことを好まなかった。そこに特定のブームや意図が乗っかっている傾向が見られたからだ。
でも今は単純な事実として、明確な意識変化がけっこうスピーディーに進行中なので、アセンションという言葉を使うことにしている。
この動きを感じている人にとってはなかなか、「地球全体のイベント感」のあるピリオドに入っていると思う。

ただしアセンションという現象は目的ではなくて、あなたが真のあなた自身と一致する「自然な結果」だ。どうしてもそうなっちゃうという感じね。

次元が上がると日常になる変化:思考

では、あなたがフォーカスを定める次元、いうなればこの地球ゲームの中で自分の足をつける「地面」として用いる次元が上がると、どんな変化があるだろうか。

ひとつは、思考の用い方の違いだ。
高次のマインド、低次のマインドという表現を説明のために使うと、高次のマインドしか使わなくなっていく。
近頃の記事で思考をテーマにすることが多いのはそういうわけだ。

「異次元的思考法・癒着なしに思考を活用する方法」で紹介した内容もそうだが直観的な把握の仕方や、象徴思考といったものが日常になる。

これまで、インスピレーションやひらめきという直観的思考のことはだいぶ説明をしてきたので、今回は象徴思考についてお話ししよう。

無意識的に物質的体験を創り出している私たちは全員、これがすでにできるのだが、ほとんど意識的に使えていなかった。
けれどもあなたが見た夢を理解しようとしたり、物語と向き合うとき、この能力が活性化する。
「イメージの自由を促す文章・創造・創作ノート」という記事でそのことにふれている。

象徴思考の用い方・理解の仕方(2つの夢を例に、共通テーマを解説)

ここのところ私は2つ、印象に残った夢を記事内に挿入したのだが、
「『現実』のチャンネル権はあなた・望むことと知ることの違い」
「記憶はアクセス・過去を今創ってる」
これらの夢の内容も象徴として受け取っていくと記事でふれた以上の意味が読み取れる。
ただ、象徴には面白い特徴があって、象徴を象徴のままにする方が、表層意識の抵抗を通り抜けて本質を伝えられることがあるのだ。

物語として語り、解説せずにいることで、かえって心の奥に届けられるものがあるというわけ。
また、象徴というのは厳密に個人個人によってその人にとっての「意味」が変わってくる。同時に、集合的に共有しているものもあるのだが。

それを踏まえて、自分で意識的に象徴思考と親しんで理解したい人向けに、どういう風に象徴を用いているか、理解できるのか、上記の2つの夢を例に挙げ、以下に着眼した要点を解説する。

この2つの夢は共通するひとつの中心テーマを表している。あなたは気づいただろうか?

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