記憶はアクセス・過去を今創ってる

記憶ってどこにあると思う? 漠然とでも、自分の「体」にあると思っていないかな、たとえば脳なんかに。
あなたがインターネットで情報を見るとき、ウェブ上の情報にアクセスするけど、使用するデバイス(パソコンやスマホ等)自体にその情報があるわけじゃないよね。度々見る情報、呼び出したい情報の「アドレス」を保存しておくことはできるけれどね。
この例のデバイスを、「体」に置き換えてみて。

これがわかっていると、情報は無限大にいつもあり、あなたが自分の意識によって何にアクセスするか・フォーカスするかで、それらを「自分に属する情報」と捉えるんだと気づくことができる。
自分に属する情報……それをあなたは自分の過去だとか、私はこういう人間だというパーソナリティーの定義だとか、現実(世界)とはどういうものかという定義に用いて、あなたの体験すべての土台に使う。

つまり、あなたの経験を形成するのは、あなたがどんな情報にアクセスしているかだ。しかもあなたはそれを常に「改変・刷新」している。
とはいえ無意識的に生きていれば、これまでに信じた情報(観念や思考)を事実としてキープし、そこへのアクセスばかりを繰り返すかもしれない。

それでもね、そんな状態になっているときですらあなたの叡知、知っている部分はあなたに働きかける。
そう、眠っているときの「夢」なんかでね。

睡眠中、夢でも情報を扱って刷新している

これは朗報だよね! だって、あなたが自覚できていなくても常にあなたの意識は働いているっていうことだから。

たとえば眠った後、夢の内容を覚えていても・いなくても、起きたら眠る前のあなたとは違うモードになっていたり、考えやものの見方が明らかに変わっていたりという経験があるでしょう。
そうした経験を注意深く見れば、「寝て、疲れがとれたから」だけでは説明できない変化もあることがわかる。

あなたは意識によって、眠っている間も作業しているんだよ。
そして、この作業はとても重要。私たちに「不可欠」なものだ。

「インセプション」という映画があるけれど、この映画の中では主人公がターゲットの人間の夢に入り込み、特定のアイディアを植え付けることでターゲットの考えを誘導しようとする。
インセプション- Wikipedia

↑例に挙げやすいので、過去ブログ上でも何度か紹介している「インセプション」DVDはこちら。

もちろんこれは映画でありフィクションなので、実際の意識や夢を説明するには適さない部分もあるが、その性質に肉迫している部分もあり、夢や意識への理解を深めたい人、自分なりに考えてみたい人におすすめだ。
明晰夢で可能になる経験が、いい具合に描写されている箇所もある。

話を戻すと、この映画でいう「インセプション」というコンセプト、つまり夢の中で特定の概念を植え付けるということは、原理的に可能だ。
ただし、本人の意思でという但し書きがつくが。
本人の意思でない場合にはその人の意識が拒絶するので、その概念は受け入れられることはない。これは、自分自身で観念や思考を変えようとしたことがある人ならきっとわかるだろう。
あなたが本当に受け入れない限り、作業だけをしても変わらないのだ。

逆に言うと、あなた自身が変えたいと思うことがあり、あなたにとって望ましい自分になるため、その自己にふさわしい「過去」や「記憶」を持ちたいという意思があればそれは可能で、夢の中でも自然にそのための作業が遂行される。

さて。こうした説明は、実はこの記事の「プロローグ」なのだ。
私は夢でかなり興味深い経験をしたばかりで、それは「新しい記憶の付加」と表現できるものだった。

でも、夢と意識と現実の関係を説明しなければ、ただの夢の話になっちゃうからね、何が起きているかを理解しながら読んでもらうために下地を解説したのだ。もう少し、この解説は続くよ。

今の人生も、同時にある多の人生も、データ(情報)

ブログ等、私の過去記事ではおなじみの話なのだが、私の人生や人となりは「この人生、この現実」だけで成り立ってはいない。夢を含む、別次元での経験がかなりの割合を占める。
私に限らず本当は、誰もがそうだ。

一般に「過去世」だとか「未来世」と呼ばれる概念は、受け入れている人が多いかもしれない。それらはあなたの「今」の経験と同時にある。あなたが生まれて、死んで、生まれて、死んで……と繰り返すことでそれらが生じるわけではない。

ここからさらに理解を進めていこう。
今の人生という経験も含めて、すべては「データ」だ。意識内にある情報だ。
あなたがある情報にアクセスし、それを自分のものとして受け入れると、それがあなたの経験になる。人によっては夢などで映画のように見る場合もあるが、情報に接続し、それに入り込んで「私の経験」という感触が生まれると、それらは過去世、未来世、呼び方は何であれ、別の「私」の人生だと感じられるだろう。

あなたは情報を選び、どれを自分の「経験」として受け入れるかを決める。
現在経験していることのヒントになる情報があれば、自らそこにアクセスし、自分の情報に「今」取り入れることで「過去世、あるいは未来世、並行世を知ることで影響があった」と感じる。
しかしそのときも「今」から、理由や根拠を創作している。

この人生の過去や未来についても同様だ。
今のあなたが、ほうぼうの情報へ「リンク」を張っているのだ。

こういうことに気がついたのは、私が昔から夢でたくさんの時代、たくさんの人の人生を見ているからだった。映画のように全体を見ることもできると同時に、その人自身になること、また、その人の世界で関わる登場人物それぞれに入ってみることもできた。
ある人生の特定のシーンだけを見ることもあったが、対象は世界各国の人で、地域や時代が限定されたり性別が限定されたりする様子はなかった。

私はそれらを「私の、過去世」と感じたことはなく、いつも「データを受信している」「人間の経験という情報を閲覧している」という感覚だった。
とはいえ、対象となる人の思いや感情、どんな過去を持っているかなどをいっぺんに体験できるので、その共有の仕方は「私が経験したのと同じ」で、そこにどんな区別があるかと言われれば、うまい説明はできないだろう。

このことから私は、過去世や同時にある多数の人生と呼ばれるものは全部、データなんだなと気がついたのだ。

ちなみにこの私個人にとっては、地球外の経験や非物質次元の存在としての経験など、より「私自身が経験している」と感じられる体験もある。
私にとって人間経験全般は、データの閲覧感、今必要なので借りてきた体験という感じが強い。人間の経験という貯蔵庫から勉強し、研究しているようなふしがある。

次元が異なれば勉強は「それ自身になること」という体験なのだ。
あなたは参考文献のように「今知りたい情報」「ほしい情報」へ自分の意識を使って手を伸ばす。それらは本ではなくて「経験データ」だ。

☆最近の記事で、思考によるアクセスを扱った内容はこちら。
「異次元的思考法・癒着なしに思考を活用する方法」
「ひらめきと思考の次元、意識フォーカスの移動」

意識の働きは眠らない。睡眠中の夢という経験であれ、あなたは常時何かを学んでいる、経験しているということを知ろう。

この後は、私が今回見た夢の内容を描写する。
記事の終わりには、その夢がもたらした効果の解説と、記憶というデータや過去が常時書き換え可能なことを、あなたの現実に活かせるようにまとめてある。

自分にはない記憶をたどる夢、事前の様子

この夢の中で私は、今の私のような感覚を持っていながら、違う私だった。
その私の外見はよくわからない。時代も今とそう違っている感じはしない。
日常の延長に近い、きわめて今の私に近い感覚を持ちながらも、同じ私かというとあらゆる点で立場や記憶や性格が異なっていた。

おそらく、女性であり今の世界と似たところで暮らしている(あるいは私の今の意識によってそのように翻訳されている)という設定から、現在の私を重ね合わせて近づけて、この彼女(夢の主人公)を体験していたのだろう。

夢の中では私=彼女の目線になっていることを理解して夢の内容を読んでほしいのだが、この夢は結婚生活に関する記憶の話がメインで、現在のこの私に結婚経験はない。また、夢の「私」が思い出した夫との関係と似た経験はこの私にはなく、共通している要素を思い出せる過去の関係性もない。

さらには、眠る前に関連した情報、トピックについて考えていたということもなかった。私はこの日寝る前、久しぶりに本格的に「エネルギーを流す」ことに没頭しており、かなりワクワクして楽しんでいた。
思えば、そのせいでエネルギー上で何かのスイッチをオンにしてしまったのかもしれない。その可能性は高そうだ。

現在続けているブログを始めるよりもさらに前、私の個人セッションメニューにはエネルギーヒーリングがあった(以後は長いことスピリチュアルカウンセリングをメインにしていた)。リーディングとヒーリングを組み合わせて遠隔でセッションをしたこともあった。自分にとってエネルギーの扱いは得意分野と言って過言ではないのだが、最近はすっかりおさぼりしていて、久々にやる気になったのだ。

するとこれが楽しくて、エネルギー(気と呼んでもいい)の出具合を確かめたり、循環させたりしながら「いい調子!」と、寝る前なのにすっかり快活な気分になっていた。
他の部分に比べ、「足のエネルギーがやや弱いかな」と思ったので、横たわった姿勢で足にエネルギーを流したり、そのうち、自分だけでエネルギーを流すときと、ヘルパー存在(天使やガイド)が一緒にエネルギーを流すときとで違いを確かめたかったので、それを実行してみたりしていた。
この話は面白いが脱線してしまうので、後日別の記事で書くかもしれない。

最後の記憶が、それだった。ヘルパー存在に協力してもらって流すエネルギーを感じながら、いつのまにか眠ったらしい。

寝た後も楽しいムードが続いていたのか、寝笑い(体は眠った状態のまま、声に出して笑うこと。寝言の笑いバージョン)したことを覚えている。これ自体は、私には珍しくはない。
ただ、そのとき見ていた夢は明らかに、これから書く夢とはまったく異なるものだった。

覚えていなかった夫との生活を思い出す夢

以下は、いくつかの他の夢を経てから見た、今回印象に残った夢である。

★追記……別記事で、この夢を例に挙げ、象徴についての解説をしている。
そちらも参照したい方は◆「I to I, see eye to eye, 象徴思考と世界を用いた対話」をどうぞ。

(ここから、夢の内容)

すでに説明した通り、現在のこの私ではないが夢の中で「私」と感じている私は、ブライダルの準備をしていた。

女友達数人が付き添ってくれている。
私はすでにウェディングドレスを着たことがある友達に、「あのコルセットみたいなやつ、着た?」と話している。
ビスチェ(インナービスチェ、ウェディングドレス用の下着)を選んでいるらしい。

試着をする際、店のガラスごしに、この広々としたデパートの中心部にある吹き抜けの広場が見渡せることに気づいた。
そして試着しているうち、ふと夢の中の「私」は、「もしかして私、前にも結婚してたことがあった……?」と記憶がよみがえり始める。

それはその瞬間まで忘れていたことで、一緒にいる女友達数人にそのことを尋ねて確認しようとしたとき、自分の周りの親しい女友達は皆、結婚していた頃にもよく同情的に相談に乗ってくれていたのを思い出す。

夫がどんな人だったか、
どんな思い出があったか、
気持ちを向けると、次から次へと記憶が浮かび上がってくる。

思い出した夫は、容姿がハンサムでプロポーションも完璧で、人間味がないほどに見える人だった(夢を見ている私からすると、その人は日本人なのだが白人の軍人のような印象がある人に見える)。
ポーカーフェイスで情緒表現が少なく、無駄口をたたいたりしないタイプ。

先に説明すると、その夫に「私」は愛され大切にされていたのだが、当時の「私」にはその愛が届いておらず、「私」から申し出て離婚していた。

夢の中の「私」が考えを向ければ向けるほど、忘れていた記憶がくっきりと浮上し思い出されていく。まるで過去の場面の中に入ったみたいに。
たとえば、出会いは? と考えるとその瞬間、出会いのシーンがありありとよみがえってくる。

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