異次元的思考法・癒着なしに思考を活用する方法

あなたは思考を邪魔者扱いせずに、楽しく使ってる? 精神世界に親しんでいる人や、自己の内側を整える習慣がある人の中には、もしかすると思考を静めることにフォーカスが向くあまり、思考全体を雑音のように感じる傾向があるかもしれない。

でも、インスピレーションは思考の形でやってくることがあるし、思考は単に「情報」だと言える。あなたの自己感覚を思考と癒着させていなければ、思考は何も害をもたらすことはなく、むしろ必要なツールであり、あなたの現実を創造する素材なのだ。

この記事では、ぐるぐる思考を働かせるタイプの「考える」方法ではなく、宙に思考を浮かべてつぶさに観察するような方法をお話しする。
それは先月末に「人生明晰夢化講座」の第一回、◆「【人生明晰夢化その1・導入編】人生という夢を明晰夢にできてるかチェック」という記事内で、私が、
『ただし昨夜の私の場合は、特に変性意識状態を意図して作るつもりはなく、あることを集中して考えていた。
私の人生の中で重要な意識の「シフト」が起きたときは、振り返ると「どうしてもわかりたいこと」を集中して考えているときが多い。それは本気の「どうしても、どうしても、どうしてもそれを解きたい」という思いを持っているときで、この意味で私はあきらめが悪い。
このあきらめの悪さで「突破口」に辿り着くことがあるというわけだ。』

……と書いたときの方法に該当するものだ。

思考の種類と受動的・能動的な姿勢

思考の内容には、私たちの体験から見ると、大別して二種類ある。
A. 分離を信じるエゴ由来のもの(観念の再生に該当する)と、
B. インスピレーションや高次の自己・真の自己と呼ばれる私、またはヘルパー存在(ガイドや天使など)由来のもの

Bに気づくために誰もが行える簡単な方法は、Aの思考のボリュームを下げる、一時停止する、自分なりに適した方法で、それを再生しない静かな心の状態になることなどだ。
私もこれまでの記事講座上で、まずはそれらの方法をおすすめしてきた。

一方で、私自身はBに積極的にアクセスすることもする。エゴ由来の思考を静めてBを受け取ることを受動的方法と呼ぶとして、よりBへ自ら手を伸ばすような能動的方法もとってきたのだ。
そのひとつが、先に紹介した私の「集中して考える」ときの方法である。

どういうものか説明する前に、語っておきたいんだけど……かつての私は、自分自身のやり方の中で、万人が実践しやすいとは限らないこと、理解しづらい可能性があることは、伝える優先順位を低くしてきた。
何かを教える際には、誰もがやりやすい方法を用いた方が表層上の理解だけでなくその人自身で体験しながら身につけてもらうことができるだろう、と考えていたからだ。

けれども近頃になって、そんな姿勢もそろそろ終わりにしていいのかもしれないと感じるようになった。
もう今はスピリチュアリティーへの目覚め旋風が起きていて、たとえば本人は自分のことをその道の初心者と思っている場合でも、抵抗なく色々なことができたり、自身の内にある叡知を利用できたりするかもしれない。
今後ますますそういうケースは増えるだろう。

すると異次元感まるだし、宇宙人感まるだし、自分の世界では当たり前だけど言語化難しい……みたいな方法も、今ではしれっと当たり前にシェアするに十分なタイミングなのかもしれない。私自身が「これは伝わりづらいかな?」なんて思わなければ。

というわけで、今回の「思考の使い方」、いってみよう。

思考は体の内側にではなく外にある・空間に浮かべて眺める思考法と理解

まずこの方法では、「私」という感覚は空間いっぱい、世界全体に広がっているという「地(じ)」がある。
その中で、あなたが自分の「体」を起点にして、そこにポインタ的に意識を置くことはかまわない。

こうすると、思考があなたの「体の中」にあるのではなく、少し離れた宙を漂っているという感覚がつかめるだろう。宙といっても、体を基準にすれば「外部」に見える空間ですら、すべてあなたの中にあるのだが。

私を例にあげると、多くの場合は前頭部の前方のやや上部あたりの空間に、もしくはもっと広い範囲だと、頭の上部をぐるっと取り囲む空間上の帯のように思考のありかを捉えているときがある。前頭部より「第三の目」の斜め上と表現した方が伝わりやすいかな? いずれも、位置として見れば体からは少し距離がある。そのあたりに思考を浮かばせて「眺める」のだ。

マイノリティ・レポートという映画で、主人公のトム・クルーズが空間上に情報・映像を出している場面があるが、そんなイメージで把握してもらうといいかも。ただし、私はヴィジョンとして思考を見ることはあっても、常に映像化して見ているわけではない。
画像は出てないけど一応、映画の説明はこちら↓
マイノリティ・レポート - Wikipedia

一般に「考える」と言われるときの行為とこれとは、エネルギーの用い方がだいぶ異なる気がする。
一般に言われる考える行為とは、頭を働かせる、脳みそから絞り出す的な、頭脳の働きを強調している感じがよくあるように思えるが、私のこの方法の場合、考えてはいるのだが頭の中でキリキリと歯車を回しているような感覚はない。
一般に言う思考が「圧迫、制限」だとすると、逆に「拡大、展開する」感じなのだと表現できる。
(フォーカスを知りたいことに定め続けるという意味では、思考を飽和状態に持っていくくらいの膨張、集中の状態が先にあることもあるのだが。)

この、宙に浮かべた思考(情報)を眺めるようにして理解するという方法で、私は難題を突破する答えを得たことが度々ある。自分としては自然に行っていたことであり、方法としての解説は後付けなのだが。
では、思考を宙に浮かべるとは、より具体的にはどういうことなのか。何をしているのか。
以下のように順を追って説明しよう。

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