「現実」のチャンネル権はあなた・望むことと知ることの違い

あたかもたくさんの情報が豊かに手に入るかのような現代だけど、あなたの「チャンネル権」を意識的に駆使してる? あなたの「現実」のチャンネル権のことだよ。

あなたには、自分の望む現実をもたらす力がある。今もその力を使っているけれど、無意識的に用いているかもしれないし、意識的にそうしているつもりで見落しがあるかもしれない。
この記事では、チャンネルを選ぶように望む現実をもたらすこと、実践する際のポイント、そして、望むことと知ることの違いをお話しする。

内にある現実の下地、夢

まずは本題に続くプロローグ。常にから多彩な情報・体験を得ている私は、最近も変わらずに興味深い夢を見続けている。あまりに面白くインパクト大だと、家族に話すことがある。離れて暮らしている妹に、メッセージで送ることもある。妹もときどき自分の夢を報告してくれる。すると、驚くほどシンクロしている場合がある。
近頃はますますそんな現象が多くなり、その上、特定の内容が思いがけず「後日、現実の出来事」にまで繋がることが増えている。今のところそれは個人的な出来事以上に、集合的な規模の出来事の方で起こりがちだ。
ええっ、この間これについて話したよね! と、お互いに確認しつつ、二人は驚きを共有している。

でも、実はこのことに不思議はないんだ。
ひと口に「夢」と言っても細かく分類すれば多種類あるけれど、中には確実に、現実の青写真や、この自分の経験として「具現化する前の状態」に該当する内容があるのだから。

私が今朝見た夢のひとつは、それとは一味違う内容だったが、これはこれで面白かったので紹介してみよう。
……と思って書いているうち、やはり夢の内容の中にこの記事のテーマと関連している要素を発見したのだった。まさか繋がるとは。

引っ込み思案の、ネガティブ?プリンセスの夢

★追記……別記事で、この夢を例に挙げ、象徴についての解説をしている。
そちらも参照したい方は◆「I to I, see eye to eye, 象徴思考と世界を用いた対話」をどうぞ。

<ここから夢の描写>
私は妹と、大っきな建物の中で一緒に映画を見ていた。じゅうたんが敷いてある大スペースで、直接座ったり、ごろっと横になったり好きな場所、好きな姿勢で映画を見られるようになっている。様々な位置から見やすいようにスクリーンも何ヶ所かに設置されている。薄いベッドマットレスみたいな、マット持参で観覧している人もいた。
この建物をこちらの世界にあるものにたとえると、大規模なショッピングモールや文化的施設に似ているが、人々の気軽な様子からするとモールの方が近いかな。映画を上映している広場には壁などの囲いがなく、オープンスペースである。
私たちのいる位置から見上げると、二階席もある。二階は固定の座席式で、あ、二階席もあるよ、二階に行ってみる? と妹と話したけど、あちらからスクリーンの見えやすさはどうなのかなということと、座席が野外スタジアムにあるような固い素材なのが見えたので、座り心地が気になった。私たちは話題に出しただけで二階には行かなかった。

上映されていた映画の内容は、ディズニー風のプリンセスものだったのだが、それが一見「ネガティブ・プリンセス」とタイトルをつけたくなるようなストーリー。
主人公の女の子(後にプリンセスになるようだ)は、とても後ろ向きで自信がなく、社交性もなくて消極的。おどおどしていて、何かに形は参加していても、「いるだけ」という感じ。外見は、若い女性だったということや髪型など以外は私の記憶に残っていない。

そうではあるけれど、この映画の中の、王子か城の主みたいな男性の興味を持つ対象の中に残されていた。といっても、ストーリーのこの段階ではたくさんの人々が城に呼び寄せられ、集められて、何かのスクールのような形になっている。集められた対象は女性だけではない。老若男女たくさんの人が城の新メンバー候補として城に通っており、そうしながら何かを見出されている様子だった。

しかしこの主人公はずばぬけて「ただいるだけ」だった。
前述した通り、呼び寄せられた人たちは城に通って共に過ごし、スクールのような体験をしているのだが、この女性は毎日誰とも交流せずに帰宅する。
基本は参加者に口出しをしないことになっている城のスタッフが見かねて、その日もひとりでひっそり帰宅しようとする女性に、「あちらの男性に声をかけてみてはいかがですか(初老の紳士を指す)、あの方はご趣味があなたと一緒ですよ」と、友達づくりの助け舟を出していた。

……けれども、女性は曖昧な表情でそちらをちらりと見やると、声をかけに行くことはせず、気弱そうにカバンを抱えて、そそくさといつも通り帰ったのだった。

ここまでのシーンを、映画で見ていたのを覚えている。
彼女がプリンセスになることは確実なのだが、この後のストーリーはどんなものなのか。続きを見てみたい気がする。
<夢の描写、ここまで>

……このストーリーを「私の見た夢」ということで自分自身に関連付けるとすると、少なくとも人付き合いにおいては私の場合は、この主人公のような引っ込み思案な性格ではないので、そこのところは心に響いてこない。
でも、人付き合い、社交性という分野以外も含めた「てこでも動かない消極性」というテーマには、けっこう興味をそそられる。逆に、それって能動的なのではという気がしてくるからだ。
もちろん、恐れから「動けない」「変われない」というケースもあると思うけれど、実はそうではなく「本当にそうしたいと思わないから動かない」という表れだとしたら、周囲に同調せずに「自分が自分であることを選ぶ」という能動性の持ち主になるよね。
もし、その人が自分を過小評価しすぎるきらいがあったら、本人がそれを「動けないんだ」と、否定的に捉える可能性だってあるわけだけども。
肯定的に捉えたら、本心に従って「動かない」意思なんじゃないのかなっていう。

うん、ここから、現実のチャンネル権の話に続くのだ。
(そして記事の最後にも、この夢に関連したある要素を引用する。)

あなたの現実のチャンネル権と、チャンネル数のトリック

あなたはあなたの現実の創造者で、ちょうどチャンネルを選ぶように自分の現実を自分で選ぶことができるのだが、これ自体はすでに認識できてる人も多くいると思う。
けれども、その選択をするときに、見えてるもの、すでにあるものから選ばなきゃ! と思い込んでないだろうか。

近頃の記事の流れでは、
前々回◆「異次元的思考法・癒着なしに思考を活用する方法」
前回◆「この世に興味が薄れたら・魂はチャレンジが好き」
ともに、これに関連する話とその打開の仕方を扱っている。

あなたが自分の外側に見えるものを追って、その中からのみ選択をしていたら、自分を制限する枠から出ていない。
たとえ無数のチャンネルがあっても、あなたが「ここには十個のチャンネルがあって、それで全部だ」と思い込んでいたら、十個のチャンネルの中から自分の現実を選ぶということだ。
あなたの好むものがその中で見つけられるうちはいいが、好みのものがそこに存在しないと気づいたら、どうするのだろうか。

自分がすべてのチャンネルを見渡しているつもりでいたら、それ以外に選択肢はないという理由で外(見ている世界)に合わせて自分自身を変えるか、あるいは見ている世界の方を変えようとすることになる。そして、そうすることに多大な労力を費やすが、真の満足は得られないだろう。

見る場所はそこではない。自分に正直になり、やり方を変えるときだ。
外に見えるものに自分を合わせるのではなく、自分に外を合わせさせようとコントロールするのでもない、別の方法がある。

あなたの望む現実をもたらす3つのポイントと解説

ここからは、あなたが望み、自然な状態でフィットする現実をもたらす3つのポイントと、各ポイントの理解を深めるための詳しい解説をする。

これらを漫然と実践するよりも、なぜそうしているかを理解して実践する方がたやすく、パワーを伴うことはもちろんだ。では、1つめから。

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