S1on

フリーランスで脚本やフォトコラージュ(プロフィール画像など)を製作しています。    …

S1on

フリーランスで脚本やフォトコラージュ(プロフィール画像など)を製作しています。                          現在→短編ドラマ脚本担当(映画祭出展準備中) 冬始動、劇映画脚本担当                          日々思う「こと」を綴ります

最近の記事

なんなんだ

暑い日に熱い料理を食べ汗をかくように 寒い日にアイスを食べるように こんな寒い時期には意外と、怖い話なんぞ合う気がするんだよな。 僕は沖縄出身だ。言わずと知れた常夏の島。この前なんかこっちは12度以下なのにあっちは27度だったそうな。はぁ、この差って何? おんなじ国? そんな年がら年中暑い島で起きた話。起きたというか起こったというか。 僕の祖母の家は、中道に入った場所にある。 大通りにから一本入ると100mほどの道。車が一台通るほどの幅の道。 そこで話は起こった

    • あぁもう

      久しぶりの投稿 まぁ何をいうわけでもないし、何が起こったわけでもない ただただ時間が過ぎて、そして嫌でも朝が来る。 来るなと再三言っているに。 冬は寒いので余計に朝が嫌になる。 布団の中は誘惑でいっぱいだ いっそのことこのまま一生寝てやろうかな そんなことまで考えてしまうことも多々ある。 僕が世界を統治する大王様で、全世界に命令を下す。 「寒くて辛い日は外に出なくてもよい」 僕は世界中から大注目され歓声を浴びノーベル平和賞を受賞し そんなこんなで仕事に行

      • なんかくるときは

        「なんくるないさー」 この言葉を聞くたび、不安が吹き飛んで、それと同時に笑えてくる。 今となっては聞いたことのある人も増えたと思うが この「なんくるないさー」という言葉は、 沖縄の方言で「なんとかなるよ」という意味である。 いかにも暖かい気候に住む沖縄人の発言だ。 これという根拠があるわけではない。 でも「なんくるないさー」と言われれば、本当になんとかなる気がする。 僕らはこの言葉でどれくらいの事を乗り越えてきただろう。 ちょっとしたミスも、後先が暗闇で不安でも なんで

        • サラダを食べられるようになって思う事

          僕らはみんな大人になれているのだろうか。 教室、窓の外の走る車や歩く背広を見て僕は大人になってみたいと思っていた。 それと同時に、大人になった時の暗闇が怖くて、このままでもいい。そうも思った。 太陽の上り始めから夕方まで同じ場所にいた僕らの12年間が昨日のように感じるのに あの遊園地のメリーゴーランドのように回り続けどこにいるかも分からなくなっていったこの数年間はいつになっても昨日のことが思い出せない。 一体全体どうしたんだ。 校庭で告白をしたあいつ。 その流れに乗られ

        なんなんだ

          ジェットコースターは得意なんだが

          子供の頃から、人間は「遊具」という形で人生の上がり下がりを体験させられる。 ありゃ、一種の刷り込み効果だわな。 シーソー、滑り台、ブランコ(最大値と最小値があるからよしとしよう)など 公園はいわば、これから君たちは笑えない程の恐ろしい体験をしていくんだ。 と、政府が提供した訓練施設なようなものだ。 そうして公園で遊んでいく内に子供は無意識ながら、徐々に上がり下がりを意識し慣れていく。 最初の壁が小学校だ。 足が速い、あれだけで小学校の女の子たちはいちころだ。 羨ましかったな

          ジェットコースターは得意なんだが

          カールは軽いし、くりんとなってるから好きだが

          お菓子って歯に詰まるわな。 詰まった話なのにつまらない導入を許してほしい なんやこの落語みたいな入り方は。 されど日本国民の大多数は大きく頷くだろう。 お菓子って本当に歯に詰まる。 数ある経験人数の記憶をたどり 一番僕にまとわりついたのは、カールだわな。 あの娘は凄かったなぁ ふくよかなボディ。その見た目に反して軽いときた。 そして、キュートなウェーブ。 僕は彼女をつまむとゆっくり口元へ運ぶ。 そして、彼女を堪能する……まではいいが いやはや。なんちゅう粘り気やねん。 歯

          カールは軽いし、くりんとなってるから好きだが

          叫びたい頭と叫べない心 1

          僕は子供の頃から、唐突に体の一部や空間が異様に大きくなったり小さくなったりすることが多々あった。 『そいつ』はいつ起こるか分からない。寝ている時や遊んでいる時、何かものを持っている時。それは突然僕に襲いかかってくる。 「あ、来たな」 と、思ったら最後。自分の意思では全くどうすることも出来ない。あとは、もう『そいつ』が立ち去ってくれるのを待つしかない。 幼い頃に、初めて起こった時は何が何だか分からなかった。 目が覚めると目の前に天井があることもあった。それはまた違う

          叫びたい頭と叫べない心 1

          いえないしいらないし

          献血後、広間でゆっくりしていたら ふとある映画の劇中歌を思い出した。 「魔法はいらない 魔法はいらない……」 これは『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』という映画で歌われた歌だ。 志乃ちゃんが歌ったわけではない。志乃ちゃんの唯一の親友…?(本編を観て欲しいので言わない) が志乃ちゃんへ向けた歌だ。 魔法はいらない。 本編を観た後ならこれが何の魔法かはすぐ分かるが、何故要らないのだろう。 魔法なのに、何でも叶えられる魔法なのに なぜ要らないのだろう。 ここから内容に触れるので

          いえないしいらないし

          SodE

          冬服を眺める。 当たり前なのだが、全て袖が長い(袖がないダウンジャケットのやつもあるがそれは置いておいて)。 物心つく前から言わせてもらえばかれこれ20と数年、袖長いなぁと思っているのに 今年も思ってしまった。 「袖、長いなぁ」 いや、言わんでもええやん。 なにをそんな腰を据えて言ってんのよ。 そりゃ長いわ、冬服やもの。 考えると、冬服っていうのは、冬に着るから冬服なのか? いや、そういわれると僕は暑がりなので年がら年中Tシャツは必須だ。 そうなると、Tシャツは四季服になるな

          地球の引力は海をあそこまでさせるのに、 僕はどうだ。あの子さえ惹かせられない。

          地球の引力は海をあそこまでさせるのに、 僕はどうだ。あの子さえ惹かせられない。

          あめ

          目が覚める。 無数の線が地面に落ちる音がする。 生活をしている途中で降る雨はあまり好きではない。 目が覚めたその瞬間から、雨が降っている。そこがいい。 雨が僕を待ち構えている。 さぁ、どうしようか。家に引きこもることもよし。思い切って外に出て濡れてやろうか。考えるだけで高揚だ。 屋内と屋外での雨は姿を変える。 聞こえる音、匂い、雰囲気、色。全てが様変わりする。 雨は僕を待っているのだろうか。 僕は雨を待っている。 雨に唄う人もいれば、雨を詠う人もいる。

          それだけ

          磁石が地面に落ちる。落ちるはずがないのに。 枯葉が舞う。舞うわけないのに。 ドアが僕を襲う。襲うはずがないのに。 言葉が僕を表してくる。知ってるはずがないのに。 何でもない方がいいと彼は言う。なんでもない事が怖くて堪らないのに。 なんでもない事を望む君がいる。なんでもないのは君の方なのに。 素晴らしいはずのあの旋律が、上へ下へ右へ左へ並んで流れて壊れて音がない。 音の出ないスピーカー。画の出ないモニター。 微笑む犬。吠える猫。 僕はスポンジだと思っていた。吸ってはいて吸って吐

          それだけ

          買われる本借りられる本

          まああれだ、なんだろう。 図書館の本だけを借りて読んで。それで満足して本を読んだ気になっている輩が僕は嫌いだ。 図書館という施設に対して苦情を申し立てるつもりはない。寧ろ肯定する。 ただ、買わないで借りるだけという輩に腹が立つのだ。 本棚を置くのが嫌だ? スペースを取るから嫌だ? 金がかかるから嫌だ? 何だそれはと鼻で笑ってしまう。 そりゃそうだ。本を買って読むって事は、本棚を置く事になる。スペースを取る事になる。金を出す事になる。 そもそもそれが本を読むって事じゃないのか。

          買われる本借りられる本

          季節

          夏の終わりの風が吹き音が鳴り、匂いが運ばれたのも束の間 近所の花屋の前には南瓜と骸骨がコンテンポラリーを踊り出したのも束の間 初夏を感じさせるような風が僕を後ろから吹いてくる。 まるでまだまだ季節を渡さないぞとばかりの最終コーナーで巻き返すような追い上げ あぁ、夏はいつまでも夏なんだ そこで僕は思う。 季節が僕を惑わす。 暑さが僕を狂わす。 虚無という名の風が吹く。 電車での大移動 賢者の席譲り 改札の群像 空を見上げる働き蟻 あぁ、まだ夏なんだな

          気にしない気にしない

          無理はしない 無理なもんは無理。 毎日投稿なんて面倒くさがりの自分には性に合ってない。 やらないやらない。 テキトーにいける時に書く。 それでええ。

          気にしない気にしない

          始まりの終わりの始まり

          「ビッグバンセオリー」という2007年に開始した海外ドラマの最終話を先ほど観終わった。 個性あふれる幸せな登場人物たちがいつもの場所で語らい食事をし、カメラは徐々に引いていく。 そしてエンドクレジット。 痛かった。 張り詰めるような胸の痛みが僕を襲う。 大学生活の中で偶然に見つけたこのドラマは、僕の青春そのものだった。大袈裟じゃない、本当にそのものだった。 「終わったんだ…」うまく言葉が出ない。 12シーズンまであるこのドラマ。シーズン11まではそのシーズンの最

          始まりの終わりの始まり