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Ⅱ章 彼女の場合④

「アンタ、またサボり?」
 体育館の壇上で寝転がっている彼を見て、私は怪訝な顔で声を掛けた。

「いーや。もう走ってきた。あいつ等が遅いんだよ。だからこうして寝ながら待ってんの」
 心此処にあらず、と言った感じで、彼は青年誌のグラビア特集を眺めている。

「アンタさぁ……。彼女いんのにそれはダメじゃない?」
「それはそれ。これはこれ。俺のポジションだとリラックスが大事なんだよ。なんせシューターだから」
 しゅーっと指先で軌道を描きながらゴールへと走らせた。

 弧を描いた球は、ゴール直前で遮られた。

「あと一周走足りない。いい加減……メニューを忘れるなよ」
 呆れた口調で話したのは、部長の美浜晴仁(ハル)だった。
彼は、試合で司令塔 ポイントガード(PG)を担っていた。
全体を観察して堅実な手段を選択する性格は、派手さはないが仲間たちに精神的な安定感を生む。それは試合だけでなく、部においても同じだった。

「そうだっけ?まぁ……いいじゃねぇか。こんだけデカい校舎の外周1周くらい間違えたって。大差ねぇだろ」

「気の緩みだぞ、それ」と、横から語気を荒げて口を出したのは、190㎝を超える巨体でチームを支えるセンター(C )の才田隆。
日頃積み上げた技術と自信、それこそが熾烈なゴール下の競り合いに勝てると信じる実直を絵に描いたような男だった。

「はぁ……。そんなだから予選で負けたんだ。学べよ、ド低能」
 隆の横で辛辣な言葉を並べるのは、仲村慧。隆と同じくゴール下を競るパワーフォワード(PW)だが、彼は同じポジションの選手たちに比べて背が高くなかった。その欠点をコート上の駆け引きとテクニックで補う努力のプレイヤーだった。

「それは……流石に言い過ぎじゃない?慧君」
 そういって隆の後ろからフォローを入れたのが悠木純だった。
スモールフォワード(SF)だった彼は、試合の内外問わず間に入る緩衝材だった。

「そうだよなぁ……純。俺もそう思うよ。全くもって酷い話だよな……」

  このチームのエースなのに、と言って気怠そうに起き上がる。
―――—赤崎亮二。シューティングガード(SG)。得意の3ポイントシュートで得点を荒稼ぎする、文字通りチームのエースだった。

 そして、私の初恋の想い人(ひと)でもある。

「いや、それはそれで違うと思う」
「おいおい、純まで俺を見捨てるのかよ……」
「いや、そういうことじゃないけど……」

 ふたりのやり取りを見ていた隆と慧は、「阿保らしい」と言ってコートに入っていった。ハルは脇で後輩たちに基礎練習のメニューを伝え、どこを意識して取り組んで欲しいかを教えていた。

 亮二は、ひと通り純で遊んでから私に手を差し出す。
促されるままに私は、隆や慧とは反対側のハーフコートに立った彼の横に大量にボールが入ったカゴを持っていく。

「あのさぁ……これ私の仕事じゃないんだけど」
「まぁそういうなよ。頼りにしてるってことで良いだろ?」

 純、手伝ってくれ、と言って彼は、純が様々な場所へ出すボールをラインギリギリで受け取る。そしてゴールへ次々と放っていった。
 言動とは裏腹に、そのシュートフォームは実に模範的な動作だった。
ボールを持つときにしっかりと踏み込み、深く腰を落として脚を溜め、そして飛翔する。その挙動の最後に見せる指先は、鳥の羽ばたきを連想させる。ワンテンポ遅れて響くネットを抜ける音は、さながら飛び去った後の乱れた水面とでも言えばわかりやすいだろうか。


 校舎の表門には、未だに「祝 由比ヶ浜高校 バスケットボール部 県大会ベスト4」の横断幕が掲げられている。進学校だったため、県大会という言葉が珍しかったのは間違いない。かつて、十数年前に一度だけ全国大会へ出たそうだが、以降は精々予選の二回戦止まりだった。
そのため地区大会の予選とはいえ、健闘したことは軽いお祭りになった。

「次、3年対2年のレギュラーで試合だ。2年、本気で来てくれ」
ハルは言って、3年を集める。3年は、6人。彼らと私しかいなかった。

 2年が円陣を組んで気合を入れている間、こちら側は淡々としていた。
横一列に飲料水とタオルを置き、ゆっくりと屈伸をする者もいれば、茶化し合ってる者たちもいる。

 皆、集まってくれ、とハルが声を掛けると空気が変わった。

「インハイ予選はダメだった。だけど無駄じゃなかった。だからこうしてチームは続いてる。まだ物語は終わらせない。そうだろ?」

 向き合ったそれぞれが頷く中、張り詰めた空気をひとりの男が割った。

「安心しろよ。次は中途半端なところで終わらせねぇ。とにかく俺にボールを回せ。そうすりゃ決めてやる」

「うん。終わらせない。そのためにまずは目の前の後輩を、だね」と言って純が応えた。


 試合の結果は、言うまでもなく3年組の圧勝だった。県大会後に顧問が手配してくれた相手は、強いとは言い難いチームばかりで――おそらく我々が弱小校でコネクションがなかったことが理由だろう―—物足りなさを感じることが多かった。

 それであれば……と、下級生の育成も兼ねて学年対抗、もしくは学年混合で試合をすることがメインになった。下級生にとってもいい経験になる。
またチームが分かれることで、より3年陣は互いの強みと弱みを把握して、密に連携を取れるようになった。

 ハルが部長になってからチームは、より連携の取れた集団戦を意識するようになった。チームの戦術をハルと慧が作り、ハルがその日の状態――自分たちのコンディション、相手、試合の流れ―—を見ながら組み立てていく。
亮二というエースを持ちながら、それに慢心しないチーム。
それが私たちの求めた理想の形だった。

  最初、亮二はそれを良く思わなかった。
自分がエースであるという自負。そして欲望があったから。
事あるごとに作戦を逸脱してチームを混乱に招き、控室で慧と隆が怒鳴りつけることも少なくなかった。

 チームに転機が訪れたのは間違いなく地区予選の敗退だった。
亮二が徹底的にマークされ、シュートが入らなくなった。
ハルは即座に他のメンバーで攻めを組み立て応戦したが、第3クォーターで戦力外となったエースの代わりに2年を投入した。この経験の少ない2年がウィークポイントになった。穴を補うようにして4人は善戦したが最後は11点差で敗れたのだ。

 控室の重い空気の中で口を開いたのは、顧問の嶋先生だった。
亮二の方を見るや、「負けるべくして負けましたね。」と言い放った。

 「今回、負けた理由のひとつは君の慢心です。これは団体競技。君が怠けてしまえば、その分だけ周りに負担が掛かります。わかりますね。自分でエースというのなら、まず一対一で負けない。何が求められているかを自覚して人一倍練習しなさい」

 温厚で指導も丁寧な嶋が感情を抑えながら諭すように言った言葉が、舞い上がっていた彼の心を変えた。


 翌日から彼は、チームにとって必要な自分に足りないスキルを磨く練習を積極的にするようになった。
とはいえ、未だに全部が全部更生したわけではないが……。

 亮二の意識の変化はチームの戦術に磨きをかけた。序盤で亮二をメインに外から攻め、次のクォーターでは隆をメインに中から仕掛けつつ、亮二に振る。そうして相手に外と中の攻めの選手を意識させて、ハル、純、慧が次第に攻撃へ加わり、複雑さを増していく。

―――—エースを持ちながら、慢心しないチームのカタチ。
その理想形が最後の舞台へ向けてようやく出来上がっていた。




―――—ウィンターカップ。


 インターハイと同じ全国大会。高校バスケの集大成といえる冬の祭典。
彼らは、その舞台に上がれるチャンスを貰った。出場条件は各県によって違う。幸い、神奈川県は県大会ベスト8までが県予選に出場できる。

 全国大会出場。夢にまで見た大舞台。
一年にして「白仙の虎」を退治した天才を擁する2連覇中の朱ノ鳥高校。
一対一に持ち込む激しい守りが特徴。昨年準優勝の北の雄、玄侑館。
虎が去って以降、ベスト4が続く白い牙。関西の名門、白仙学院。
成績は、昨年のウィンターカップのものであるが、先日のインターハイもほぼ同様だった。その他も紛れもない全国の名門、強豪達が名を連ねる。

そんなバスケ雑誌の紙面に載るような名門校と戦うことに彼らが期待を膨らませていることは、日を追うごとに伝わってきた。


―――—そのためには倒さねばならない相手がいる。


 神奈川の古豪 青応大附属。長らく神奈川一強を築いてきた実力は本物で、先日のインターハイではベスト8。攻守ともに隙がなく、相手に合わせて戦う柔軟性――総合力の高さ―—は全国屈指の強豪校に相応しい。
その青応のエース 水澤優斗は、全国レベルのPGで慧の幼馴染でもある。


青応はシード校のため、必ず決勝で当たることになる。
どうあっても神奈川の絶対王者と向き合わねばならない。


勝てるのだろうか、という不安。
勝たねば、という願望。
日増しに強くなるふたつの感情が部内の緊張感を上げていた。


その日、2回目の学年対抗試合が終わる頃には陽が落ちていた。
最近は、ずっとこの調子だ。閉門ギリギリ、試合当日まで実践感覚を研ぎ澄ます。明後日が予選第一試合のため、明日は休み。それもあって力が入っていたように感じた。

試合が終わると部員たちは、いつものようにミーティングを行い、体育館を掃除する。私は部員のボトルをひとつひとつ洗浄して、外で乾かしていた。

 振り返ると体育館の入り口に人影が見えた。
スラっとした体形。館内のライトに照らされた白い肌と黒いロングの髪は、遠くから見ても艶があるのが分かる。

―—――夏希か、と思った。

彼女は、部活が終わる頃にいつも入口の前に立って待っていた。

「お疲れ、夏希。部活もうすぐ終わるよ」
「舞衣、お疲れ様。よかった。生徒会遅くなったから間に合わなかったかと思った」

「引退試合前だから。本人たちは時間ギリギリまでやるってさ。気合入ってんのよ、あいつら」
「そっか……。最後の大会だもんね。私も明後日は応援に行くね」

 夏希と他愛のない会話をする。いつものことだ。
彼女は容姿に恵まれていた。成績も良く、生徒会にも入っていた。
だが、何よりも彼女が周りを惹きつけたのは、誠実さだった。

彼女と話していると、亮二が「お待たせ」と言いながら嬉しそうな顔を夏希へ向けて入ってきた。

「夏希、帰ろうぜ。麻生、あとよろしく」
「はいはい。アンタちゃんと夏希送りなさいよ」
「お前に言われなくても送りますよ、と。紳士だから」
「突っ込むのも面倒だからさっさと帰れ」


 校門に向かって遠くなっていくふたりを目で送る。睦まじく隣り合う背がくっついては離れを繰り返して、校門を曲がって消えていく。


 私は、夏希の誠実さが嫌いだった。澱みなど感じさせない無垢な色。
彼女と話す度、自分には無い魅力――亮二が惹かれた部分――を感じさせられたから。それがどうしようもない事だと解っていた。彼女に当たることでもなければ、自分が悪いわけではないことも理解していた。

 ただ納得できなかった。自分の中でそうなのだと――――。
簡単に受け止めるには、この月日は長過ぎた。
この行き場のない焦燥は、いつ終わりが来るのだろうか……。

 今日も彼の目線に、私は入っていなかった。
朝練の時。校内ですれ違う時。部活の時。そして帰りでさえも。
彼の目線は、いつもこちらではない誰か/何かに向いていた。


「アンタとお前」の関係が始まったのは、いつからだろう。
彼を支える部の一員から雑用係になったのは、いつからだろう。
彼の物語のモブキャラになったのは、いつからだろう。
彼の中で私が私でなくなったのは、いつからだろう。


部活という共通点――物語――が終われば、少しは変わるのだろうか……。



あの頃の私は、ともに歩んだ皆が望む物語。
――――その続きを、ただ一人だけ早く終わることを願っていた。



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