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他人の人生に関わるということ

自分と自分以外

 タイトルにあります通り、他人の人生に関わること自体がとにかく難しい。特に、顕著なのが家族間と恋人間だろうと私は思います。家族とは、父・母によって生命を宿した「私(自分)」が誕生します。私には私自身の考えていること、やりたいこと、苦手に思っていることなど多くの事柄を認識できますが、自分以外のそれらを認識することはできません。「いや、親や自分の子供の考えていることなら想像できるよ!」と言う方もいらっしゃるでしょうが、それが100%想像できているかというとそうではなく、いくつかは想像できても、もういくつかは想像できない部分があるものです。

 家族は血が繋がっている場合がほとんどですから、多少は分かることもあるかもしれません。では、恋人間や夫婦間はどうなのでしょうか。これは全くの「他人」ですから、何も推し量ることができません。お互い通じ合ってお付き合いしているはずだから相互理解しているという認識はあまりにも傲慢、身勝手という他ありません。

日々「どうして」「なぜ」の連続です。

他人の気持ちを完全に理解することはできない

 前述しましたが、家族間であれ、恋人・夫婦間であれ、「私(自分)」以外の「他人」の気持ちを完全に理解することはできません。
 
 「分かってあげたい」「一緒に悩みたい」と思いがちですが、よく相談する間柄でも全てを打ち明けているとは限りません。私が疑心暗鬼なのかもしれませんが、とにかくこの問題は難しい。それだけは言えます。
 
 「〇〇はこう思っているかもしれない」というのは、単に勝手な想像を膨らませているだけで、仮に本当に相手がそう思っていても完璧な解決策にはなりえません。
 
 他人の気持ちを理解することはできないが、勝手に想像することは問題ない行為なのでしょうか。
 
 また、他人の気持ちの断片にかろうじて違和感を持った時、それは本人に伝えるべきなのでしょうか。

とにかく恋愛は難しい

 前述しましたが、家族間ですら難しい意思疎通を、恋人間で行うことは極めて難しいです。私事ですが、2年目を迎える彼女が居ても、いまだに彼女の考えていることは読めません。最近の彼女の違和感についてうすうす感づいていたものの、「自分の勝手な想像かもしれない」「不安にさせるかもしれない」と自身が感じた違和感を敬遠していました。
 
 結局、その違和感が現在私が投稿している今と結びついてしまったのです。彼女は、最近「分からない」らしい。彼女の何が分からないのか1から100まで聞いたとしても、恐らく私は100%理解することはできないと思います。それでも理解する努力をしたいとは思っていますが、それをするべきなのかとにかく分からない。
 
 他人同士である私たちが、理解しえないことを分かっていながら分かる努力をするべきなのか、具体的にどうするべきなのか、とにかくつかむことができない。どこまで踏み込むべきなのか。とにかく、恋愛は難しい。 

私から見た恋愛観

 私にとって、恋愛は「どこを妥協するのか、どこを譲らないのか」だと思っています。相手を100%理解することはできないし、相手に私という人間を100%理解してほしいとも思いません。だからこそ、恋愛は「妥協」だと思っています。言い方が悪いかもしれませんが、100%自分本位に進まない以上、どこか折れないといけません。

 例えば、「私は都会の喧騒から離れたいが、相手は都会で過ごしたい」「私は何か動植物を飼って癒しとしたいが、相手は動植物を飼う気はさらさらない」「私は子供を作りたくないが、相手は子供を作りたい」など、いくら気の合う関係だとしても、合わないものはとことん合いません。
 
 だからこそ、恋愛は「妥協」だと思っています。どこを妥協して、どこを譲らないのか。
 
 こういう考え方はマイノリティでしょうか。
 
 だから、続くものが続かないのかもしれません。(この恋愛がどうなるかは誰に聞いてもわかるものではありませんが笑)

「これはー…。まぁいっか…。」

家族間の上辺だけの共依存

 私の父親は、いわゆる亭主関白に近い思想を持っています。親にとって子が自分の一部という認識を変えたいと思っているようですが、全くその意が私には感じられません。
 
 しかし、私自身も、生まれてきたくもなかったのに生きて、「はい、成人したから自立してね」「大学卒業したんだから自分の生活は自分で賄ってね」という現状に理解できず親に甘えています。(私はこの考えからもう3年ほど抜け出せないし、甘えだとも思えない)
 
 他人の気持ちわからないからこその、上辺だけの共依存。家族以外の誰かが見たら気持ち悪いと感じる可能性さえある、そんな機能不全家族のような実態を持っているのが、私の家族です。
 
 それが、共依存だと子供本人が言うのですから、恐ろしい。

自分の人生なんだから

 「自分の人生なんだから~。」というのは他人に関わらない前提で発揮することのできる万能な呪文です。「自分の人生なんだから好きなように生きなさい」といった自分本位の考えを貫き通せるのは、自分の人生に他人を関わらせていないからだと思うのです。家族と親密な関係を保ったり、新たに恋人を作ったりすると、「自分の人生なんだから~。」という呪文の効力が薄まります。自分の人生に他人を巻き込んだのから、重い「責任」が付属してきて、それを愛し、平等に扱わないといけないときます。
 
 あぁ、自分の人生なんだから、はとにかく通じない。

結論

 ここまで聞いて、私は他人の人生に足を踏み入れてもよいのでしょうか。その意見をここまで読んでくださった方に聞いてみたいと思います。
 
 他人の人生を軽視している、と私の考え方に反するコメントでも構いません。
 
 私は、自分の人生ですら重くて担ぐことができないのに、他人の人生なんて担ぐ余裕がないのかもしれません。
 
 生きるって難しい。
 
 毎日頑張っているみなさんを、とにかく尊敬します。


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