モネ『リアル地獄変』/狂気の天才絵師
地獄絵図を描くために、火刑で炎にあぶられ悶絶しながら焼け焦げていく愛娘の姿を目に焼きつけて、見事な地獄変の屏風絵を完成させた天才絵師、良秀。芥川龍之介の傑作『地獄変』のクライマックスである狂気的なシーンを読むたびに、私はクロード・モネを思い浮かべてしまいます。
光の画家
クロード・モネは間違いなく日本でもっとも人気のある画家のひとりと言っていいでしょう。モネならではの光をとらえた大胆なタッチ、それでいて繊細な色彩の美しさが、多くの人の心をひきつけて止まないのだと思います。
モネは同じモチーフを別の時間や視点でなんども描きました。有名な「睡蓮」や「積みわら」などの連作を数多く創作したことで知られていますよね。
光によって変化する色彩への飽くなき探究心がみてとれます。
モネの人物画
モネといえば、風景画のイメージが強いのではないでしょうか。
しかし最初の妻であり死別したカミーユが存命のころには彼女をモデルにたくさんの人物画を残しています。もっとも有名な作品は『散歩、日傘をさす女性』でしょう。
こちらもカミーユをモデルにした有名な作品。
妻の死別とアリスとの関係
実はモネのパトロンであったオシュデの妻アリスとモネは不倫関係にあったといわれています。のちにオシュデは事業の失敗で破産し、妻子を残して単身失踪してしまいました。その後、アリスは6人の子供を引き連れて貧しいモネ一家のもとに身をよせます。
ここからモネ一家と不倫相手、その子供たちの奇妙な共同生活が始まりました。二人目の子供を産んでからほぼ寝たきりとなっていたカミーユをアリスは献身的に看病し、また子供の世話もよくみていたようで、決して悪女というわけではなかったようです。
結局カミーユは32歳の若さで亡くなり、その後正式にモネはアリスと結婚します。ただしモネは、アリスをモデルにした絵を一度も描くことはありませんでした。
そしてカミーユが亡くなってから8年後にこのような人物画を描きます。
モデルはアリスの三女シュザンヌですが顔が判然としておらず、モデルに亡き元妻カミーユを重ね、想い描いたのではと言われています。『戸外の人物習作』について「私は風景画を描くように人物を描く」とモネ自身も語っており、『散歩、日傘を差す女性』に比べると人物に明瞭さがなく没個性的です。
特に『戸外の人物習作(右向き)』を見てほしいのですが、『散歩、日傘を差す女性』や『戸外の人物習作(左向き)』には人物の影があるのに対して『戸外の人物習作(右向き)』には人物の影すらありません。そういう意味では風景と人物が同化して生気がなく、よもや幻のようにさえ見えます。
『散歩、日傘を差す女性』とほぼ同じ構図であることからも、亡き元妻を想いながら描いたという解釈は信ぴょう性が高いかと思われます。
もしかすると、この作品を描くことでモネはカミーユにたいする愛情や罪悪感など、様々な想いに一つの区切りをつけたかったのかもしれません。『戸外の人物習作』以降、モネは人物画をほとんど描かなくなります。
こういった一連の流れを考えるとモネのカミーユへの想いがどれだけ深かったのか、と感傷的な気分になってしまう方も多いのではないでしょうか。
妻の死に際を描いたモネの真意
モネはカミーユの死にゆく姿までキャンバスに描いています。愛する人の最期の姿を絵画として残したい、そんな想いからモネは描いたのかと思ってしまいがちですが……。
しかし実際は、時とともに死がもたらす色彩の変化に、モネは強く惹きつけられたというのです。このときのことをモネはこう語っています。「愛着を感じていた者の特徴をとらえたいという気持ちよりも先に、色彩の衝撃によって手が勝手に動き出していたという具合だった」……!
こうしたモネの芸術作品に対する狂気的な姿勢は、まさに芥川の『地獄変』で愛する娘の死にゆく姿を凝視する主人公良秀そのものです。
『地獄変』の良秀は地獄絵図の屏風絵を完成させたあと自殺するのですが、モネはさらに自身の絵画を突き詰めていきます。カミーユの死にぎわの変化を分析した色彩の手法を、その後の作品に活かしていったのです。
最後に
モネは創作の後期、250枚もの『睡蓮』の絵画を描いたことで知られています。季節によって千差万別の姿をみせる睡蓮は光を追究したモネにとって非常に魅力的なモチーフだったに違いありません。だからこそモネはこれほど多くの睡蓮の作品を描き続けたのでしょう。
ところで睡蓮は蓮華の一種で、仏教では蓮華は亡くなった人に対して「無事に浄土へ着いてほしい」といった遺族の思いが込められているそうです。果たしてモネはこのことを知っていたのでしょうか……。
最後まで読んでいただきまして、本当にありがとうございました!