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あの日の記憶喪失

「今日って何日?」「もうロードレース大会終わったの?」
「なんかココ、アタマ痛いんだけど。なにこれ?」
同じことを何度も繰り返して家族に聞く、私。

高校3年の秋だった。
その日は秋晴れでロードレース大会(マラソン大会)にはうってつけの日だった。
高校行事のひとつ、ロードレース大会。女子は6キロ、男子は10キロを走る。私の高校は田んぼの中にポツンとあるような高校で、女子6キロコースは農道もコースの中に含まれる。
普段から走り慣れているわけでもないからロードレース大会はきつい。でも嫌いではなかった。
走り終えて、スポドリをもらった。・・・多分。
この年のロードレース大会の記憶は、それだけ。

午前中の大会の時の秋晴れとは変わって、なんだか空はどんよりとしていた。もしかしたら雨が降るかもしれない。
大会の後片付けで残っていたのか、なんなのか。大会を終えた午後はいつもより早くの下校となっていて、すでに生徒の大半は帰った後だった。
友達と二人で昇降口、雨の心配をする。
「ねぇ、雨降りそうだよ。どうしよう?濡れるのやだな。」
「ここにある傘、ちょっと借りていっちゃえば?明日、返せばいいよ。」
ほとんど生徒が帰ってしまった校内ではもちろん傘立てもガラガラだった。持ち主に忘れられてずっとここに置いてけぼりになっていただろうオーラの傘をお互い1本ずつ、拝借した。・・・多分。
自転車通学の私たちは彼女の方が学校から近い。じゃあね、また明日!といって友達と別れた。そこから家まで自転車で20分強。さっき学校で拝借した傘はハンドルの部分にかけてある。

「ちょっとあなた、大丈夫?」
通りかかったおばさんが声をかけてくれた。
はい、大丈夫です。私は恥ずかしさが先に立ってその叔母さんの顔もろくに見ることなくそそくさと、倒れてしまった自転車を起こしておもむろに自転車に乗りなおした。
車道から歩道に上がった時、ハンドルにかけていた傘が自転車の前輪部分に挟まり、否応なしに私は自転車ごと倒れたと思う。・・・多分。
おそらく転んだ場所はそこから自宅まで約2キロ。帰るまでに一度横断歩道を渡らなければならない。
どうやって帰ったか。その記憶は全くなかった。

自宅に着いてから母に「ねえ、なんかスカートが破けてるんだけど。」と言い、「この傘折れてるけどどうしたの?誰かの借りてきたの??」と聞く母に「うーーん・・わかんない。」
そして冒頭のセリフを何度も繰り返す。母は焦って看護師をしている自分の妹に電話をかけて状況を話したようだ。
そして救急のある大学病院へ・・・行ったらしい。ここも私は全く覚えていない。

病院から帰宅後、私はテレビを観ていた。懐かしのヒット曲の特集をしている。何が流れていたかはわからないけどテレビを観ていた、それだけは少し覚えている。

私の記憶が戻ったのは翌朝だった。
「なんか頭が痛いんだけど。これなに?」左側頭部のこぶをさすりながら私は母に聞いた。昨日からの一連の話を聞いた私はとても自分の身に起こったこととは思えなかった。記憶にないから。でも、あちこちに痛む擦り傷あり。
その日は学校を休む連絡を母がして午前中のうちにまた大学病院へ行った。普段、大学病院なんて行くこともないからちょっとドキドキだった。
男性のお医者さんが診察してくださっている間、取り巻きに若い白衣姿の男女がたくさんいた。確か説明があったと思う。研修医の立ち合いよろしいですか?と。ベッドに横になっての診察をしながらたくさんの研修医さんたちが私をのぞき込み、何かを一生懸命メモしていた。高校生なりになんだか恥ずかしかった。
診断名は逆行性健忘症。私の場合、事故があった前後の記憶がない。よくよく調べてみると、ロードレース大会があった日(事故った日)の数日前から事故の翌朝まで記憶がすっぽり抜けているみたいだった。
その記憶は戻るかもしれないし、戻らないかもしれないと説明を受けた。今のところあの時の記憶を思い出した、ということはない。抜けたと思われる期間の間にまだらな感じで記憶がある。・・・多分。
というのも、あの時こんなだったあんなだったという話を聞かされて、それが私の記憶なのか後から家族や友達から聞いた話が記憶になったのか正直あやふやなのだ。「・・・多分。」がこのnoteで多用されているのはそのせいなのでご容赦ください。

その後の私は特に問題もなく、擦り傷もきれいに治った。事故後、初めて学校に登校したときは先生から友達から「私のこと(俺のこと)覚えてる!?」と何度も聞かれた。見た目は擦り傷程度だったので笑い話になったと思う。

笑い話と言えば、事故って大学病院に行き、その夜に懐かしのヒット曲をテレビで観ていたと書いた。
私の妹によればビリーバンバンというグループが歌っていて、それを見た私が妹に向かって「ねぇ、ビリーバンバンって知ってる?」とドヤ顔で聞いたらしい。何回も。
当然、6歳離れた私の妹がビリーバンバンを知っているわけがない。
「知らないよ、っていうか今テレビでやってるじゃん。」と妹は答えたらしいが、今でもその時の話題になると
「おねーちゃん、あの時『ビリーバンバン知ってる?え?知らないの?!』って何回も聞いてきてホント、うざかった!!」と言う。
・・・だが記憶が戻った私はそのビリーバンバンとやらを元からまったく知らず、記憶喪失事件で知った昭和の歌手だったのだ。懐かしのヒット曲の特番を観た記憶もあいまいな私は、言われて初めてビリーバンバンを調べてフォークソングを歌う二人組の男性グループだと知った。私の中では今でもビリーバンバン=記憶喪失という式が成り立っている。

皆様、事故には本当に気を付けてくださいね。

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